第二百五十四話・精霊の森に起こった悲劇
数千年前の精霊の森は今とは比べ物にならないくらいに大規模で、樹木がひしめき合い、緑の海が広がっており、精霊達の数も今より多く、穏やかに暮らしていた。
まさに平和の楽園……だがそれはある人物によって脆く崩れ去ることとなった。
魔王サタン……。全盛期を誇っていた魔王軍を率いて多くの罪のない人々に恐怖と絶望を与え、従わせていた。
高い魔力を持つ戦士達のいる精霊の森に目をつけた魔王は精霊達を傘下に加えようとしたが、精霊女王はこれを拒んだ。
激怒した魔王は大軍を引き連れ、精霊の森を襲撃した。
自分達の仲間にならない者には見せしめとして徹底した罰を与える……。それが彼らのやり方だった。
「我が親愛なる手下達よ……我に背いた愚かな精霊達に思い知らせてやれ !」
魔王軍と精霊達では戦力に差がありすぎた。
圧倒的な数の暴力によって蹂躙され、瞬く間に豊かな緑に覆われていた森は火の海に晒され、多くの罪のない精霊達が血を流し、命を散らしていった。
「野郎……この森を滅茶苦茶にしやがって…… !」
「これ以上この森を土足で踏み荒らすのは許しません !」
進撃を続ける魔王の行く手を阻んだのは、四人の精霊達だった。
炎の精霊イフリートのリト、風の精霊ジン、樹の精霊ドリアードのリア、水の精霊アプサラスのサラ……。
彼等は非力な精霊達の中でも唯一外敵に立ち向かえる戦士のような存在だった。
「フフフ、少しは骨がありそうだな」
「魔王様、ここはこの私に任せてくださらぬか ?」
側近の一人である美しく妖艶な女性、カミラが慎ましく前に出た。
「魔王様が出るまでもありません、我々にお任せ下さい」
同じく側近である若き日の魔導師デビッドも魔王に申し出た。
「それもそうだな……では、お手並み拝見と行こうか」
魔王は辺りが凍りつくような冷酷な目付きで精霊達を見下した。
許可を得たカミラとデビッドは邪悪な笑みを浮かべ、リト達に襲い掛かった。
「行きますよ !」
精霊達と魔王軍の側近二人が怒号を上げながら激突した。
……だが決着はあっさりと着いた。
「愚かな連中じゃな……妾達に刃向かおうなどと……」
「所詮は森で平和に暮らしてきた軟弱者の集まり……大したことは無かったようだ」
カミラ、デビッドの圧倒的な力を前にして、数秒も持たずに精霊達は無力にも傷だらけになり、地面を転がった。
魔王軍の側近クラスと精霊とでは天と地程の歴然とした差があった。
「くそぉ…… !」
辛うじて立ち上がれたのはジンとリトの二人だけだった。
「ほう、まだ立ち上がる力が残っていたとは」
腕を組みながら感心した様子を見せるデビッド。
「俺達を……舐めるなぁぁぁぁ !」
ジンは拳を握り、風を纏わせ、大地を蹴り上げながらデビッドに突進した。
「甘い !」
バシッ
だがデビッドは無情にも杖を振り下ろし、向かってきたジンを叩き落とし、ねじ伏せた。
「ぐはぁっ !」
地面に叩きつけられ、血を吐きながら苦悶の表情を浮かべ、仰向けに倒れるジン。
「魔王様、粗方肩がつきました、この森に戦闘能力の高い精霊は皆無です」
「ご苦労だったな、では……この森にはもう未練は無い、跡形も無く焼き尽くしてやろう……精霊女王よ……我らに従わなかったことをあの世で後悔するが良い……」
不敵な笑みを浮かべ、魔王は手のひらから禍々しい色の炎を召喚した。
パシュンッ
だがその時、熱線が放たれ、魔王の手のひらに灯された炎をかき消した。
「ほう…… 」
魔王が目をやると、人差し指を突き出したリトの姿があった。
「はぁ……はぁ……今のうちですよ、ジン !」
「お、おう…… !」
ジンは動揺する側近達の隙を見て体勢を立て直し、デビッドから距離を離れた。
「リト、助かったぜ……」
ジンはリトの隣に並び立った。
後ろにはサラ、リアが横たわっていた。
「ここは私が引き受けます、貴方は二人を連れて、結界の中に逃げてください」
「な、何言ってんだよ……お前一人で何とかなるわけねえだろ !」
リトの提案にジンは猛反発した。
親友として、リトを見捨てることが出来るわけが無かった。
「正直勝てるとは思えませんが……時間を稼ぐことは出来ます……それに私は精霊の中でトップクラスの実力者イフリートです……必ず無事に戻りますよ」
ジンの顔を見つめながらリトは微笑んだ。
その顔を見て、ジンは何も言えなくなった。
「ちっ……自己犠牲かよ……カッコつけやがって……」
拳を握りしめ、歯を食い縛りながらジンは悔しそうに声を震わせた。
「約束だぞ……必ず生きて帰ってこいよ !」
ジンは両脇にサラとリアを抱え、この場から走り去っていった。
その目から涙が零れているのが見えた。
「さあ、貴方方の相手はこのイフリートである私が受けて差し上げますよ !」
三人の精霊を逃がし終え、たった一人になったリトは魔王達を睨み付けながら赤い炎のオーラをその身に纏った。
「面白い……たった一人で我らに抗うつもりか」
「全員灰にして差し上げますよ !!!」
リトは魔王軍を相手に臆することなく孤軍奮闘した。
だが奮戦も虚しく、結果は惨敗……。
後に魔王軍に捕らえられ、闇の力を注ぎ込まれたリトは精霊であることを捨て、一人の魔人になった。
ここまでの話は私もリトから聞いたことがある。
だがここから先に起こった悲劇を精霊目線で語られるのは初めてだった。
暫く経ち、魔王の手先となったリトは最初の命令を受け、精霊の森にやって来た。
その目的は己の手で故郷を焼くという残酷極まりないものだった。
精霊の森に張られた結界はリトを不審に思わず、侵入を許してしまった。
「リト……! 無事だったか…… !」
「良かったぁ……てっきり魔王に殺されたのかと思ったわ……」
何の疑いも持たず、ジンやサラ、生き残った仲間達はリトの元に駆け付け、再会を喜んだ。
魔王軍の侵攻を受け、深刻なダメージを受けた精霊の森だが、少しずつ元に戻りつつあった。
「悪かったよ、リト……お前を置いて逃げるなんて……だが俺達はもっと強くなる……今度こそ魔王軍を追っ払おうぜ !」
ジンは満面の笑みを浮かべながらリトの肩を叩こうとした。
パシッ
無言でジンの手を払い除けるリト。
その表情は冷酷そのもので魂が入ってるとは思えぬ程に冷たかった。
以前のような優しさをまるで感じず、ジンは思わず退いた。
「り……リト…… ?」
恐る恐る声をかけるジン。
だがリトは森の奥を見据えているだけだった。
「私の目的は……精霊の森を焼き尽くすことです……それが……魔王様のご意志…… 」
洗脳されたかのようにうわ言を呟くと、リトは人差し指を向け、森に向けて熱線を放った。
「やめろぉ !」
止める間もなく熱線は放たれ、瞬く間に木々に火が燃え広がった。
「「「ぎゃああああああ !!!」」」
業火に焼かれながら絶叫を上げる精霊達。
力無きか弱き存在である彼等は一方的に殺戮されていった。
「皆、リトを止めますよ !」
リーダーであるリアが戦える精霊達に呼び掛けた。
精霊達は一斉にリトを止めようと挑みかかった。
だが魔王の力を得たリトの前に、仲間達はなす術無く、次々と散っていった。
「もうやめてぇ !」
悲痛なサラの叫びもリトの耳には届かない。
こうしてる間にも精霊の森は火の海に包まれ、地獄と化していた。
たった一人の魔人によって……。
「リト……どうしてこんなことをするんですか……貴方は精霊……そしてこの森は貴方の故郷何ですよ !?」
必死に説得を試みるリア。
「魔王様のお役に立つ、それが私の全てです」
リトの心は揺るがず、機械的に攻撃を続ける。
「リト! お願い……目を覚まして !」
サラは巨大な水の塊をリトに向けて投げつけた。
だがリトにとっては些末なものでしかなく、人差し指から放たれた熱線によって、跡形も無く消滅した。
「こうなったら動きを止めます…… !」
シュルルルル
ドリアードであるリアは植物を操る力を持つ。
リトの足元から蔦が生え、物凄い速度で成長し、全身に絡み付いた。
「サラ、今のうちに全員避難させてください…… !」
「分かったわ !」
リアの指示を受け、サラは大勢の精霊達を避難させ、この森から撤退させた。
「うぐぐ…… !」
リアの植物による拘束も長くは持たなかった。
ブチブチと音を立て、引きちぎられていく蔦。
リトは自由を取り戻すとリアに向かって猛然と襲い掛かった。
ガシッ
リトの拳を押さえたのは、彼の親友のジンだった。
「リア、お前も逃げろ……リトは俺が正気に戻してやる」
「でもジン……」
「良いから早くしろ !」
ジンの気迫に押され、リアは葛藤しながらもこの場から離れた。
煙が充満し、焼け野原となった森で二人の男だけが残った。
「リト……決着つけようぜ」
「…………」
静かにジンはかつて親友だった男に語りかける。
精霊であることを捨てた男と精霊であり続ける男の一対一の戦いが始まろうとしていた。
To Be Continued




