第二百三十六話・家族の温もり
連戦に次ぐ連戦により、スライは疲弊しながら暗い森の中をさ迷っていた。
暫くは補食する必要は無い。
寧ろ吸収のし過ぎでスライの体に異常が起こっていた。
休息をしなければこの苦しみから解放されることはない。
おぼつかない足取りで研究所を目指した。
その時、ある光景に遭遇した。
小さな人間の少女が巨大な魔物に襲われていた。
少女は足がすくんで動けず、樹木にもたれかかっていた。
魔物は涎を撒き散らしながらじわじわと近付き、恐怖心を植え付けながら少女を追い詰める。
少女は恐怖で声も出せず、ただ目に涙を浮かべて震えていた。
ザシュッ
何を思ったか、スライは魔物の方を攻撃した。
気まぐれか、憂さ晴らしか……。
スライはトレイギアの力をコピーし、腕を剣状に変化させ、魔物を一撃で切り裂いた。
魔物の首はポトリと地面に落ち、残された体も脱け殻のように崩れ落ちた。
「え…… ?」
幼い少女はきょとんとした。
目の前の水色の半透明な肌をした男が自分を助けたのだ。
スライは溶解液を魔物の亡骸に向かって吐き、骨も残らぬよう跡形も無く消滅させた。
魔物の死体を処理した後、スライは少女の顔をじっと見つめた。
魔物から少女を助けたという自分の行動に困惑していた。
その気になれば魔物だけでなく、少女もこの手で殺せた。
だが今は生き物を補食する必要は無かった。
結果として無意味な行動に過ぎなかった。
そのはずだった……。
「あ、ありがとう……」
少女は震える声で目の前のスライムに礼を言った。
「あり……がとう……」
スライは少女の言葉を復唱した。
その少女の目は涙を貯めながらも安堵の心に満ちていた。
今までそんな目で見られたことなど一度も無かった。
誰もがスライを恐怖と怒り、敵意の目で見ていた。
スライは慣れない感情を向けられ、むず痒い感じがした。
「じゃあな……」
スライは少女から立ち去ろうとしたが、その場で膝をついた。
一度に大量の補食、吸収をした為に体が悲鳴を上げていた。
「大丈夫…… ?」
少女は小さな足で駆け寄るとスライの背中を擦った。
「冷たくて柔らかくて気持ちいいね」
少女はスライの背中に触れながら優しく微笑んだ。
「ねえ……もしかして……疲れてるの…… ? 良かったらうちにおいでよ……ゆっくりしていって」
少女はあろうことかスライを家に招こうとしていた。
スライは苦しそうに呻きながら返事をしようとした。
「断る……俺は……」
グラッケンの命令で人間を喰らい続けてきた彼にとって人間の少女の家に行くなど有り得ないことだった。
だがスライの体には予想以上に負荷がかけられており、このまま放置するのは危険だった。
「お兄さん、苦しそう……やっぱりほっとけないよ……」
結局スライは少女に肩を支えられながら彼女の家に向かった。
少女の無垢な瞳に見つめられ、スライは断ることが出来なかった。
「お母さん、お父さん、ただいま」
スライは少女の住む小さな家に招かれた。
父と母との三人暮らし。
特別豊かでも無いが貧しくもなく、平凡な暮らしをしているごく当たり前の家族だ。
スライは警戒されないよう容姿を少年のように小さくした。
「お帰り、こんな遅くまで外に出歩いちゃダメでしょ! お母さん心配したんだから」
「ごめんなさい」
母親らしき女が少女を優しく叱りつけていた。
スライにとって見慣れない光景だった。
失敗すればグラッケンにいつも罵倒されていた。
「あら、その子は ?」
「私を助けてくれたの、でも何か苦しそうで」
少女は嬉しそうにスライのことを母に紹介していた。
スライは気が緩んだのか、意識が薄れ、その場に倒れた。
体は溶けたようにべちゃっと潰れた。
「おお、君! 大丈夫か ?」
「スライムのお兄ちゃん !」
時間が経ち、スライは目を覚ました。
暫くの間気を失っていたようだ。
休息を取ったお陰か、体も安定し、楽になった。
「あ、起きた? 良かったぁ……」
少女はスライが目を覚ますのを確認して安堵の表情を浮かべた。
気を失っている間、ずっとそばにいてくれたようだ。
「おはよう、スライムくん、目が覚めて何よりだ、それよりお腹は空いていないか ?」
父親らしき男がスライに話しかけてきた。
水色の肌を見ても怪しいと思わず、特に何の疑いも持っていないようだった。
警戒心が薄すぎる、その気になればスライは三人を瞬く間に補食出来る。
スライはそう思ったが、そんな真似はしなかった。
「そうだ、うちの妻が夕食を作ったんだ、良かったら君も食べていきなさい、スライムくんの口に合うかは分からないが」
父親はスライに優しく微笑みかけた。
その笑顔は少しだが少女と面影が重なった。
スライは断り切れず、承諾した。
「「「頂きまーす !」」」
スライは三人の家族と食卓を囲んだ。
美味しそうに母親の作った料理を口に運ぶ少女。
スライは皿に盛られた料理を黙って見つめた。
「どうしたの、食べないの ?」
少女は寂しそうにスライの顔を覗き込んだ。
「いや……それは……」
スライにとっての主な食糧は人間や魔物だ。
食事とは楽しむ為のものではなく、魔力を増幅させる為の補給でしかない。
故にこのような料理など見たことが無かった。
恐る恐るスライは料理を口に運んだ。
フォークやスプーンなど使ったことも無く、野生児のように素手で掴んで食べた。
「う……美味い……」
スライは感激した。
今まで食べたことの無い絶妙な味わいだった。
それだけではない、この料理には、少女の母親による愛情が込められていた。
人間や魔物ばかり補食して来た彼にとって絶対に縁の無いものだった。
スライはが夢中になって皿に盛り付けられた料理を頬張った。
「うわー、良かったねお母さん、気に入ってもらえたよ !」
「お口に合って何よりだわ」
がっつくスライを家族は微笑ましく見守った。
誰かと食卓を囲み、一緒に料理を食べる……。
孤独なスライにとって、何もかも初めての経験だった。
悪い気はしなかった。
「じゃあ……もう帰る……」
夕食を終え、スライは帰る準備をした。
家族達からは泊まることを勧められたが断った。
これ以上一緒にいると甘さが移りそうだったからだ。
スライが玄関を出ると三人は見送ってくれた。
「気を付けて帰るんだよ、スライムくん」
少女の父親は寂しそうにスライに言った。
「また遊びに来てね !」
少女は父親の足にしがみつきながら無邪気な顔でスライに笑いかけた。
「……最後に教えてくれ……何で俺にここまでする……よく見ろ、俺は人間じゃない……」
スライは三人の家族に問い掛けた。
この家族は恐らく知らない。
この男が一つの村を滅ぼし、何十人もの人間達を補食してきた化け物だということを……。
「困ってる人が居たら助ける、当然のことじゃないか」
少女の父親はさも当たり前のように言うと優しく微笑みながら言った。
その顔を見てスライは思わず頬が緩んだ。
「それに、君はうちの娘を助けてくれた恩人だ、悪い人のはずがない」
的外れも良いところだ。
少女を助けたのは気まぐれに過ぎない。
それでも彼等はスライに感謝していた。
無知とは気楽なものだとスライは内心呆れた。
「また困った事があったら来てくれ、私達はいつでも歓迎するよ」
「じゃあねーお兄ちゃーん !」
三人に暖かく見送られ、スライは少女の家を後にした。
スライが出会ったのは特別でも何でもない普通の家族。
だが彼らとの出会いがスライに大きな変化をもたらした。
戦うことしか知らない男は家族の温もりを知り、心に葛藤が生まれた。
今まで何の疑問も持たず、グラッケンに言われるがまま人間を補食して来た。
自分が殺した人間にもあのような家族がいたかもしれない。
自分のやっていることは本当に正しいのか……グラッケンに従うことが自分の生きる意味なのか……。
スライはそのことを深く考えながら研究所へと向かった。
To Be Continued




