第九話・トマトの味
気分転換に庭に来たら、なんとワカバも来ていた。ワカバはしゃがむと実ったトマトを眺めていた。俺はしゃがんだワカバの後ろ姿をじっと眺め、唾をゴクンと飲んだ。なんて美しいうなじなんだ……。いやいや、何処を見てるんだ俺は !
どうしよう……この状況は予測出来なかった……。
二人きりでどうすればいいんだよ……。
「ヴェルザードさんってほんとうにトマトお好きなんですね」
ワカバは微笑みながら話しかけてきた。
「……まあな……1日3食トマトでも飽きないくらいだ」
「ふふ、同じものばかり食べてたら体壊しますよ。ていうかトマトソースかけすぎです。健康に悪いですよ」
ワカバはそういうとクスッと笑った。
「フン、人間風情が生意気な……」
俺は実ってた大きく新鮮なトマトをもぎ取り、それを一口思いっきりしゃくった。トマトは水晶のように丸く、赤々としていた。
「どうだ、うちは農薬も使ってないし、もぎたては新鮮で旨いんだぜ」
俺はドヤ顔で誇らしげに語った。
「お前も食ってみろ」
俺はもう一個のトマトをもぎ取り、ワカバに差し出した。
「えっと……良いんですか ?」
「いいから」
ワカバは両手でトマトを持ち、リスのように小さくかじった。
「美味しい !瑞々しくて、まるで果物みたいです !」
ワカバは子供のように無邪気にはしゃいだ。
「だ、だろ ?」
俺は嬉しくなり、ドヤ顔を決めたが、すぐにハッとなり真顔になった。人間相手に何を得意気になっているんだ俺は……。
会話は途切れ、暫く沈黙が続いた。
「あの……ヴェルザードさん……」
ワカバは唐突に神妙な面持ちになり、話題を変えた。
「何だよ……」
「リリィさんから聞きました。過去に人間に迫害されて以来、この洋館に閉じ籠っているって……」
あのお喋りめ……余所者相手に余計なことを……。
「小さいときのトラウマって、大人になっても響くもんだろ。俺はあの日以来、外に出るのが怖いんだ」
「でもだからって……ずっとここで暮らしていくつもりなんですか ?」
「世話はリリィがしてくれる。食糧だって自給自足で困らない。誰にも迷惑がかからない。自由気ままでいいじゃねえか」
ワカバはそんな俺を見て寂しそうな目をしていた。
「何だよ……心配してくれてんのか? いいんだよ、人には色々な生き方がある、俺は今の生活で満足してるんだ」
「強がってますけど……本当は寂しいんですよね」
「…………」
俺は図星をさされ、ムッと来た。
お前に何が分かると反論したくなったが言葉が出なかった。
馬鹿にしてるようには思えなかったからだ。
「……実は私、こことは違う別の世界からやってきたんです」
「は ?」
突然ワカバはおかしな事を言い出した。
異世界? 何のことだ ?
「私は魔物とか魔獣とかそういうのとは無縁の世界で暮らしてたんです。友達はそう多くは無かったけど……そこそこ充実してました」
友達いるじゃないか。
少なくとも俺よりは恵まれている。
「ある日異世界に連れてこられて、家族とも連絡が取れなくて……。右も左もわからなくて……。本当に不安でした。魔物には襲われるし悪魔には殺されそうになるし……もう怖くて怖くて仕方が無かった…。だから貴方の一人は寂しいって気持ち、少しですけど……分かるんです」
ワカバは寂しげに笑った。
「でもそんな私を心から励ましてくれる人がいたんです。まあ今はこの中で眠ってるんですけどね」
そう言うとワカバは懐からランプを取り出した。リリィが拾ったっていうあのランプか……。
「リトって言うんですけど、私がピンチの時はいつも守ってくれたんです。リトが居なかったら私はずっと独りでした……」
「それで……何が言いたい」
「えっと……どんなに辛い時でもそばに誰かがいてくれたら、きっと乗り越えられる……ってことですかね……えへへ」
ワカバはそう言うと誤魔化すように笑った。
「…………」
俺は暫く考え込んだ。
この女の言ってることはにわかには信じがたい。だが、見慣れない異国の服装、謎のランプ……魔物の林でも生き延びる生命力……。決して嘘でたらめを言ってるとは思えなかった。
それに彼女の言葉はとても温かった。残虐な種族・人間とは思えない程優しさに満ち溢れていた。
「だから、ヴェルザードさん、もし良かったら、私と一緒に町に行きませんか ?」
ワカバはとんでもない提案をしてきた。
「これから町に行くんですけど……。私一人だと怖いし寂しいんですよ、仲間は一人でも多いに越したことはないかなーって思いますし」
「ば、馬鹿言ってんじゃねえよ…… !俺はこの洋館の主だぞ……主がここを離れるわけには行かない……」
「ずーっと引きこもってるつもりですか ?」
ワカバは俺の顔に近づけてきた。俺は思わず赤くなった。
「ばっ……大体心の準備ってやつが……」
その時、トマトの葉っぱに蝶々が止まった。
羽が鮮やかな虹色に輝いていた。
この地ではそれほど珍しくない。
「綺麗…… !」
ワカバは目を輝かせながら、しゃがみ、うなじをちらつかせながら蝶々を見つめた。
「こんな虹色の蝶なんて初めて見ましたよ !」
ワカバは胸を踊らせていた。
俺は再びワカバのうなじに注目した。
「…………」
突然心臓の鼓動が早くなった。俺は生まれて初めて興奮していた。一口だけでいい……。そのうなじに噛みつきたい、そんな欲求が沸いてきた。こんな感覚、今まで感じたことは無かった。駄目だと頭で解っていても、体は止められなかった。
俺は牙を立て、そっと背後からワカバに近付き、うなじに噛み付こうとした。
ワカバは蝶々に夢中で気付かない。
距離は後二ミリか三ミリ。歯が肌に触れるか触れないかまで来たその時……。
ピンッ !
謎の凸ピンが俺の額に当たり、俺は洋館の壁の方まで盛大にぶっ飛んだ。
壁は大きく穴を開け、俺は大部屋まで吹っ飛ばされた。辺りに物が散乱している。
「いてて……何だ…… ?」
ヒリヒリする額を押さえながら目を開けると、ワカバの前にターバンを被り、マフラーをし、アラジンパンツを履いた謎の青年が邪悪な笑顔を浮かべながら立っていた。
「貴方、覚悟は出来てるんでしょうねぇ ?」
To Be Continued




