第60話 恰好の資料
「北斗」に発表する二ページの掌編小説を、四苦八苦しながらなんとか毎号書いている幸盛だが、その一方で、長編小説をいつか書き上げるという気概だけは保ち続けている。
しかし、長編を書くとなるとまとまった時間が要るので、ここ十年ほど前から、何としてでも宝くじを当てて仕事を辞めてから書くつもりでいたのだが、先のサマージャンボ宝くじが当たらなかったためにようやく目が覚めた。この調子で年に数回のジャンボ宝くじをバラで十枚か二十枚ずつ地道に買い続けても、長編に取りかかる前に間違いなく墓場行きだと今さらながらに気付いたのだ。仕事から帰って家事を済ませ、酒を飲まずテレビを見ず(本を読まず)にコツコツと根気よく毎日書き上げていく以外に術はない。
という次第で発心し、さて、何をどう書こう、と思いを巡らせているうちに、ハタと名案がひらめいた。幸盛がこれまでに書いた小説の中で唯一物議を醸した中編小説があるのだが、この名案でもってそれを加工して長編にすれば、結構おもしろい小説になると思い至ったのだ。もちろん純文学を書く才能はないのでエンターテインメントである。
それには、日本文学はもとより世界の文学にも通じている人物を登場させる必要がある。その中編を生かすも殺すもその人物次第なので、モデルは清水信先生に決めた。ゆえに資料として、清水先生が「北斗」に連載している評論を拝借することにした。
そこで幸盛は、「北斗」の最新号である平成二十六年七・八月合併号(六〇九号)から順に古い号へと一冊一冊再読し始めた。幸盛が「北斗」の同人になって最初に発表した掌編「地下鉄の中で」が掲載されたのは平成二十年十二月号(五五三号)なので五十七冊読む勘定になる。一冊あたり十ページの掲載だから合計五百七十ページということになるが、これは単行本にすれば結構な厚さになり、内容が濃いのでエンタメの資料としては十分すぎるくらいである。
毎日、集中して読んでいって今さらながらに感じたことは、清水先生はサービス精神が旺盛で、へーっと感心させられたり、ニヤッと笑わさせられたりの連続で飽きることがない。
例えば第六〇六号の『ニーチェ』の冒頭は、「ニーチェは、いつもうさん臭い。少なくとも、うさん臭い空気の中に生き死に、そして何度も甦ってきた。人間でも思想でも、うさん臭いものは、それだけ利用価値があるということだ」で始まる。
また、第六〇二号は『太宰治一番館』と銘打たれ、「太宰治は盗作と引用の名人である。太宰ばかりでなく、世界文学における大作家はすべて、盗作と引用の名手である」とあって、幸盛は我が意を得たりと、ほくそ笑む。
などなどと、着実に読み進めていると、第五九五号の宮本百合子のページの最後で次の忠告に遭遇した。
「長編小説『貧しき人々の群』『伸子』『播州平野』『道標』のどれかを読まないで、文学に携わっている女性は唯のアホウであろう」
幸盛は男なのでその誹りを半分だけ免れるとしても半分はアホウということになる。ゆえに、直ちに机から離れて筑摩書房の「現代日本文學大系」が並べてある書棚に行き『宮本百合子・小林多喜二集』を引っこ抜いて箱の表面を見ると、幸いなことに『伸子』が収められている。これは「北斗」を全部読み終えてから是が非でも読まねばならぬ。
幸盛は目薬をさしながら、そして腰が痛くなったのでアマゾンストアで読書台を購入し、快調に読み進めて行ったのだが、頭の片隅では、「北斗」十一月号の掌編小説の原稿がまったくの白紙状態なのが気がかりだった。それでも、何とかなるさ、と開き直り資料を読んでいった。そしてついに残りあと二冊というところまできて第五五四号の『高見順』を読んでいくと、最後は次の二行で締めくくられている。
「高見の『昭和文学盛衰史』を知らぬ者は、同人雑誌界では唯のアホである」
それにしても、これら清水先生の忠言が記憶にないということは、おそらく幸盛が「北斗」の同人に参加した直後のことで、「文学に携わっている」とか「同人作家」とかという概念・自覚がまだ未萌だったからに違いない。
で、「現代日本文學大系」の『高見順・圓地文子集』を引っこ抜いて箱の表面を見てもこれは収められていないので、アマゾンで送料込み六百五十七円の中古本を注文すると、ぶ厚い文庫本が送られてきた。昭和三十三年の三月と十一月に二冊の単行本として文藝春秋新社から発行されたものを、昭和六十二年に文春文庫として一冊にまとめたものというが、およそ三十年後に文庫化されたという事実から鑑みて、古典に匹敵する重書と言っても過言ではないだろう。
はたして、宮本百合子の『伸子』を読んでみて、清水先生が「読まぬ女性は唯のアホウ」と断言してまで御推薦なさっている理由が分かるような気がするし、「高見順の『昭和文学盛衰史』を知らぬ者は唯のアホ」との御慈言も、一気に読破してみて心の底から納得することができた。
ところで、アホ返上はめでたい話だが、「北斗」十一月号の原稿提出期限が間近に迫っている刻下、第60話としての掌編小説を、いったいどのように料理してくれようか。