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カッちゃん先生と蒼空

 初夏、蝉の鳴き声が学校の敷地内にも聞こえ、初夏の訪れを感じさせる。


 「なあ、カッちゃん。恋愛って、難しいんだな。」


 肩より低い位置から、華奢な腕が伸びる。


 「何を言ってるんだか…、ガキのくせして。」


 俺は自分の腰の高さにある、華奢な腕とは反対側の肩に手を置いた。


 「でも…同感だ。」


 白地だが、少し黄色がかった汚れが目立つ壁、蝉の声を消えんばかりと所々から上がる高い声。ここは都心から少し離れた地域にある、どこにでもある公立小学校。俺…いや、私は、今年で勤務して3年目の若手教員である…、そして、この馴れ馴れしくも私の肩に短く華奢な腕をかけている少年は、いわゆる教え子というやつなのだろう。


 私が他の教員とは少し、違う立場にある。何が違うのか…大人の言葉で説明すると大きく分けて二つ、「雇用形態」と「勤務内容」である。まず前者は、私はこの学校の正式な職員ではない。『療休代替』と呼ばれる、いわゆる病気療養中の先生の代わりに勤務をしているということ。そして後者は、学級を受け持っていない…要するに「学級担任」ではないということである。


 だから私は24歳という若さにして、既にこの学校が3校目の勤務である。最初の学校では育児休暇の終了に伴う任期満了。就職から僅か半年にして失業。アルバイトをしながら生計を立てていたが、続いて「欠員補充」という名目で不祥事で免職処分を受けた教員の代替。年度が終わるまでの僅か5ヶ月、人事異動の時期を待って任期満了。昨年の4月にこの小学校に『療休代替』として赴任した。


 教員の不祥事。精神的苦痛による療養、退職。近年の社会問題として取り上げられることも多い。決して勤勉ではなかったが、教員を志した学生時代はそういったニュースで心を痛め、怒りの声を上げた。しかし皮肉なことに今の自分の生活を繋ぎ止めているのは、教育と学校の世界に蔓延る膿のようなものであるということだ。


 正規職員になりたい。そう志して、試験を受け続けては不合格。どんなに頑張っても、膿が出ればそれを塞ぎに簡単に飛ばされ、またそこで頑張っても、同じように飛ばされる。そんな生活に嫌気が差し、枕を濡らす夜もあった…だが、この学校に来た時には、熱い気持ちもすっかり冷めきっていたはずだった。


 しかし…1月…2月。時間が経てば経つほど、可愛く愛おしい子どもたちの笑顔に癒され、愛着が芽生え、結局は子どもたちとの毎日に熱い思いを漲らせる自分いた。だが、学校に、子どもに愛着が沸けば沸くほど、再び訪れる別れが怖かった。そして、感情とは裏腹に、無機質を装う日々…。そんな自分に心を開く子どもたち…。そして状況は、好転する。子どもたちの声が管理職に届き、契約期間を延長してもらえることになった。


 だがそれは、大人の事情。子どもにとって私は他の教員と何ら変わらない『先生』なのだ。


 そんなこんなで暦は7月。この学校に赴任して1年と2か月…そして1日が終わろうとしていた放課後。そんなある日のことだった。


 説明は長くなったが、この隣にいるクソガキ…もとい、少年は蒼空そら。6年3組。珍しい名前かと思ったが、時代は変わったのだろう。私が知る限りでもこの名前は学校に4人はいる。話は逸れたが、蒼空は私が来て数か月後には気付けば寄ってくる、そんな人懐っこい少年だった。身体は大きくないが、よく陽に焼けた肌でよく校庭で走り回っている姿が印象的な、典型的なスポーツ少年である。私のことを何故かカッちゃん(私の姓が勝又であるからなのか)と呼び、慕ってくれる(本来、勝又先生と呼ぶよう指導すべきだろうが…)。


 蒼空が言うことが何を示しているかはすぐにわかった。時々、下校指導のために門に立ち、コイツらの様子を見ていれば痛いほど良く色々なことが見えてくる。


 「咲希だろ…アイツ、凄いよ。大人の俺から見ても、そう思うよ」


 周りに聞こえないように、小声で蒼空に言う。


 咲希さきは6年生、大人の言い方で言えばリーダー性あり、学力良し、運動能力あり。おまけに付け加えれば容姿端麗。将来が楽しみな素材。10年後が楽しみな女の子。

 だが、男子からの人気はさほどあるように見えなかった。そりゃあ、勉強も運動も何から何まで自立している咲希の存在は男子にとっては面白い存在ではない。もちろん嫌われているわけでは無いのだろうが、この子の強さに普通の男子はとても適わない。自然と男子の人気が集まるのは小柄で、運動が得意ではない、いわゆるどこか頼りない…自分が優位に立てるような子である。女子も女子で発育の早い子たちは頼りない男子達を全くもって相手にせず、女子高のような下衆な学校生活を育んでいるようだ(なるべく見ないようにしているが)。

 咲希も例に漏れず、普段はそんな男子達に(私にすらも…)強気な態度を取っているのだが、そんな彼女がただ一人だけ、弱みを見せる存在があった。


 理斗あやとと呼ばれるクラスメートである。


 彼はそこそこ整った顔立ちこそしているものの、決して目立つタイプではない。物静かで、適度に腕白で、賢い。運動神経も良いが、それを人におおっぴらに見せたり、目立ったりするわけでもなく、最近の言い方で言うと『第二グループ』に属する。ただし大人の言い方で言うと学力良し、協調性あり、配慮すべき点特になし。創造力豊かで器用。大人は皆、彼の良さを熟知している。だが、子どもの中では一見目立たない存在である。


 正直なことを言うと、本体知りたくもないガキどもの恋愛事情なのだが…


 「ホント、俺にはわからないよ」


 蒼空の「恋愛って難しい」という投げかけに「同感」と答えた私だが、その意味の捉え方に大きな差異があることは明確にわかっていた。


 恐らく蒼空は「どうして、理斗は咲希の気持ちに応えないのだろうか」と。そう考えているのだろう。だが私はどうしても子ども同士であるが故に目の前の恋愛を教育学として考えてしまう。そして、教育学として考えた上で蒼空の疑問に答えるとすれば「女子の性的発達は男子より早いから」である(答えないけど)。


 では私の「同感」はどういったところにあるのか…。


 それは理斗に魅かれているのが咲希だけではないということがわかっているからである。


 確かに、我々から見たら素晴らしい子(悪い言い方をすると都合の良い、扱いやすい子)であるが、この年代の子たちにとっては恐らく軽視されている存在。この子たちに好まれるのはリーダー的資質を持った子、いわゆる目立つ子(悪い言い方をすれば悪ガキタイプ)が人気を集めている。


 その中心グループの典型的存在の咲希が、この物静かな少年、理斗の前で弱さを見せている。


 単純明快だと思っていた「子どもの世界」の常識がある意味覆った。


 「面白くなって来たな」


 私は自然と傍で肩を組んでいた、蒼空に向けて、呟く。


 「そうだね」


 私たちはまるで以心伝心しているかのように同時に右手を差し出す。


 その瞬間、理斗に声をかけようとしていた咲希の瞼が潤むのが見えた。

 私たちは互いに時が止まったように目線を向け、また何事もなかったように手を伸ばす。

 そして…私は小さなその手とがっちりと握手を交わす。


 「同盟成立だな」



















 世間では、今どきの子どもは---と一括りにされて報道されることもある。しかし、実際のところ子どもの世界はわからないことだらけで、今まで学んで来たことがまるで役に立たない事案ばかりである。

 

 女子の中心グループの咲希が…目立たない理斗に思いを寄せる。


 一見、微笑ましい出来事に見えるが、その裏に…様々な子どもたちなりの思惑や感情が複雑怪奇に絡み合っていることは間違いない。


 何より、自分のこれまでの…そしてこれからの生きる道標がそこにあるような気がする。


 初恋も子どもに取っては甘い、あるいは苦い、酸っぱいものなのだろう。だが、時に初恋という果実には心無い者たちにとって毒が混ぜられることもある。


 実はそれを我々大人は対岸の火事として見過ごしてしまっているのではないか。


 
















 これは、初恋という果実を守る、未熟な大人と、それを取り巻く子どもたちの物語。



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