セルロイドの人形
「こんにちはぁ」
ぼくはおそるおそる、げんかんの引き戸を少しずつ開けながら言った。
近所に住んでいる、同い年の女の子の家だ。
おじいちゃん家の近所には、子どもがあまりいない。
男の子なんて、ぼくが遊びに来て何日かとまって帰るまでに、二、三人、じてん車にのってどこかに行くのを見かけるくらいだ。
だから、ふだんは女の子と遊んだりしないんだけど、いつのまにかこの子の家には時々遊びに行くようになっていた。
ふだんはしないおままごとやぬり絵なんかして、それはそれでなかなか楽しかった。
「あら。あんた」
おどろいたような顔をして、女の子がおくから出てきた。
みつあみにいつもの赤いジャンパースカート。
ぼくがおぼえていた時とおんなじかっこうのままだ。
ちがうのは、ぼくが頭ひとつぶん、女の子より大きくなってしまったってことだけ。
「ひさしぶりね、どうしたの」
「あの……これ」
ぼくは、後ろにかくしていた人形を女の子の顔の前につきだした。
「まあ」
女の子はそう言ったきり、目を丸くしてぼろぼろの人形を見つめていた。
「……ごめんなさい。
ぼく、本当はあの時人形を持ちかえって、ずっとかくしてたんだ」
きっかけは、ささいなことだった。
きのうね、たんじょう日のプレゼントにもらったの。
そう言って、女の子が大切そうにはこから出して見せたきれいなお人形。
ぼくはふだん人形なんてきょうみなかったんだけど、それはつやつやしてとてもきれいで。
「かして」
思わずそう言って手をのばしていた。
「いや」
と、女の子はぼくの手をぱちんとたたくと、大事そうになでながら、
「あんたみたいな男の子にらんぼうにあつかわれちゃ、この子がかわいそう」
と言って、またていねいにはこにもどし、オルガンの上においた。
ぼくははらが立った。
本当は人形なんてどうでもよかった。
けれど、さわらせてもらえなかったことでいじわるをされたような気になって、どうやってしかえしをしてやろうか、そのことばかり考えながらその日は遊んでいた。
そして、女の子がトイレに立ったすきに急いではこから人形をとり出すと、そのまま
「もうかえる」
とだけさけんで、走っておじいちゃん家にもどった。
走っている間、人形をにぎりしめている手が冷たかった。
「ぼく……」
ごくんとつばを飲みこんで、ぼくはいっきに話した。
「さわらせてもらえなかったのがくやしくて、だまって持ってかえってかくしてたんだ。
本当はすぐにかえそうと思っていたんだけど、だんだんこわくなってきて、きみん家にも行けなくなって、それで、そのままずっとこうしてほったらかしにしてて」
ごめんなさい。
だまってぬすんで、本当にごめんなさい。
何度も何度も、ぼくは頭を下げながら言った。
ごめんなさい。
大切にしてたのに、ごめんなさい。
ねずみにかじられたあとがのこる人形を、女の子はじっと見つめていた。
そして人形を受け取ると、ぼくの顔は見ようともせずその頭をなでながらやさしい声でただ一言、
「おかえりなさい」
と、つぶやいた。
そして、そのままくるりとふり返ると、家のおくへともどっていった。
どなられたりぶたれたりした方が、どんなにかましだったろう。
ぼくはうなだれたまま引き戸をしめると、とぼとぼと来た道を引き返していった。
「ぼんやぁ?」
青い鼻せんをしたまま、おじさんがひょいとぼくをのぞきこむようにして言った。
「だんだあ、ぼうず。まだぎだのがよ」
「……うん」
「だんだあ、げんぎだいだあ」
「そんなことないよ」
ぶふう、とうなりながらおじさんはうでぐみをしてぼくを見おろした。
「ぼく、おれい言いにきた」
「ぼれび?」
「おじさんのおかげで、ちくちくしていたのがちょっと小さくなった」
「ぶふぅ」
「ありがとう」
「ぞうが。
ばんのごどがばばがらんがあ、よがっだば」
うでぐみをしたまま、おじさんはまんぞくそうに鼻をならした。
いや、ならそうと強く鼻をきばらせために、すぽぽんと音を立てながら元気よく鼻せんがとび出してきて、ぼくの前に落ちた。
「きたないなあ」
「おっと、すまんすまん」
あわてて頭をかきながら、おじさんは その上にもう一枚ティッシュをかぶせた。
やっぱりそういうことじゃないよと教えたかったけれど、うれしそうにわらうおじさんを見て、もういちど「ありがとう」と言ってあげた。
「んじゃあ、よかったぼうずに、こいつぁおれからのサービスだ」
おじさんはあつあつのたい焼きをくれた。
ぼくが持っているにおいのこびんと、おんなじにおいのするやつを。
「おじさん、やめたんじゃなかったの」
ぼくがびっくりしてさけぶと
「ん、まあな。
やっぱおめぇみたいなファンがいるうちは、もうちょいとがんばってやろうかって思ってさ」
にやにやしながらおじさんはぼくに、とてもウインクとはよべないしわくちゃなりょう目つむりをしてみせたのだった。
あれからぼくは、心がもやもやすると決まっていつもポケットからこびんを出す。
びんの中をそっとかぐと、ちゃんといつもの『おじいちゃんちのなや』のにおい。
もう今は、どこにもないにおい。
ここだけにしか、のこってないにおい。
目をつむるとあの時のけしきがうかんできて、いつもぼくを苦しいようなあったかいような気持ちにさせる。
それは、びんのにおいを何度かいでも変わることがなかった。
おしまい
影無し子に次いで二作目に作った物語です。
手直ししようかかなり迷ったのですが、当時のままアップしました。
(本当は後半もう少し話を膨らませる予定でした)