たいやき屋のおじさん
『においなんでもあります』
色あせた柿色ののぼりに、へたくそな白い字。
きのうまでたい焼きを売っていたおじさんは、ねじりはちまきはそのままに青い鼻せんをしている。
「おじさん」
「う」
「たい焼き、もう売ってないの?」
「う」
ぼくはがっかりした。
きのうまでたい焼き屋だったこのお店で、きのうまで売っていたたい焼きが、ぼくは大好きだったのだ。
ぶかっこうな皮はたいの形以上にはみだしていて、 ざくざくかじると熱くにえたあんこにぶつかってやけどをしそうになる。
「だいやぎのぅ、においなら、あるどぉ」
きのうまでたい焼き屋だった青い鼻せんのおじさんは、言った。
「いらないよ、においだけなんて」
ぼくは百円玉をズボンのポケットにつっこんで、帰ろうとした。
「まあ、まで」
おじさんが、ぼくのうでをひっぱた。
「ぼうやばよぐぎでぐれでだがらな、ぎょうばどぐべづざーびずだぞ」
いっきに言いおえると、ちょっとくるしそうに、いきをした。
「お客いないからひまなんでしょ」
「しづれいいうな。
いまがら、ばんばんもうがるよでいだ」
ちょっとまよったけど、せっかくだから、おじさんにつきあうことにした。
「ぼら、ごごにずわんな」
きのうまでたい焼きやらソフトクリームを食べるコーナーだった、すみっこのうすよごれた赤いテーブルのいすにすわらされた。
「で、なんの、においがいいんか、おじえろ」
「そんなきゅうに言われてもこまるよ」
実際のところ、いきなりそんなこときかれても、答えにつまる。
そもそもぼくはさっきまで、おやつのたい焼きを買うことだけで頭がいっぱいだったのに。
そう言うと、おじさんは顔をかがやかせて
「やっばり、だいやぎのにおいだな」
と、奥に行って何やらごそごそしだした。
「おまだぜぇ」
もどってきたおじさんは木のはこを持っていた。
「おじさん、お絵かきでもするの?」
はこの中には、絵の具のはこ、白いパレット、ふで、水の入ったコップ、スケッチブック。
おじさんはていねいにそれらをテーブルにならべると、鼻せんを取った。
「うー・・・・すっきり」
満足そうに深呼吸すると、おじさんは鼻をこすりながらティッシュを一枚しいて、その上に鼻せんをのせた。
「きたないなあ」
「おっと、すまんすまん」
あわてて頭をかきながら、おじさんは その上にもう一枚ティッシュをかぶせた。
そういうことじゃないよと教えたかったけれど、うれしそうに絵の具のはこを開くおじさんを見て、とりあえず
「それがにおいと何の関係があるのさ」
と、たずねてあげた。
「ふっふっふ」
おじさんはにやつきながら絵の具チューブの中身を、 ちょんちょんとパレットのはしっこに出していく。
赤、青、黄色、白。おしまい。
「あれ、ほかの色は」
「ふん、これだけでじゅうぶんだ。
この基本の4色さえあればいろんな色が作れるぞ」
確かに、図工の時間にそういう実験をしたりすることがある。
赤と青をまぜるとむらさきになるし、赤と黄色と白だと、はだ色の完成。
けれど、絵の具ばこの4つのチューブ以外の色はまだ全部ピカピカのままだったから、きっと使うのがもったいないだけなんだろうとぼくは思ったけど、だまって見ていた。
おじさんはせっせと色を混ぜている。
たっぷりの黄色に、赤。そこに、青をちょっぴり。
茶色ができた。
おじさんはパレットの別の部分にその色をうつして、さらに白や黄色を混ぜたりして、いくつかの色をつくった。
明るい黄土色や、黄色がかったはだ色なんかを。
「さ、かくぞ」
しゅーっと、おじさんの持つふでがスケッチブックの上をすべる。
ぼくが見つめるその前で、それはどんどんたい焼きの形を作っていった。
「おじさん、見た目によらず絵がうまいんだねえ」
「ふっふっふ」
おじさんはにやつきながらふでを動かす。
ひとぬりするごとにおいしそうなこげ目がつき、味を思い出したぼくのおなかがキュウといった。
「さぁ、完成だ」
なかなかの出来のその絵を、おじさんはぼくに渡して
「いいかぼうず、この絵を見て、オレんとこのたい焼きのこと、よーく思い出してみろ」
と言った。
言われなくても、もともと食べるつもりで来ていたんだ。
ぼくの顔を見て
「だいじょうぶそうだな」
とつぶやくと、おじさんはぼくに何かをにぎらせた。
「さ、これを水にたっぷりつけてな、思いっきり絵をぬりつぶすんだ」
それは、真新しいはけだった。
持ち手は白木でできていて、つやつやとした毛がびっしりついている。
さわると、おどろくほどふんわりしていた。
ちょっともったいないなと思いながらも、ぼくははけにたっぷりの水をつけて絵の上でべちゃべちゃと動かした。
てっきりぐちゃぐちゃになると思っていたのに、
「あれっ」
絵がどんどんうすくなっていく。
まるで、色全体がすい取り紙ですい取られていくみたいに。
おどろきながらうでを動かしているうちに、気がつけば、絵はすっかりあとかたもなく消えていた。
おじさんはカウンターの中から、からっぽのガラスびんを取り出してきた。
おとく用ジャムびんくらいのと飲みぐすりのびんくらいのと、二つ。
「この中にそれをつっこんで、かきまぜてみろ」
大きいほうのびんのふたを開け、おじさんはぼくにつきだした。
はけをびんに入れてくるくると動かすと、サラサラと小さな音をたてながら、はけの中から砂のようなものがあふれ出てきた。
まるで小さな霧みたいだ。
はけから何も出なくなると、おじさんはじょうごを差した小さなびんにその粉をうつした。
そして、びんをかたむけてとんとんと手のひらに少し粉を出すと、片方の鼻の穴を手をでふさぎ、
もう片方の穴からすうっと粉をすいこんだ。
「うんうん」
おじさんは満足そうにうなずくと、へたくそな字で『たいやき』と書いたシールをはり、ぴゅっとくちぶえをふいた。
「いっちょあがりぃ」
「これ・・・どう使えばいいの」
「そのままくんくんとはなをつっこめばいいのさ」
ぼくはそっとびんのふたを開けて、おそるおそる鼻を近づけてみた。
近づくごとにだんだんと甘く香ばしいにおいがしてきた。
「・・・あ」
それは、たい焼きのにおいだった。
しかも、どこにでもあるたい焼きじゃなくて、きのうまでたい焼き屋だったこのお店で、きのうまで売っていた、ぼくが大好きだったやつだ。
ぶかっこうな皮がたいの形以上にはみだしていて、ざくざくかじると熱くにえたあんこにぶつかってやけどをしそうになるやつだ。
「うわあ・・・」
ぼくはうれしくなって目をつむり、何度も深くいきをすいこんだ。
とてもおいしいにおいだ。
たまらなくなったおなかがキュウキュウとなりはじめ、止まらなくなった。
「あはは、思い出したか。そうかそうか」
おじさんはうれしそうに言うと、ちょっとだけもうしわけなそうな顔になって
「食わせてやれんで、すまんな」
と言った。
「しかたないよ。
お店のけいえいはこじんの自由だもの」
「お前、よくそんな言葉知ってるな」
「そのかわり、もう一つちがうにおいを作ってほしいんだ。
ちゃんとお金はらうから」
「なんだ」
「ぼく、思い出した。
におってみたいもの」
おじさんはニヤリとした。
「おうおう、金をはらってくれる初めての客だからな。
なんなりと言いな」
「あのね、おじいちゃん家の『なや』のにおい」
「へ」
「ぼくのお母さんのいなか。
おじいちゃんの家はおっきくてね、にわのおくにもおっきな『なや』があるんだ。
『なや』は2かいだてで玉ねぎがぶらさがってて、めが出かけているじゃがいもがおくでねむっていて、 昔のきかいやわらをねじったやつなんかもたくさんあって、それで」
「ちょ、ちょっとまてまて。
もう一回ゆっくり言いな」
それからぼくは、ふでを動かすおじさんの前で、おじいちゃん家の『なや』の話をいっぱいした。
『なや』は、ざらざらした古い木でできていて、ドアじゃなくてカーテンがかかっていたことや、暗くって土ぼこりがたまってて冷たくかびくさいにおいがすること、古いたんすの中にはたくさんのおもしろい道具がつまっていたこと、それから二かいにはおじいちゃんが作ったとても古いはしごがあって、
登る時に落ちそうでどきどきするけど、とてもじょうぶなんだってことなんかを。
一度なんか、2かいでのらねこが赤ちゃんを産んでいたのを見つけたこともあったっけ。
おじさんはぼくの話すことをうんうんとうなずいてだまって聞きながら、ずっと手を動かして絵をかいていた。
ぼくは、おじさんの絵を見ながらああだこうだと注文して、いろんな色をつけくわえさせた。
そうしているうちに、なんとなくだけど、ぼくのおぼえている『なや』のかたちになってきた。
「よし、このへんで止めておこう」
おじさんは手を止めた。
「まだちゃんとくわしくかかなきゃ」
「いや、これでいいんだ」
やりすぎちゃってもな、
とおじさんはつぶやきながら、ぼくにはけをわたした。
ぼくは急いでべちゃべちゃと動かし、粉を出すと小びんにうつした。
ふたを開けてにおいをかごうとすると
「ちょっとまて」
おじさんに止められた。
「これはまだ完成じゃねえんだ。
いいか、今夜びんのふたをを開けてまくら元に置いてねろ。
ねる前にしっかりそのにおいのことを思い出しておけよ。
それで完成だからな」
「どうして。
だって、たいやきのにおいは」
「あれはな。
おれもよく知ってるにおいだからな。
だけど、このにおいはお前しか知らんからな。
お前の記おくがお前のにおいになるんだ」
忘れんなよ。
それまでは絶対かぐんじゃねえぞ。
おじさんの声をせなかに受けながら、ぼくは家に帰った。
ポケットにつっこんでいるのは、百円玉じゃなくてふたつの小びんにかわっていた。