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バラの王子様と白い悪魔  作者: ことわりめぐむ
2/6

人食いの町

 ずっと続く青い海。そしてそびえ立つ線路の橋。

 いつまで続くのだろうと思いながら手と足を動かし長時間。高い位置にあった太陽もでかく赤くなって左側に移動している。

 なんかもう体を動かしても前に進んでいる気がしない。このまま泳いでいても、夜になって、海が今以上に冷たくなって、やっぱり俺は死ぬんだろうか‥‥っていうか疲れた、もう泳ぎたくない。

安易な選択が自分の首を締めた。

 泳ぐつもりが無くなると、手も足も動かなくなっていた。実際気力で動いてたのだろう、ぶらーんと水の中に付けたまま倒れ込む。息だけは楽にしたくて顔だけを海の外へだしていた、肺に空気があるせいか顔から下はこれ以上沈む気配もない。

「テス~なに休んでるの」

 先に行くラムタフが振り返って叫ぶ。

「もうやだ、俺はここで死ぬ」

 ラムタフの顔を見る力もなく、弱々と俺は空を見て答える。

「なにいってんの。島があるのに」

「島!?」

 ラムタフがそういうので顔を上げて前を見ると、確かに今までと違う形が遠くに見えた。島だといえば島に見える。いやきっと島だ。

 島に違いない。

 島なんだよ!!

 やっと陸地にたどり着ける。橋も島に続いている。きっと列車も通っているに違いない、これでヴィアハムにたどり着ける。フィア様に会える。そう思うと水をかく手に力がこもり前に前にと進みだした。

「なんだよ、ここで死ぬっていったのに」

 すごいスピードで泳いでいたのだろう、岸にたどり着いたときは、もう立ち上がる力さえ残ってなかった。後からラムタフが文句を言いながらたどり着く。

 濡れているせいで、顔や体に砂がまとわりつくのなんか気にする余裕もなく、浜辺に寝転がる。

「水の中なんかで死んだらな。ぶよぶよになって大変なんだぞ」

 そういっておこるラムタフの気をそらしてみた。

「ふーんそうなんだ」

 荒い息でしばらく赤い空を見上げていると、少し体力が回復する。呼吸が整うと立ち上がり周りを見回す。何の変哲もない、だだっ広い浜辺だ。こんな浜辺で寝転がっている場合じゃない、駅を探さないと、ヴィアハムにたどり着く手段はまだ何も手に入れていないのだから。

「とりあえず、街を探そうぜ。それから駅に行くんだ」

 寝転がっていた俺の横で何もせず、ただぼんやりしていたラムタフに手を差し出した。

「えー。人がいるトコ行くの。やだなぁ」

 髪に手を当てあからさまに嫌な顔をする。本当に白い髪だけで、白い悪魔って思われると思っているらしい‥‥。こんな馬鹿をここに置いていくつもりは全然ないし、無理やりは動きそうに無い、仕方ない。

 首に巻いていた布を取りラムタフの頭に巻きつける。

 大きな布が、なんだか安物の海賊もどきのように見えるが、この際文句は言わせない。白い髪さえ無くなってしまえば人目を遠のける必要がないだろうから。

「スチーナスの高級品だ。帽子の変わりになるだろう」

 ラムタフはこわごわと頭の布に触ると俺の顔を見る。

「ねぇテス。濡れて気持ち悪い」

 なんだと!!

「わがままいうなぁ」

 俺の拳がラムタフの頭に飛び込んでいく。ガツンとうっかり殴り倒してしまった。しかし、奴が悪い。礼でもいうのかと思えば‥‥気持ち悪いだと?海の中泳ぎつづけてたんだから仕方ないだろう。

 もう知らん、そう思って俺はラムタフを置いて歩き出した。

「ばかぢから~」

 相手は、殴ったあとを左手で抑え目を潤ませて歩いてついてきた。 


 ★★ ☆

 

 夕方の町は思った以上に人並みがあって、これだとすぐに駅につけそうだなと安心した。

 が‥‥。

「なんなんだよ、この町の人間は」

 いらいらが声に出てくる。

 町の人間は、俺が声をかけるまもなく、姿を見て逃げ出す。ただ駅の場所を聞きたいだけなのに、これでは質問さえ出来ない。

 何も発展せぬまま、どんどん太陽がかげってくる。無駄に時間がすぎるだけだ。

 全く知らない土地、夜になったら自力で駅なんか探し出すのなどきっと困難だろう。

「どうしたの」

 誰とも話せぬまま、時間だけが過ぎ困り果てていると後ろから女の人の声がした。

「駅はどこか聞きたいのだけど‥‥」

 やっと話せる人がいたと喜んで駅の場所を尋ねる。

「駅‥‥?今から列車に乗るの?」

 こくりと頷くと、困ったような表情になる。

「もうこの島からね今日は列車は出ないのよ」

「今日はもう出ない」

 その言葉と同時に足にふらつきがきた。ふらっと後ろに倒れた体をラムタフが支える。

「テス重いよう」

 重いとは言いながら手を離そうとはしない、ラムタフのいいところなんだろう。そんな事よりも‥‥列車がないとは。

「気にしないで、明日の朝にはまた明日の列車が出るから。今日はもう遅いから列車の時間までうちに泊まるといいわ」

「いや、駅の場所さえ教えてくれればいい」

 お姉さんの親切な申し出を断わる。

 濡れているから肌寒く感じるのだろうが外は暖かいはずで‥‥駅で一晩明かして、一番の列車に乗ればいい事だ。

 外は暖かいという証拠に親切なお姉さんは胸の大きく開いた薄い洋服を着ていた。寒い季節、そんなかっこはしていられないだろう。洋服の合間からとても綺麗な肌が見えていた。どうしても目の高さにそれがあるんだから反らすわけにもいかなくて、かといって見てるわけにもいかなくて、正直に言うと早く目の前からどこかに行ってしまいたかった。

「子供が野宿なんてだめよ。ほらほら遠慮しない」

 彼女は半ば強引に俺の背中を押し、ラムタフの手をひいて前へ前へと進みだす。

「いや、いーよ」

 俺は抵抗するが、大人の力にかなうわけも無く押される方向に足を進めるしかなかった。

「風邪ひいちゃうわよ」

 濡れた体をくすぐるように触れる手が抵抗力を弱めていて、嫌だった。

 というよりも、抵抗すればお姉さんの露出している素肌に触れてしまいそうで、思ったように動けなかった。

「わぁ触るなぁ」

 非力になった子供の抵抗など空しく、お姉さんに無理やり家につれこまれた。

 助けてくれればいいのに、ラムタフは楽しそうにただ、俺とお姉さんのやりとりを見ているだけだった。


 ★★ ☆☆


 日はすぐにかげる。あっという間に夜になった。 

 俺達はというと、濡れた衣服を無理やり着替えさせられ、出された食事に手をつけていた。疲れた体がよっぽど栄養を欲していたらしい。空腹など全く感じてなどいなかった筈なのに、食べ物を目の前に置かれると我慢できなくなり、警戒もせず口に運んでいた。

 確かに今日は栄養を搾り出して体力にしていた事だろう。心よりも体は正直だ。

「何で町の人ね、僕らから逃げるの」

 体を拭くために与えられた布で髪を隠したラムタフが疑問をぶつける。

「もしかして、僕が怖いのかな」

 眉をひそめてこっそり俺にそういった。

「まさか」

 俺は笑い飛ばす。

「僕は真剣なの」

 すぐに頬を膨らませて怒り出す。

 そんな俺達のやりとりを見ていたお姉さんは笑顔で言った。

「この町はね、呪われてるのよ」

「呪われてる?」

 その言葉に驚きすぐに聞き返す。

「夜になると海の中から人を食べる人が町の人をさらいに来るのよ」

「人を喰う人間!?」

 当然俺の食事の手は止まる。

 人間を食べる人間‥‥考えただけで気分が悪い話だ。食欲だって一気に無くなる、そんな俺を見てラムタフが「好き嫌いは駄目だよテス」と注意する。

「でも、気持ち悪い話だよね」

 そう言いながら奴の食事は続く。

よくお前こんな話を聞いて平気だなぁ

「二人ともずぶぬれでしょ。だから恐がられたのね」

 夜になると海から現われる人間が町の人間を食べる。そんな話になっているのならば見知らぬ人間が夕方近く‥‥しかもずぶ濡れで立っていれば、俺が町の人だって同じ態度をとっていた事だろう。

「だから夜、外にいたら危ないのよ」

 俺達を戒めるように、本気か冗談か分からない表情で彼女は言い、台所の方へ歩いていった。

「なんか‥‥からかわれた感じだ」

「だね」

 ラムタフも同じように思っていたのか、二人取り残された部屋でぽつりとつぶやいた。


 今日は散々泳いで、かなり疲れているはずだと自分が言い出し、寝床に早々につく。疲れた理由は水泳だけじゃないだろうが‥‥。

そういって眠ろうとはしてみたものの、さっきの話が気になって眠れない。あの話が本当で、海の中から出てくる人間なら、確かに外に放置されていたら危ないのだろうが、家の中だって安全じゃないだろう。このまま何もせず眠りについてよいものか。

 パッチリ目が冴えたまま真っ暗の中で天井を見つめていた。

「こんな町で眠れるかよ」

 結局不安のまま眠れなくて布団から起き上がる。

 とりあえず安心できるように、何か罠でも作ってみようと思ったからだ。

 そのとき、ガタッ!!と下の方から音がした。

「なんだ!?」

 ありえない音が聞こえ少し驚く。

 声は情けない事に多少だが震えていたかもしれない。

「あれぇテスは恐がり~」

 俺のさっきの声が大きかったのか、それとも嫌な予感がしたのか、ラムタフも目が覚めたようだ。しかし恐がりとは失礼な。

「バカいえ。なんか音がしたから気になっただけだ」

「あのね~テス、僕ねぇ。あの話本当だったらって考えてたの、家の中入ってこないって保証全然ないよねぇ」

 さっき自分が考えていた事をラムタフも話し出す。やっぱりそういう考えになるだろうなぁ。

 会話が途切れると、下の音がまた聞こえる。二度も不信な音が続くと気になって体の神経は耳に全て集中していた。今度は物が落ちる音、床を何か引きずる音。ガラスが割れる音まで聞こえていた。単純に考えて、誰かが荒らしているのは確実だ。

「僕こんな危ないところで熟睡できないし」

「さっきの音が奴らだって言う事ならば、お姉さんが危ない」

 そう言って視線が合うと何も言わずとも下へ向かっていた。

 

 一階は夜だって事で、当然真っ暗である。真っ暗闇はラムタフの方が慣れてるといって先に進みだす。

 前を行くラムタフの気配は感じられるが、彼女の気配はしない。

「テス床気をつけてね」

 ラムタフの声がしたかと思うと、そのまますべって床に尻を打ちつけた。

 床の木と俺の腰骨が叩きつけ合って、暗闇に大げさな音が響き渡る。

「いって~」

「だから気をつけてっていったのに、なんだかびしょぬれなんだよね、この辺」

「床が濡れてる」

 「夜になると海の中から人を食べる人が街の人をさらいに来るのよ」と言う言葉が心に響く。尻持ちついた濡れた床を恐る恐る触り水の味を確かめていた。舌に感じられたのは潮の味。

 床にこぼれているのは海水に違いない。

「まじで来たのかよ」

 背中にいやな汗が流れはじめる。

「人食い人種?まさか‥‥」

 ラムタフの馬鹿にする声が聞こえた。

「でもお姉さんの気配はしないよね」

 彼女の気配がこの家の中にない事を言う。奴らがきて、床が濡れてて、大きな物音がして、お姉さんが居ない‥‥結論は食べられたって事。床の上で食べ散らかしたのなら、ここいらは血の海になっている事だろう、この俺が滑ってこけたのは海水か?散乱しているのはお姉さんの体液ではないのか?血だって、塩の味がするだろう。

「人食いだって言うなら、もしかして食べられたのかな?」

 今日はこいつとは嫌になるぐらい。気持ちが繋がっている様だ。ラムタフも同じ事を考えていたらしい、ただ違うのは最悪の結果を簡単に奴は口に出す。

「い‥‥嫌な事言うなよ。まったく暗いし、何があるんだかわけわかんねーよ」

 先ほどまで親切にしてくれたお姉さんの血まみれに自分がなっているなんて想像したくなくて、想像でしかない現実を確かめようと立ち上がる。暗いから問題なのだ。

 明かりが無ければつくればいい。俺にはそれが出来るのだから。

「集え魔力、交じわえ肉よ」

 言葉を唱え、まずは右の人差し指と中指を額に当てて一の印。それをそのまま前方に突き出し薬指と小指を合わせ、同じ形をさせた左の中指と親指どおしを合わせれば二の印が空に浮き上がる。青白いその印は空気中に描かれた模様のように淡い光を放っている。左の親指でその二の印を囲うように円を描き、逆の腕で切るように右から左に線を引く。単純な魔方陣が目の前に出来上がる。後は真芯を殴るだけだ。

 おもいっきり。

 突き出した腕が円の中心に命中すれば空の印は消えて、手に魔力が移る。

「なにそれ、手に火がついただけじゃん。怖そうな言葉に空中が光ったりするからなんだろうと楽しみにしてたのに」

 炎の魔方陣を描き発動させた、手に宿った魔力はまるで手が燃えているかのように高く炎を上げていた。燃えてはいるのだが、炎自体からは熱は手に伝わらない‥‥魔力の炎は術者の思い通りに存在させられる。

「手を松明にしなくても‥‥」

 炎越しに見えるラムタフの表情はとても残念そうに見えた。なんとでも思うがいいさ。

「本来は武器として使うの」

「武器‥‥」

 不満そうな表情が暗闇の中照らし出される。

 そんなラムタフはほおっておいて、あたりを照らしはじめた。透明な液体が床に広がっているのが確認できる。とりあえず血ではないらしい。

 その水の跡が点々と同一方向に続いている、その先は破られた窓に続いていた。

「まじかよ」

 ガラスの破片が室内に散らばっていない事から、ここから外に出た事は確かである。室内は争った形跡が残っているが血の跡はまったくない。

「ここで食べられたのなら血のあとが残っててもいいはずだよ。何にも無いって事はきっとさらわれたんだね」

 ラムタフが口元に手を当ててそう言った。さらわれたという事ならば。お姉さんはまだ無事だという可能性はとても高い。

「じゃあまだ生きてるって事か。助けなきゃ」

「は?」

 まとめるものも無いし、他に何か証拠になるものが無いかとざっと見回してみる。

 謎の液体しか異質なものは見当たらない。

「生きてるなら助けに行くのが普通だろ」

「何いってんのテス。絶対間に合わないし、それに危険だよ」

 ラムタフが俺を止めようとした。

 驚いた、こいつから危険だという言葉が出るとは思わなかった。

「このまま指くわえて見てろってか、そんなの嫌なんだよ。俺は可能性があるんだったら助けてあげたい。お礼だって何にもしてないんだぞ」

 危険だからって逃げ出す理由にしたくない。

 床の水の跡を追いかけて、窓から外に飛び出す。

「すごいね。テスは」

 俺は聞こえていなかったが、ラムタフが後ろでそうつぶやいていた。 


 ★★ ☆☆☆


 地面に湿った後がずっと続いていた。

「ったく海の中から来るんじゃなかったのかよ」

 後は、海のほうへ行くのではなく、逆に山の方へと続いていた。

「人間なんだから水の中で生活してるんじゃないでしょ、きっと」

 草むらを掻き分けながら先に進むラムタフが言う。こんな暗い夜道、湿った土と乾いた土の見分けなど自分がつけられるわけは無い。それでも「分かる」と言ったラムタフを先導させていた。

「なんで月が出てないんだよ」

 昼間でなくても、月さえ出ていれば明かりの代わりにはなる、自分の腕に灯した魔力の炎では遠くまでは見る事が出来なくて不安になった心がそう言わせた。

「何いってんの、暗いほうが相手に見つからないでしょ」

 後姿で表情までは見えないが、バカにしたような声が先に行くラムタフから聞こえた。

 前が見えなければ進みにくい。目的地だって正しいかどうかなんて分からない。

 でも、その暗さが自分達の姿を隠してくれているらしい。

 相手に見つからなければ、まず安心だ。

 不便よりかは、安心を優先したほうが良いに決まっている、俺は仕方なく文句を言うのをやめる。

 だが、気がついた。暗ければ暗いほど、俺の手にある炎の明かりは相手に見つかるのではないのだろうかと?

「ラムタフ。炎は丸見え?」

「だよね‥‥」

 後ろも振り返りもせずにそう一言だけいって先に進む。

「‥‥‥‥だよね?」

 だよねって分かっているなら早く言えよ!!

 焦って炎を消した。淡い光に目が慣れていたせいか、周りの暗さについていけず、前を行くラムタフを一瞬見失ってしまう。

 目視が出来ないと少し不安になり歩く速度を速めた。当然足音は大きくなり、草と草が擦れる音が静かな闇に響くと「テス‥‥音」と注意される事になる。

 ラムタフの姿は確認できたが、情けない‥‥。

 見つからないように見を低くして、怒られないように音を立てず、目的地を探すため足跡を追う。神経が磨り減る事だ、暗闇を長い時間(本当はほんの一瞬しかないのかもしれないが‥‥)歩き続けるとラムタフの動きが止まる。

「あそこだね」

 指差した先は土の山の切り立った側面にぽっかりと開いた洞窟があった。

 確かに、なんか潜んでそうな洞窟ではあるが‥‥本当にこんな場所なのかとラムタフに疑問の眼差しを向けると「僕はね、目も鼻も良いんだよ」と笑って先に進んでいく、疑問は解決しないまま後に続いた。

 洞窟の中は嗅いだ事のない変な臭いで一杯だった。空気を吸い込むと胃の中のものを全て外に吐き出したくなる。

 体がここに居ることが望ましくないと訴えていた。

 確かに良い鼻だ、こんな臭いに気がついていたんだから。

 先に進むラムタフの表情は以外に平気そうだった。嫌だと感じているのは俺だけなのだろうか‥‥。

「ラムタフ‥‥何なんだよこの臭い‥‥」

「何か居る」

 ラムタフは俺の言葉を遮ると岩陰に見を潜める。

 言われるまま隠れ、視線を先に進めると、お姉さんと男と女が一人ずつ立っていた。女はずぶ濡れで、長い髪が顔や体に張り付き、その先からは雫がぽたぽたとたれていた。

 お姉さんも居るし、一人は濡れている、間違いなくさらった犯人なのだろう‥‥ラムタフの案内がほぼ間違いないという事に驚いた。どうして来た事もない道と会った事のない人間の居場所が分かるのだろう?

「おいしそうなおんなのひとだ。たべていい?」

 嫌な笑いを口元に浮かべ頭の悪そうな男がお姉さんに近づく。お姉さんは顔を左右に振り、否定する。表情は恐怖に引きつり声も出せそうにない様子だ。

 このままでは殺されてしまう、そう考えた俺は立ち上がろうとしたが手をラムタフに引かれその場から動く事すら出来ない。軽く持たれているはずなのに、腕どころか体も固定されて動かない。

「だめだよテス。大丈夫だから」

 無理に動かそうとするとラムタフの口が動いた。

「何が大丈夫なんだよ」

 気づかれないように小声で抗議する。

「だめなのよこれはお外に出られないヘティスのよ。お前は自分で探しなさい」

 お姉さんの額に手を当ててずぶ濡れの女が男に注意した。 

 男はしばらくお姉さんをじいっと見つめ動かない。言葉を理解していないのかと思いながら見ていると「へてぃすのしょくじ‥‥」と繰り返しながら顔の向きを変える。

「ちょうどそこにいいのが居るじゃない」

 そう言って女はこちらを見る。どきりとした。

「えへへ。えへへ」

 嫌な笑いを繰り返しながら、ゆっくり相手は近寄ってくる。逃げようとする俺をラムタフは押さえつけ動きようがない。

 気づかれてるんだから逃げればいいだろう。何で動かないんだ。

 無駄な抵抗を繰り返しているとラムタフは口元に手を当ててこちらを見る。

 静かにじっとしていろって事か、なんでだよ、殺されるだろう!?

「にげてもしょうがないよ。だからにげなくてもいいよ~」

 俺の心をあざ笑うかのようにそう言いながら相手が飛び掛ってきた。

 離せラムタフ~!!

「ギーー!!!!」

 小動物の抵抗する声が響き渡る。

「ギギーギー!!!!」

 相手は小さな鼠を左手に握り締めていた。

 見つかったのは、鼠か‥‥。その光景を見て自分達は見つかっていないのだと一安心した。

 男は手をそのまま口の中にほおり込む。バリバリと音をたてて食事をする男‥‥残酷なその光景に、目を背けたくなった。

「テス‥‥やばいね。逃げようか」

 唐突にラムタフがそういう。

 なにを言っているんだ?相手は鼠を見つけたのだからこちらにまで気がついてないだろう。

「そんな小さいのでいいの?パスカ」

 動かす口が止まったら女が尋ねた。女の余裕な笑いが何かを考えていそうで嫌だった。

「たりないよ‥‥。おなかすいた」

 パスカと呼ばれた男の視線は間違いなく俺達のほうを見ていた。

「じゃあそれも、ね」

 女がそう言うとパスカが動く。

「危ない」

 ラムタフが俺の手を引いて飛び上がる。

「ひひーー」

 狂った口調でパスカが今まで俺達が居た場所に飛びついてきた。

「おおきな、たべもの」

 俺の姿を見てそう言う。

 大きな食べ物だって‥‥?脳裏に先ほどの鼠の姿が浮かぶ。

「たべもの」

 壁に追い詰める様にじりじりと相手は近づいてきた。

「しかもにひき!!」

 嬉しそうな甲高い声をあげる。高い声のトーンで興奮している事が分かった。

「パスカ‥‥ヘティスの所に行ってるから好きに遊んでればいいわ」

 そう言いながら女はお姉さんを持ち上げる。首を振って抵抗はするものの敵わなくて、引きずられる様に別の空間に連れて行かれる。姿が見えなくなるまで彼女の瞳は俺を見ていた。

 お姉さんは涙を流しながら俺に助けを求めていた。

「まて!!」

 声を上げ彼女の連れて行かれた方へ向かおうとすると、何かが顔をかすめて壁にめり込んだ。

「テス!!前」

 ラムタフに言われ俺の顔を狙ったものに意識を向ける。

 壁に突き刺さっていたのはパスカの手だった。

「おしい~」

 手は壁となっていた岩を掴みもぎ取る。

 パキパキという耳に痛い音が、粘土ではないことを思い知らせる。

「なんて‥‥力だ」

 こんな奴に掴みかかられたら、体の一部がもぎ取られるだろう。今ちょうど、その岩壁がそうなった様に‥‥。

 ちぎれる自分の体‥‥想像して気分が悪くなった。

 掴み合ったなら自分の負けだ。とりあえずここは引いておこうと、後ろ手で逃げ出す。

 数歩歩むと逃げる足元に何かが絡みついた。バランスを崩して体が倒れる。体を庇うように片手を付くと思った以上に柔らかい地面の中にめり込む。粉塵が舞い異臭が更に強くなる。息をしていられない‥‥異臭の原因は体の下の物質からしていた。

 ただの地面が何でこんなに柔らかくて、変な臭いがするんだ?

 ただでさえ夜で足元なんか良く見えない。

 ついた手で地面を握り締め、見える位置まで持ってきた。砂と言う感触の他に白い固体と赤黒い粘り気のある物質。

 赤黒い物が確認できると、臭いの他に悪寒が体を襲う。持っている事が嫌で、慌ててどこかに投げつけた。

 壁に当たり、ぐしゃっと音を立てて塊は崩れ落ちた。

 先ほど岩壁をむしりとった男がその塊に飛びつくように駆け寄り、口に入れる。

 口に、入れる?

 悪臭がするそれを奴は、信じられないことに食べている。

「テス、こいつは何とかするから。逃げて」

 ラムタフの声が聞こえると、信じられない光景を見つめ震えていた俺は言われるまま逃げ出した。

 こんな所に居たくない、あんなものの側に居たくない。そうは思いながらも、入った方面には逃げられず、足は奥の空間に向かっていた。

 奥にはお姉さんを連れて行った女が立っていた。

 女の姿を見て思い出す。自分はここにお姉さんを助けに来たのだ。逃げ出すのならば、何にもせずあの家で震えていればよかったのだ。

 ちょうど良いことに、体がなれたのかここでは先ほどの空間ほど異臭がしない。

 さっきの光景を思い出したくなくて、臭いを取ろうと手を壁にこすりつけていた、異臭が染み付いた手はまだ微かに震えている気がした。

「あらあら。パスカから逃げてきたの?」

 俺の姿を見ると、女は笑ってそう言った。連れて行かれたお姉さんは女の側には居なくて、部屋の隅に誰かと一緒に転がっていた。

「彼女を返せ」

 震える声を気づかせないように、相手を睨みつけてそう言うと女は笑顔を変えずに言う。

「あれはヘティスの食事なのよ」

 食事という言葉がさっきの塊を想像させる。

 お姉さんの側で座り込んでいる少女、それがヘティスなのだろう。

「食事って、人間なんて食べれるわけないだろう」

 連れてきた女に言ったって聞いてもらえなさそうだと俺はヘティスに話し掛ける。小さなヘティスの視線がこちらを向いた。

「食べれるわ。あたし達だって生きてるのよ。食べないと死ぬでしょ」

「別に人間じゃなくて、他の動物とか‥‥」

 動物ならいいのだろうか?

 そう思うと最後まで言葉を伝える事が出来ない。

 牛だって馬だって、俺達は生きてるものを殺して食べているじゃないか、それが彼女たちにしてみれば人間なだけで、ただそれだけで‥‥。

 おかしいのは自分の方なのだろうか‥‥人間だったら食べてはいけない。その考えを持つのが‥‥おかしい?

「他の動物ならいいって、そんなのおかしいわよ。あたしたちは生まれてからずっとここにいて、ずっと生き物を食べてきた。これからも変わらないわ」

 悩んでいると、ヘティスはお姉さんに噛み付いた。

「あぁぁぁあああ」

 今まで声が無かった、お姉さんの悲鳴で我にかえる。

「お姉さん!!」

 悩んでいる場合じゃない、俺は彼女を助けたいし、それに人間は食べていいわけがない。 

 相手は俺なんかより小さな女の子、心も体も弱いはず。そんな子に負けられはしない。そう思って背中のメイスを握り締め、飛びかかる。

 殴ってしまえば怪我をさせてしまうだろうし、脅かすだけだとそう言い聞かせおもいっきり別の空間に叩きつけた。

「的が合っていないね。そんな弱腰では役に立たない」

 もう一度同じ箇所に歯を立てる。

「やぁあああああっっ」

「やめろーーー!!」

 大声で怒鳴ると手を後ろから押さえつけられる。

「黙って見てたけど、だめねぇ君はパスカの食事でしょ‥‥ヘティスの邪魔をしないの」

「な、なんだよ」

 捕まれた手を振り解こうと振り回すが、ラムタフの時と同じくびくともしない。

「暴れないように、楽にしてあげるわ」

 女がそう言うと、握られた手に力がこもる。ゆっくり指が肉に食い込んでくる。痛くて目の前のお姉さんなど構っていられない。あの男と同じくこの女も普通では無い握力なのだろう。このままでは腕ぐらい引っこ抜かれてしまうに違いない。

「痛いんだよ放せ!!」

「テス!!」と俺の名を呼ぶラムタフの声がした。

 突然、視界にラムタフが現われて、あっという間に目の前のヘティスを切り裂いた。

 瞬きを数回しただけの間で、すっかり現状が変わっていた。

 まず、自分が痛さから自由になっているという事、押さえつけてた女の命がなくなっているからだ。お姉さんの首に噛み付いていたヘティスも首をぱっくり裂かれ床に転がっている、悲鳴を上げていたお姉さんは目の前で人が殺されたショックで気を失っていた。そのお姉さんをラムタフが抱えていた。

「ラムタフ?」

 奴が現われただけで‥‥全く違う状況になった。

「大丈夫だった?テス」

 にっこりこちらに笑いかける。まるで何もなかったかのように。

「お姉さんも無事みたい」 

 首元に手を当て流れる血を拭う、歯は深く刺さってはいないはずなのだが、血はゆっくりと流れつづけていた。切り裂いた布を応急処置として巻きつける。

 隣の部屋にはパスカの死体があった、同じように首をぱっくり裂かれている事から、ラムタフが殺したに違いない。

 でもラムタフはいつもと変わらない。態度も姿も、相手がこんなに血を流しているのに、少し砂で汚れているだけだった。

「ラムタフおまえ、殺したのか」

 もしかしたら、ラムタフじゃなくて、という思いがあり聞いてみた。ありえない可能性。

「だって殺さなきゃ僕らが危ないでしょ。ちびっこいのなんか、もろ僕を食べそうだったし、速攻かなぁって‥‥で、こっち来たら食べられそうになってるし、テスも危ないかなあって慌てて後ろに回って殺したの」

 表情も何も変えずけろりと人を殺したと言う。

「なんでだ。なんでそんな簡単に人が殺せるんだよ」

「だって殺さなきゃ危ないって言ってる‥‥」

「なんでだよ!!」

 相手の習性から殺られてしまうと分かってはいても、なんの躊躇い無しに殺してしまい、それが正常だと言わんばかりに普段どおりの態度のラムタフに腹が立った。

 奴の言葉なんか聞きたくなかった。

 殺された相手に対して何も思わないのだろうか。

 死んでしまったヘティスにちかづき、ぼんやりと見下ろす。首からカヒューという音が漏れていた。空気が漏れる音、まだ生きているようだ。

 でも‥‥首にこんな大きな傷があればもう助からない。

 今まで生きて動いていた人間が人形のようにもう動かない。

「生きるために殺したか」

 首に手を当てて穴をふさぐと、かすかにそんな言葉が聞こえて、驚いて後ろに下がる。すぐに空気の漏れる音はしなくなった。

 生きるために‥‥殺したか?

 彼女の最後の言葉がぐるぐると頭の中を駆け巡る。ヘティス達は生きていくために食事を殺していた。今の俺達はそんなヘティス達に殺されないように、生き抜くために殺しをした、とラムタフは言った。でも、本当に殺してしまう必要なんてあったのだろうか。


「なんでそんなに不機嫌なの?」

 町へと帰る道、気を失ったお姉さんを背負い黙って歩き続ける俺にラムタフが言った。

「別に」

「何でだよ、眉間にしわ寄せて別にって事は無いだろ」

「‥‥」

「あの三人が死んでからそういう態度だよね」

「そうかもな」

「僕は殺し屋なんだよ」

 そんな事は聞いて知っている‥‥知っていたけど。

「‥‥」

「何もしないであのまま食べられろって言うんだろ」

「そんな事は言ってない!!」

 分かっている、ああする方法が必要だった事ぐらい分かってる。 

 何もしなければラムタフの言うとおり遅かれ早かれ、そのまま食べられるのを待っていただけだ。だからラムタフは自分達の身を守るため相手を殺した。

 自分の身を守るため、当たり前。でも‥‥殺していいって言う理由にはならない。

「そんな事は‥‥ただ、簡単に人なんて殺しちゃだめだ、俺達にはそんな権利ない」

「権利?」

 殺しちゃいけないって事が権利という言葉で片付けられはしない事は分かっている、でも言いたい事を表す言葉なんて見つからなくて、聞き返すラムタフの疑問を無視して続きを話す。

「それでも簡単に殺すというのなら、俺はお前とは、もう一緒にいられない」

 止めるとかそういう行動はとらずただ別れる。これは逃げだと分かっている、でも目の前で躊躇もなく人を殺せるラムタフを理解などしてやれない。側にいられるはずもない。

「‥‥分かった。人は殺さない」

 一瞬沈黙をした後、低い声でラムタフはそう言った。

 振り返らなかったので表情はわからなかったが、ラムタフは了承したらしい。


 ★★ ☆☆☆☆


 朝になって何事なかったように目が覚める。

 体の異臭や一階での争った跡が何事もなかった事を否定していた。

 染み付いた臭いがあの光景を思い出すきっかけになり、気が狂いそうなぐらい朝から体を洗う。

 何度洗っても臭いが落ちた気がしなかった。

「夢じゃないんだな」

 止めていた蛇口を最大まで回すと、声が外に漏れないようにシャワーの中で涙を流す。

 自分を殺そうとしていたが、会話もしていた人間が一瞬で殺されてしまった、そんな相手を悲しんで流す涙ではなくて、自分が全く知らない世界がただ怖くて、怖くて。怖さに自覚して流す涙だった。

 自分の勇気のなさを誰にも感じられたくなくて、俺は早く止まれと自分に言い聞かせていた。

「おはよう」

 長い風呂から出ると待っていたようにお姉さんが立っていた。

「おはようございます‥‥」

 泣いていた声を聞かれたかと驚いて、小声になるが、視線はどうしてもヘティスが噛み付いていた襟元へ。

 お姉さんは首の治療も消毒程度の簡易なもので済ませ、傷口を隠すように襟の高い服を着ていた。

「思い出そうとすると頭が痛いの」

「昨日は怖い事たくさんあったから」

 彼女の頭の中はちょうど夜の出来事がほとんど消えているらしい。

 人の頭脳とは都合の良いように記憶操作できるようだ、あのまま昨日の出来事を覚えていれば普通の神経じゃ冷静で居られない。目の前で人が殺されたのだから。きちんと記憶があればきっとラムタフの事だって普通に接する事は出来なくなるだろう。

 俺も普通に接せられないのだろうか‥‥。

「人食いに連れていかれたとこまでは、分かってるんだけど。場所が。それにどうやって帰ったかもねぇ」

 頭を抑えうずくまる。

「怖い事は無理に思い出さないほうがいいと思うよ」

「子供なのに大人みたいな事言うのね」

 フフフとお姉さんは笑った。

「大人ですから」

 笑顔で言葉を返す。

 

 この島には、外部と通じる列車の止まる駅は一つしかないらしい。

 お姉さんに正しい道を教わって、唯一の駅へ向かおうと町を後にした。

 結局、朝から町を出ても駅にはたどり着かない。

「迷ったね」

 道を見失ったラムタフがポツリといった。

 その視線は俺のせいだといわんばかりに俺を見てはいない。確かにラムタフの言うとおり正しい道を歩くべきだったのかもしれない。まさか‥‥がけから落ちる事になるとは。

 数時間前、昨日の冷酷な殺人者のラムタフの事を考えながら教えられた方角へ向かっていた。道は、道とは全く呼べない草むらで、踏むと少しだけ地面が硬くなっている事がようやく道である事が分かる程度のものである。これならどこを歩いていたって方角さえ同じなら大丈夫だろうと何も考えず進みだした。

 なぜかラムタフは先頭には立たずに俺の後を無言でついてきていた。

 気が向けばいつでも殺せる位置に立っているのだろうか、何も言わないのは何か企んでいるからではないだろうか、そんな考えばかり頭の中に浮かんでしまう。

「テス」

「なっなんだ」

突然呼び止められ、びっくりして声が裏返る。普段と変わらない声のリズムに無理やり戻すため一つ間を置いて空気を吸う。

「獣道からそれてるよ」

「あ‥‥大丈夫だ、方角はこっちだったろ」

「何のための道なのさあ」

 ぶつぶつとラムタフが後ろで言っているのが聞こえた。

 その言葉にどきりとする。機嫌を損ねただろうか。

 後ろを気にしつつ先へ進む、気分を害したような表情はせず、黙って俺の後をついてくる。

 しばらく沈黙の中進み続けた。

「テス!!そっちに行ったら危ないよ」

 長い沈黙を破ったのはラムタフの怒鳴り声。

 何が危ないというのだろう‥‥そう考えながら周りを見回す、今まで歩いてきた山道と全く変わるはずもない。木と木が乱雑に生えていて隙間を埋めるように小さな植物と岩が見える景色すべてを埋め尽くしていた。

「そっちに行ったら危ないよ」

 その声と共に首元に当てられる冷たい刺激。初めて会ったとき顔を傷つけたタガーの感触、鋭利な刃物が突き刺され横に引かれる。その一瞬の間に今まで生きてきた命が終わるのだ。そんな妄想が頭をよぎる。もしかすると「危ないのは僕。人気のない場所に進んでいったら死んでしまうよ」と言っているのだろうか。

 あいつは殺し屋なのだから。

「だから‥‥」

 いらいらとした口調が俺を走らせた。

「え、まって危ないって」

 そう言いながらラムタフも追いかけてくる。追いつかれたらきっと殺される。 

 走るスピードがどんどん速くなる。足元よりも後ろを気にして逃げ出した。

 突然視界が開けた。前方に木は無い、それどころか地面だって無い。

 足元は崖になっていた。

 そのまま重力に従い下へと落下する。

 肩に膝に体に‥‥痛みが走る。突然の事で受身も出来ないし体をそのまま打ちつけた。

「大丈夫~」

 気の抜けた言葉が体のしたから聞こえた。ラムタフが下敷きになっていた。

 俺の後ろを追いかけていた奴が何故か下敷きになっている。

 あわてて転がり体を退かす。

「大丈夫ってお前‥‥」

 なんで、俺の下敷きに?

「だって僕の方がちょっとばかり丈夫だからね。でもよかったテスが平気で」

 にっこり笑って立ち上がり、俺の手を引いて体を起こしてくれた。

 見上げれば、さっきまで歩いていた道ははるかに上である。

 ラムタフが下敷きになってくれたおかげで、あの高さから落ちたのに体はそんなに痛くない。

 俺を殺そうと思えば、あのままがけから足を踏み外して落ちるのを見ていればよかったはずで、下敷きになる必要は無い。こうやって手を引いて助ける必要もないだろう。

 ラムタフに助けてもらうのは二度目になる。どちらとも俺を庇えばあいつに不具合が生じるものばかりで得になるとは思えない。だから、理由は分からないが、ただ何も考えず俺を助けるために動いているのだと分かる。殺す気配は全く感じられない。

 俺は何に怯えていたのだろう、最初からラムタフは「自分は殺し屋だ」と言っていただろうに、同い年という幼さと無邪気な笑顔にその言葉を信じていなかった、そしてその言葉を忘れていた。

 言葉が本当だという現実を見せ付けられて、とまどって怖がって、ラムタフから逃げた。

「落ちたせいで方向分かんなくなっちゃったよ」

 困った表情でラムタフが言った。

「バカだなあお前。崖に向かって歩いてたんだから、崖を背にして歩けば問題ない」

「そっか~頭いいんだねテス」

 すぐに笑顔になって先に進みだした。

「よかった。テスが元通りになって」

 ラムタフが笑顔のままそう言った。

「はぁ?」

「だって、昨日からずっと怖い顔してるんだもの。怒ってるのかと思って声かけ難かったの」

「‥‥」

 黙って後ろについていたのは、俺の機嫌を伺っていたからか。

 ラムタフは初めて会った時から全く何も変わっていない。最初から分かっていた事だし、改めて怯える必要は無いだろう。

 それにもう人は殺さないって言わせた。

 一人で想像して、怖がって怪我して‥‥。

 俺はやはり子供だなと改めて実感した。

「ごめんなラムタフ」

「どうしたのテス」

 俺の言葉にラムタフは首をかしげた。


 ★★ ☆☆☆☆☆


 そうして夜になり、山の中を迷子のように彷徨い歩くと、洞窟が見つかった。

 いかにもここで野宿してくださいと言わんばかりに、口を開けている。

「今日はここで野宿だね」

 ラムタフが洞窟の意思に感化されて中に入った。

 中はそんなに広くなくて、すぐに行き止まりだった。まあ、雨が降ったら濡れなくて済む程度だな。

 適当に小枝を集め火の魔法を唱える。

「松明にもなるし、火も熾せるし便利だね」

 ラムタフは魔法が気に入ったみたいだった。陣を描くときは楽しそうに眺めている。

「本来は武器なんだよ。便利アイテムじゃない」

 そう言いながらラムタフを見る。相手はバカみたいに笑っているだけだった。

「あれ」

 ラムタフの後ろの壁に画が描いてあるのに気がついた。

 よく見れば、古代文字らしきものも書かれている。座ったらちょうど目線が合うそんな位置にたくさん書かれていた。

「落書き?」

 何も知らない人間が見たらそう思うだろう。色んな形が乱雑に壁を敷き詰めていた。

「いや、多分古代文字」

「なんて書いてあるの?」

 側により確かめる。

 確かに古代文字だがすべて読めるわけではない。しかもこれは言葉を象徴する絵が重ねてある、魔法陣にしか見えない‥‥文字を重ねて陣を作ろうとしている跡に見えた。

「信頼‥‥滅亡‥‥独占。希望、孤独」

 分かる言葉を選んで読んでみる、飛ばしていると言っても順序からして適当に書いたとしか思えない。一体何を作ろうと思ったのだろう。

「この絵は?」

 信頼と書かれた文字の上にある陣を指差してラムタフが言う。

「この絵はラグって言って、信頼の陣だ」

「じゃこっちのは」

「これはセト。焦りとかそんな意味だった気がする‥‥」

 そんな適当な説明でも目を輝かせてラムタフは聞いていた。

 そういう目で見られると優越感に浸れる。調子付いた俺はラムタフに講義を始めていた。

「この、孤独っていう陣に十字を入れると‥‥友情になるんだぜ。簡単に覚えられるだろ」

「二人居れば孤独じゃないって意味かな」

「二人?」

 俺の言葉にラムタフが笑う。

「例えばね十字の線の一つがテス。もう一つが僕で二人でしょ」

 確かに、人と人が重なって友情‥‥。面白い考え方だ。

「僕はテスと居れれば孤独じゃない‥‥」

 地面に描かれた孤独という陣に十字を入れてそう言った。

「さあな。創った人間の意志まで分かんねーよ」

 自分が教えたわけだが友情という言葉が、なんだか恥ずかしくて俺はその一言を言うとラムタフに背を向けて横になる。

「明日こそヴィアハム行くんだから、もう寝るぞ」

「えー」

 ラムタフの不服そうな声に耳を貸さず目を閉じる。

 俺が居て孤独じゃない、そんな言葉がいつまでも頭をぐるぐるしていた。


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