誘拐列車
魔法を使う王子様と人殺しを行う少年のお話‥‥なのですが、残酷な表現も、魔法陣も次話以降となります。なかなか魔法使わないんだよ、この王子様‥‥。
気が付いて、目を開けると薄暗い場所に放置されていた。
目を開けても、閉じていても景色は同じ真っ黒なのだから薄暗いというのは間違っているのかもしれない、正しく言うと真っ暗な場所だった。
ここが外なのか室内なのかは分からなかったが、肌から感じられる冷たさで、床は石で出来ている事だけはなんとなく分かる。
手と足は動かせないように左右を交互にした上、紐でこれでもかというぐらい強く縛りつけてあるようだ。動かすと痛みとともに締め付ける。指先はしびれて感覚がなくなり自分の意思で動かす事すら出来ない。
ここは真っ暗で確認することは出来ないけれど、きっと紫色に変色している事だろう。
足は無理な体勢のまま止血状態で放置してあったのだから、もしかしたらしばらくは歩く事さえできないかもしれない。
いったい俺が何をしたというのだろう。ただ道をまっすぐ歩いていただけなのだ。
確かに、その時は、目的地を見失いふらふらとしていたのだから、まっすぐ前に進んでいたわけではなかったと思うが、こんな目に合わされる筋合いは全く無い。突然後ろからの白い物で視界を奪われ、そのまま前に押し倒されると、手と足を縛られ、後頭部を強打された、薄らいでゆく意識の中確認できたのは相手の顔ではなくて、自分の口を縛る誰かの手だけだった。
周りに人の気配はない。まぁ居たとしても自分をこんな目に合わせた人間の仲間だろう、助けを呼んだとしても無駄な行動だとは分かっていた。
ここで俺の一生は終わるのだろうなぁと諦めると抵抗する気力さえ出てこなかった。
生まれ育ったアリティーヌの城を捨てるように出てきたのは、昨日の事だった。原因はほんの些細な事、くだらない親戚との口論であったが、あんな奴らと同じ空気を吸っているのが嫌だったため荷物をまとめて飛び出してきた。
俺の名前はテストリアトーマスジーク・S・アリティーヌ。将来セント帝国アリティーヌ州の公主となる予定の男である。
だが、年齢はまだ13歳。父も母も健在で、自動的に主の椅子なんて下りてきやしない。もし死んでいたとしても、正当な後継者となるSとNの血族はまだたくさん存在している。数年は王様なんて全然なれない年齢だ。もし公主になれたとしても、純血と深き緑の瞳を大切にするこの一族の人間は、ほんの少し多種族の血が混ざっている俺の事をよく思っていない人間ばかり、こんな幼さでは味方すら少ない。
今の自分の世界はほんの一握りの人を除いて、皆敵だった。
だから些細な事で憎しみ合う。
俺はそんな小さな自分も嫌だった。
だから対等な関係が作れる大きな器を安心した環境で育てたくて、安心できる人の所へ行こうとしていた。
目的地はヴィアハム城。
そこの公主フィア様は母方の親戚で俺の名付け親でもあり、一番心許せる人だった。器を育てろと俺に教えてくれたのも彼女である。
その途中の森で道に迷い、ふらふらしている所を捕まえられて今に至るわけだが、他人に頼ろうとした弱虫の心に神様が罰を与えたのだろうか‥‥、将来公主になる男がこんな薄暗いところで、一生を終えるとは。
大人しく城に居て我慢していればよかったのかと後悔ばかりが頭をよぎった。
しばらくすると、いつのまにか周りに居た男が移動だと言い、目隠しをされた。
動かないように縛っていた足を開放し、無理やり立ち上がらせる。
しびれた足はちゃんと感覚がつかめなくて、膝の脱力感が抜けず歩くどころか立っている事すらできない。
「なんだ。足痛めたのか」
後ろから困ったような声をかけられ、不意に体が持ち上げられた。腰を支える手、腹部に当たる肩の感覚からして、荷物のように担ぎ上げられた様だ。
そのまま運び出される。布越しに暖かい太陽の感覚が分かり、外に連れ出されたのだけは理解した。
そして、すぐにまた地面に下ろされると、ガタンと地面が揺れた。
床と壁を伝わって、一定のリズムで震動と機械音が聞こえる。
この音は‥‥列車の音。
目は見えなくても音と震動でなんとなく分かる。列車に乗せて何処へ連れて行こうというのだろう。場所の把握がしたくて、外の景色が見たくなった。
目隠ししているこの布が邪魔だ、ならば。
壁に寄りかかっていた頭を床に擦り付け、目を覆い隠している布を少しずつ、ずらしていく。
頬が擦れて痛いとか、床が汚いから顔が汚れるとかこの際おかまいなしだ。どうせ殺されるんだから、最後に少しでもあがいてみたくなった。っていうかただ今は外が見てみたいだけなんだけど。
列車なんか乗った事ないし、どんな景色がどんな風に動いていくのかとか、気になる事がたくさんだし見てみたい、それから死んだって神様は怒らないだろう。
布にまつげが押し上げられるうっとおしさがなくなり、目を覆う布が眉の辺りまで移動した事が感じられたら、目を開ける。
そこは想像していた列車の景色ではなくて、木の板で囲まれた薄暗い空間だった。
貨物入れの中かよ‥‥。
拉致されている身、さすがに客室だとか上等な場所だとは想像していなかったが、窓もない箱の中だとは頭の片隅にも思っていなかった事なので、ショックは大きい。
ばかばかしい、なんだか動いて損をしたとそのまま仰向けに倒れこんだ。
「ざーんねんそう」
木の板の天井を見上げる俺に対して子供っぽい笑みを含んだ声がした。馬鹿にした口調に聞こえたのは気のせいだろうか‥‥。
「あんあぉ!!」
口に猿轡をされている事を忘れ、そのまま声に出した、「なんだと」と‥‥。思った通り発音されていない自分の声と開けた時の口の痛さで、口が開放されていないのを自覚した。
「ちゃんと喋れてないよ、あたりまえだけど」
くすくす笑いながら相手は俺の目の前にあらわれた。
声から子供だとは思っていたが、自分と同い年ぐらいの小さな子供が目の前で笑っているのだ。いや自分より幼い感じがする、もしかしたらもっと年下なのかもしれない。肩が出るぐらいの大きな上着が腹部と尻を隠す、そうかと思えばズボンは膝がようやく隠れるぐらいの短いものだ。頭は大きな帽子を耳と眉が隠れるまで深くかぶる。
衣服のほとんどがワンサイズ大きな気がした。
子供相手におこっても仕方ないと無視していると相手はタガーを取りだし顔の側面に這わせる。刃物の冷たい先が頬に当たってなんとも嫌な感じである。
このままこいつは俺を殺すのだろうかと思えたらなんだか無償に腹が立った。このまま無抵抗のまま殺されるのは勿体無い、動けないはずの手と足を動かして体の位置を変える。
タガーは口を覆っていた猿轡と頬を軽くえぐると、地面に落ちた。
「危ないなぁ」
突然動いた俺に対して、驚いてもいない口調で相手は言うと落ちたタガーを拾った。
「危ないと思うならそんな物持つな」
「確かに」
相手は笑って腰の後ろにタガーをしまう。
拍子抜けだ、俺を殺さないのか?
「俺を殺そうと思ってたんじゃないのか」
「なんで?口が痛そうだったから切ってあげようと思っただけだよ。動くから顔まで切れちゃったけどね」
頬からにじみ出る血を指差して相手は言った。顔まで切れたと言われると気にしていなかった痛みが押し寄せてくる。痒いような痛みが、傷の浅さを証明していたが顔が切れたという感覚は良いものではない。
「ねえ。誰もいない様だから逃げようよ」
俺を拘束している手の縄を切ると相手は突然そういった。薄暗くて目視はできないが周りを見渡して他に人がいる気配はまったくしない。こいつのお陰で自由になったのだから、大人しくここで転がってる義理はないはずだ。
「別に嫌ならいいよ」
うつむいてすぐに返事をしなかったためか、無視されたと思い相手は立ち上がり先に進む。
「逃げないなんて言ってないだろう」
その言葉に笑顔で奴は微笑んだ。
列車に運び込まれてからそんなに時間はたってはいなかったが、しびれもとれ、足は不器用に動くようになっていた。
「すぐ外なんだから、飛び降りたら列車はこのまま進んでいって、僕らは簡単に逃げ出せる」
出口と思われる扉を二人で引いた。手は若干痛くて力が入らなかったが、しばらくすると気にならなくなった。ゴゴ‥‥という音とともに左に扉がゆっくりスライドしだす。進行方向と逆だから思った以上に重い。精一杯力をいれてるのにこれ以上スピードが増す事はなかった。
扉が開くにつれて外の風が中に吹き込んでくる、実体のないはずのものが顔や体に叩きつけてくる。余計に扉を開けるのが困難になる。
「ちっ、こんな重労働してまで逃げる必要あるのかよ」
そんな言葉が小さく口から漏れた。
「ほらほらがんばって、半分まで開いたんだから」
確かにまったく閉ざされていた扉が外の景色を見せるようになっていた。流れるような外の景色‥‥。
「ちょっと無理っぽくないか」
当然の事ながら外は列車の速度に応じた速さで視界が変わっている。左から右に色が流れていく、色の元が何だったのかわからないぐらいに速く。このまま飛び降りたら怪我だけではたしてすむのだろうか、このスピードと変わらないぐらいの速さで命が根こそぎ持っていかれるのではないのだろうか。
「ちょっと怪我するだけだよ」
ちょっとの怪我、怪我、ケガ、けが。死ぬのよりも痛いほうが嫌に決まってる。
「怪我もしたくないの」
このままこいつをここに立たせては危険だ、きっとこのまま飛び降りる、そう思って奴の手を引き数分前に自分が倒れていた場所まで戻る。
「むー、降りたらすぐなのに。じゃあ逃げるのなら列車止まらないとだめ‥‥?」
頬を膨らませて不服を表情で訴えながら言う質問に俺はうなずいた。
「列車を止めるのなら、運転席」
どっちにしてもこの場所では何もできない。ここから飛び降りるぐらいなら運転席まで歩いて行って、運転手の目を盗んで列車を止めるほうが、間違いなく痛くない。
「運転席。じゃあ前かなぁ」
唯一の出口から顔を出して振り向く、のんきな声をだして相手はそのまま外に出た。
「おい!!」
落ちたのか?消えた姿を慌てて追いかける。
追いかけるといってもそのまま外に飛び出すなんて事はできなくて、顔を少し外へ出した。
向かってくる風が額にたたき付け目など開けていられない。扉につかまり体を支え無理やり目を開くと、奴は側面に虫けらの様に張り付いて前に前に進んでいた。
前に行くには、この方法しかない。かなり危険な脱出劇。
一歩間違えれば、飛び降りたのと変わらない結末になるだろう。
「まじかよ」
ただ見ている間にあいては角までたどり着きそのまま見えない位置に移動した。このままでは置いていかれる‥‥そう思った俺はとりあえず同じように前に進むため壁の出っ張りをつかみ、足をかけ、壁に体重を預け外へ出た。
前から吹き付ける風が自分すべてにぶち当たり目を塞ぐ、少ない出っ張りで体を支える指が痛い。吹き付ける度に徐々に力が抜ける、風が無力な俺を側面から引張り下ろそうとしているようだ。少しでも気を抜いたらびゅうと言う音とともに弾き飛ばされてしまうだろう。
指だけではない、足を乗せている出っ張りも体を支えるのに十分な面積は持ってはいない、だから指に余計負担がかかるのだろう。なんで、こんなところ進んでいるんだか俺は‥‥そう思いながら、先に進んだ。
角を曲がると吹き付ける風が体を安定させてくれる。
先に行った奴が俺の姿を確認し笑顔になる、もしかして待っていたのだろうか?
前の車両に行くには少し間が開いていた。足の下が流れていて、地面の姿が全くわからない。線路の形が目で追えない。
馬に乗っていても地面の小石ぐらいは確認できるのに、列車ってやっぱり早いのだなぁと改めて実感する。
手を伸ばせばちょっと足りないぐらいの距離なのだから、簡単に飛び越せるはずなのに、ただ前に向かって跳ぶ方向と逆に流れる風景の速さが怖くて、足がすくんでしまっていた。このまま跳んだら落ちるだろう。いや落ちないかも知れない。
そんな俺の気持ちを知ってか知らいでかあいつはためらいもせずに簡単にぴょんと前の車両に飛び移った。
「お先に」
向こうへ飛び移る際のその一言が、意気地なしだと言われた気がして、無性に腹が立った。でも、実際そのとおりで、あいつは向こう側に移り、臆病な俺はまだこの場所から離れてもいない。
このままではただの臆病者になってしまう。俺より小さなあいつにできた事、俺にできない事はないはずだ。自分に言い聞かせ前の車両に飛び込んだ。
「いらっしゃい」
倒れこむ形で飛び込んだ俺の手を引いて起き上がらせる。その一言がさっきと違い、うれしかった。
「おぅ」
照れ隠しにその一言だけ語ると視線をそらし先に進む。
後ろでは奴がにやにやと笑っている事だろう。
「ここは馬小屋か」
さっきまでいた車両とは違い大きな部屋なのだが、何か別の匂いがした。獣の臭いがする事から馬とか牛とかが乗せられているのだろうと確信していた。
「みたいだね」
馬の姿を確認し、奴はにやりと笑う。
「脱出できておめでとう僕ら」
「なんだかゲームみたいだな」
「ゲームみたいだね」
えへへと楽しそうに笑う。
「おまえ気楽だなあ」
そういってから思った、まぁ俺は必死で逃げ出そうとしているわけだが、つかまったとしてもまたあの中に戻されるだけだろう、死ぬ事はたぶんない、また逃げ出すチャンスをうかがえばいいだけだ。ゲームって考えたら気楽に進めるかもしれない。
こいつも、そんな気分なのだろう。必死でやれば成功する確率はどんと高くなるが同時に発生する焦りで失敗する確率も高くなる。ゲームだという気楽さがここではきっと重要なのだから。
「そういえば名前‥‥まだ知らなかったな。俺はテストリアトーマスジーク・S・アリティーヌ」
「テストリア‥‥??」
いつもの事である、俺の名前は長い。初対面の人間ならば、ほとんどが聞き間違え、聞き返さない。こいつも例のごとく前半分を繰り返すとそこで止まっていた。
「テストリアトーマスジーク」
分かりやすいように名前の部分だけ今度はゆっくり伝える。
「長い‥‥名前だよね」
顔をしかめながら無理やり笑顔を作って奴はそう言った。
「そう長い名前。でも世界で一番好きな人が付けてくれた名前だから、長くても満足してる」
「名前って両親がつけるんじゃ」
相手が何か言うが気にせずに続ける。
「でもさ、その人はテスって呼んでるけどな、でお前は?」
これ以上答えるつもりのない質問をされたくないと考え、相手に対し名を尋ねた。
「僕は‥‥ラムタフ」
話が自分に来た事で驚いた様子はあるが、素直に質問に答える。
「珍しい名前だなぁ、で聞きたいんだけど、お前いくつなの?」
そして本当に聞きたい事を尋ねてみる。
「年‥‥13だけど」
「何?俺とタメ!?俺よりちびっこいから年下かと思ってたのに」
口ではそういうものの、実は年上じゃないかと期待していた。俺より度胸はあるし、運動能力もきっと上だろう、見た目こそ同い年か下だが、実際は年上‥‥などという甘い夢を見ていた。
しかし現実はやはり甘くない。思ったとおりの同い年、少し悔しかった。
「僕は同じぐらいって思ってたよ。だから一緒に逃げようって声かけたの、一人よりかは二人のほうが楽しそうでしょ」
「そうかな」
ただそいつはのんびりと「そうだよ」と答えた。
変な奴‥‥。
次の車両には先ほどみたいに飛び移る必要は無くて、歩いて渡る事ができた。牛車は人が出入りできても、貨物車には客が出入りできないようにしてあるのだろう。重い扉を開けて中に入り込む。中には人がぎっしり詰め込まれていた。
三等客室っていうところだな。
乗客は乗っていると言うだろうが、詰め込まれているという表現が正しいと思った。椅子と人間の数が合わず、はるかに人間の数が多すぎた。まあ、人は多いほうが、逃げている自分達には都合がいい。
「こんなに人が居るんだったら、分かるわけないよなぁ」
「そうだね」
とは言ってみたものの、俺らが見つからないという意味で言ってみたが、よく考えれば自分だって相手が分からないのだから隠れようが無い。何しろ後ろから袋をかぶされ、強打。後に拘束。移動の際も目隠し猿轡。犯人の顔など見ている余裕は無い。ラムタフは分かっているのだろうか。
通路に座り込む人をまたいで、立ちっぱなしの人の間をすり抜けて、前へ。
同じ場所から進み始めたのに、気がついたらラムタフの方が先へと進んでいた。俺はどうやら置いていかれているらしい。さっきといい、今といい同い年の子供より劣っているなんて思いたくない。
慌てて俺は前に突き進む。
道なんて存在しない、隙間を見つけ入り込む、汚れた衣服の男を押しのけ、繋いだ子供達の手を引き裂き先へ。後ろからは道作りに退かした人間の苦情の声がたくさん聞こえた。
「お前らどこへ行く?」
床に座り込んだ男の前を通りすぎる瞬間声をかけられた。
「‥‥前に用事があって」
声がかけられただけで体が緊張し、不自然な言葉を吐き出す。なぜか他の人間達の様に気にしないで進むなんて出来なかった。
「そうか」
気にはなったが、相手はそれ以上何も言ってこなかったので振り返らずに前に進んだ。
「おそいよう」
次の車両の扉を開けるとラムタフが待ち構えていた。
俺が遅いんじゃなくて、お前が早いんだって。そう思いながら後ろ手で扉を閉めようとするが、何かがつっかえて閉まらない。
なんだと見上げれば、さっきの声をかけてきた男が挟まっていた。
「うわぁ」
まさかついてきているとは思ってもみなくて、驚いて飛びのく。閉める俺の手から開放された男は客室内に入り込んでくる。
「お兄さん、捕まえに来たの」
ラムタフの目つきが変わる。姿勢を低くして腰のタガーに手をかけた。
こいつ応戦するつもりだ。こんなところで争っても俺達に勝ち目なんて無いって。
ラムタフの手を掴み前の車両へと走り出す。
「何するんだよ」
「バカかお前。こんな場所で大人相手に戦って勝てるわけ無いだろ。逃げるんだよ」
さっきまでの三等客室とは違い、通路まで人は居ない。障害が無い分逃げるのも好都合だが、追いかけるのも容易い。前の車両、又前の車両へと走り出した。
個室が続く車両へと出る。四つしかない扉はすべて閉まっていて、廊下には人の気配は無い。
問題は無い。逃げるならもう少し前だろう。
「まって‥‥」
そんな俺の手を引いて、ラムタフが一番手前の個室に入り込んだ。少し広めの個室には誰も居ない、身を隠すのにはなんら問題は無かった。
思ってた以上に上がって収まらない呼吸を無理やり止め、座席の後ろに身を隠す。壁と座席の間には、子供が座り込めるスペースが開いていて、そこに入り込むと入り口からは全く姿が見えないようになっていた。無論、見えないという事はこちらからも入り口の動きがさっぱり見えない。
自分のゼイゼイといった粗い呼吸音が耳につく。
どうしてこいつは息が上がっていないのだろう。喉が張り付く不快感を唾を飲み込むことで解消すると、隣に同じように座り込むラムタフを見て思った。
公主になった時のために「戦争なんて厄介な事になったら負けないように体を鍛えましょう」と先生に言われ、嫌だったが面倒な訓練も一通りやっていたつもりだった。決して自分の体力が他人より劣っているとは思えない。
まだ収まろうとしない自分と、全く呼吸を乱していないラムタフ、体力の差は目で確認できた。
「大丈夫かな」
「‥‥どうだろう」
俺の息が整うとラムタフが目を輝かせて聞いた。瞳は大丈夫ではない状況を楽しんでいる様に見えた。むしろ大丈夫じゃないほうを望んでいるようにしか見えない。
しばらくすると乱暴に廊下を走りぬける音がした。追っ手が来た。
足音は真っすぐ前を通り過ごして前の車両の方へ消えていった。
ひとまずは安心か‥‥。
「第一回目無視」
シートから顔を出して外をうかがう。入り口の扉は開く気配は無い。
ラムタフの言う『第一回目』という言葉が嫌だった。
その言葉の指し示す意味は、一度前まで行った相手が戻ってくるに違いないと考えているのだろう。当たり前だ。俺が敵だって目的のものが見つからなかったら、戻ってくるに違いない。当然入り口から意識は離せないなと思った。
走っていった方向からまた足音が戻ってくる。今度は扉を開ける音と他の個室の人間と話す声までする。一室ずつ調べているのだろう、そんな事をされれば、ここもすぐに見つかるに違いない。
かちゃりとゆっくり扉が開かれた。
にごった音では無い、他の場所で扉を開ける音ではなくこの部屋の扉を開ける音である。自分達が隠れている場所だと思うと、心臓の音が一気に早く鳴り響いた。
見つからないようにシートの下に身をかがめ、相手が通り過ぎるのを待つ。
姿は見えないため、音だけを頼りにしながら‥‥。
「ここも居ないか」
よく探しもしないで相手は部屋の外に出て行ってしまった。
おかげでこちらは見つからなかったが、あんな適当な探し方では日が暮れてもみつかりっこない。
「第二回目見落とし」
不服そうにラムタフが言う。見つからなかったのだから、喜ぶのが普通だろうが、奴の表情は言葉どおり不服に満ちていた。
音がゆっくり遠のいていくと、何とか見つからないように個室から出る。全くつまらなさそうなラムタフの表情が気になったが何か言うと自分からトラブルに飛び込んでいきそうな気がして、黙っていた。
前の車両へと続く扉に手をかけ、人の気配が無い事を確かめて外に出ると、風が横から体に吹き付けてきた。今まで車両の外を歩いて来たが、風の吹き付ける強さが違う事に気が付く。前方の車両は今までのより大きさが少し小さくて形が違っていた。
見るからに客室の車両ではないと分かる。
ラムタフが軽快な足取りで先の列車に入り込む。
「おい、まてよ」
俺も慌てて後を追った。
中は狭くて暑かった。蒸気が噴き出すエンジンとオイル塗れのメータが、暗い車両の中目に付いた。男が石炭の山の中にスコップをつっこんで、燃える火の中に投げ込む。
その光景は間違いなく機関室。
「あっ行き止まりだ」
当然先頭車両なのだからこれ以上前には逃げられない。
「どうするよラムタフ。これ以上前にはいけないぞ」
「なんでだよぅ、列車止めに来たんでしょ」
俺の質問に、なぜそういう事になったのか疑問を唱え、もともとの目的をラムタフが語る。そう言われて気が付いた。当初の目的はここから逃げ出す事、走る列車から飛び降りるのが恐くて、列車を止めてから外に逃げようって決めたのじゃなかっただろうか。
では、目的通り列車を止めよう。そう考えて運転席を探し始めた。燃料の加減をこのおっさんに伝えなきゃならないんだから、運転手はこの近くに存在しているはずだ。
「でも、まってテス」
「なんだよ」
「で~も~さ~今止めて逃げ出したら、あの人たち追っかけてくるよね」
僕はそれでもいいけどとラムタフは笑って答えた。
それは‥‥まずい。でも他に方法が考えつかない。ここでじっとしていて捕まるのを待っているのはごめんだ。
「じゃあどうするんだ」
ここの熱さのせいで、どんどん焦りが増してくる。
「こら、くそガキ。こんな所にいたら危ないぞ」
俺とラムタフのやり取りが聞こえ、存在に気がついたのか、スコップ担いだ男が注意する。
「うるさいなおっさん。別にいいんだよ」
こんな所じゃないほうがかえって危ない。
「駄目だ。出て行った」
俺の気持ちなんて全然分かってないおっさんはそういいながら無理やり俺達を追い出す。
「あーあ。追い出されちゃった。どうする強行突破?」
おっさんを強行突破?追っ手に対して強行突破?どちらに対してするつもりかは言わない。どっちにしてもこいつはきっと嬉しいのだろう。いやらしく笑うラムタフはほっといて、でもここに居れば捕まるだろうし、次の行動を考えなければ‥‥。
そんな時、車両の入り口の横に上へと続くはしごがある事に気が付いた。自然と瞳がそこに釘付けられる。
屋根の上‥‥か。
「さっきの個室で待ち伏せしようよ」
ラムタフが立ち上がり先に進もうとする。
「まてよ。上へ行こうぜ」
「うえ?」
ラムタフはぽかんとはしごを見上げた。
上といっても単純な物ではない、屋根の上は前方から来る風をさえぎる物が全く無くて、直接体にぶち当たる。バランスが保てなくてふらふらしながら屋根の上にはいつくばる形で上がる。
ラムタフは平気そうで、座るために起き上がる俺の手を引いてくれた。
ここでも俺はこいつに劣っていた。
「とりあえずどうするの」
耳元でラムタフが言う。この流れる風の中、こうでもしなきゃ聞こえないのだろう、分かってはいたが、なんだか嫌だ。
「とりあえずはここでじっとして、次の駅についた時逃げ出せばいいって事だろ」
上に上がったものの、次の行動は全く何も考えてはいなかった。
とりあえず待機。それが今考えつく行動だった。
「えーーー。ここで?」
つまらなさそうにラムタフが抗議する。でも俺に進む意思が無いのが分かると、進行方向に背を向け何も言わずに座り込んだ。快適とはいえないが、立ち上がったり暴れたりしなければ、風の抵抗は思った以上に少なく、列車自体のスピードもあまり無いので、落ち着く事はできた。
それに、景色が見える。さっきの物置とか客室とは違い、すべてが見渡せた‥‥それで少しは満足だった。何も邪魔が無く、ゆっくり遠くの景色が見る事ができる。
しかし全く見た事が無い景色である。一体ここはどこだというのだろうか。
のどかに広がる畑。突然視界に現われる森、すぐに流れて消えていく。
どこにでもある風景なのだが、どこにでもない風景にも見える。何も目印が無いのだから田舎の方へ向かっているのだろう。
そんな中、声が聞こえた。かすかだが男の声。迷いもせず真下からだとすぐに耳を屋根に付ける。
「本当なんだな。大事な売り物なんだぞ、そっちを探せ」
真下から聞こえる。列車が動いているから震動は分かりづらいが、この下の車両を走っているに違いない。
「聞こえたか?」
そう尋ねると、ラムタフはにっこり笑って頷く。
とりあえず、ここに居れば安心なはずだが、後ろの車両に行けば、もっと安心できる。そう思って動き出そうとした。
突然列車の進む方向が右へとそれる、見た目には分からない緩やかなカーブが続いているようだ。
わざわざ、こんなときにカーブに差し掛かるなんて、全く運がないようだ。バランスを崩さないように気をつけて後ろへ進みだす。
前方にはトンネルの入り口が迫っていた。
「立ってたら、頭ぶつけるかなぁ」
などとラムタフが緊張感の無い言葉を吐き出し、進む。頭をぶつけたら中身をぶちまけてすぐに人生の終わりだ。へらへらと笑って言う言葉では無いと思う。
屋根からトンネルの天井まではまっすぐ立っていても届かなくて、ラムタフの心配は問題ない。ただ、風の流れが渦巻くように変わる。
その時ラムタフがふらふらとおかしな動きをした、まるで風に飛ばされ座り込むように‥‥倒れる?
「おい。何やってんだよ!!」
ラムタフがバランスを崩してそのまま屋根から落ちていくのが分かり、俺はとっさに両手を別方向へ伸ばした。側面にぶら下がったままの状態でラムタフの手を握る。
片方は自分の体を列車に繋ぎとめておくために、列車の側面へもう片方はラムタフが飛んでいかないように、彼の右腕をつかんでいた。
「なんで、落ちるよテスも」
「うるさいよお前。しっかり俺の手につかまれよ」
とはいったものの、ラムタフとつながっている方はともかくとして、もう一方はただ掴んでいるだけしかなくて、何も出来ずにいた。このままでは力尽きて本当に奴の言った通りである。
何とか戻ろうとして腕を曲げるが自分とラムタフの体重に加え列車のスピードのおかげで上手くいかない。
だいたいこんなヒーローみたいな芸当が何で出来たんだか、自分に対して驚きである。奇跡的に出来たとしても、これ以上の事はできないのだろうか。
長い間ぶら下がっているだけの形になっていたが、目の前に差し掛かるカーブを曲がる事で二人の体が外側に引っ張られた。ラムタフを掴んでいる手も痛いが、もうかた一方の手も引きちぎれそうに痛くて、このまま離してしてしまおうかと思いはじめていた。
しかしそんな事をすれば、自分もラムタフも死んでしまう事だろう。自分は別に構わないが、ここで手を離したせいでラムタフまで死んでしまったら後々後悔するに違いない。
死んでも後悔しているなんて、ごめんだ。
そうこうしていると、真っ暗なトンネルの先に出口が見えた。抜け出すとそこは海の上で、長い長い橋が青の中へとまっすぐ伸びていた。向こうの大陸は全く見えない。
暗いトンネルから抜け出し、外が明るくなると列車の中から外が良く見えるようになる、追いかけている相手からラムタフが丸見えになっていた。
「やばーい目があっちゃったよぅ」
追いかけられている立場なのに、あまり慌てていない、先ほどから変わらないのんびりとした口調で自分の危機を俺に伝える。いや、もしかしたら、精一杯慌ててるのかもしれない。そんなラムタフを大人たちが窓から手を伸ばして捕まえようとする姿が見えた。
「テス~」
ラムタフが引きつった表情でこっちを見る。
ここの場所が分かってしまった以上、屋根に戻れたとしても、もうしかたがない、それなら‥‥。
「ラムタフ」
名前を呼ぶと分かってくれたように頷いた。
列車と俺達を繋いでいる手を離した。
下は海だ、運がよければ濡れるだけだ。きっと死ぬ事はない。そう思って手を離した。
しかしながら高い所から下に落ちる時はなぜか頭が下に向く、首から水にたたきつけられたならきっとこのままでは死んでしまう事だろう。何とかしないと、まったく今日はたくさん死にそうになる日だな‥‥。
ラムタフが俺を宙で抱きかかえるとタガーを抜いた。いったい何をする気だろう‥‥。
水面を真剣なまなざしで見つめている、その表情が少し怖かったので何をする気だという言葉が言えなかった。こんなちびっこい奴に情けない。
頭が水面に触れる前にラムタフがタガーをもったまま手を伸ばす。タガーが水に刺さる様に入水し、俺達も水の中に突っ込む。
思っていたほどの衝撃は来なかったがうっかりし水を少し飲んでしまった。
水面に顔を出すと、気管に入った水を出そうと自然とむせる。
そういえばラムタフがついてこない、どうしたのだろうかと辺りを見渡す。
水の上には自分ひとりだった。
「ラムタフ?」
水に落ちたときの衝撃が浅かったのは、あいつがタガーで水の抵抗をぶった切ったからだ‥‥一瞬の事で辛そうに見えなかったが、その手に大きな不可がかかっていたはずだ。手だけじゃない、あいつ自身にも大きな衝撃がかかった事だろう。
そのまま、意識を失って‥‥。
息が落ち着くのなんか待っていられない、そのまま水の中に顔をつけた。
水の中に、ラムタフがいた。目をつぶって頭を抑え動く様子がない。気を失って漂っているという感じではなさそうだ。
何やってんだあいつ?
俺はいらだってラムタフの近くまで潜ると両手を掴んで、そのまま引き上げた。
「死ぬつもりかよ」
「だって帽子が」
「はぁ!?帽子」
確かに見れば深くかぶっていた帽子がなくなっている。
あれだけの衝撃だ、飛んだんだろう。まちがいなく。
「みちゃだめだよぅ」
頭をじっと見つめていると、ラムタフはまた水の中にもぐる。
頭?頭が何かあるのか????はげでもあるのか‥‥それぐらい隠さなくても。というよりも、はげを隠してここで水死っていう事の方がよっぽど恥ずかしいと思うぞ。
深く潜った奴を、また水の中から引き上げる。今度は沈ませないように顔をがっしりと掴んで引き上げた。
白の綺麗な髪が顔にぺったりと張り付いている。嫌そうに髪の隙間から青い瞳がこっちを見る。ここから見る感じでははげは見当たらないが。
「ラムタフ。はげなんか見当たらないから」
とりあえず安心させようと見えるまま言ってみるとラムタフは「はぁ。はげなんてないよう」といった。
はげはない、じゃあ何で頭隠してたんだこいつ‥‥。
「テスは怖くないの」
湧き上がる疑問に対し首をかしげる俺に対しうつむいて言う。
「何が」
確かにさっきの表情は怖かったが、それをさしているわけではあるまい、意味がわからないので素直に聞き返す。
「この髪の色」
隠していたのははげじゃなくて髪の色か。何も混ざりのない白‥‥。
確かにこのセント帝国で金髪、青い目でなければ珍しい‥‥とは思う。しかし、俺達アリティーヌも赤髪・緑瞳でこの国では珍しい種族ではある。この広い帝国、特異な色素を持つ人間だっているだろうに、怖いだなんて思えるわけがない。
白い髪といえば自分の父親も同じ色だった、燃え立つ赤毛の一族であるにもかかわらず、色素がなくて真っ白の髪に生まれでた父親。白い髪という事は色んなものに抵抗する力がなくて、太陽の下に出ると焼け焦げて死んでしまうと常に日の光から遠ざかるように外を眺めていたっけ。
親戚は確かにそんな父を太陽に忌み嫌われた子と怖がり、側に寄れば呪われると近づく事もあまり無かったが、俺は太陽から身を隠し、疎々しい態度の親戚からも逃げるように身を隠す、なよなよした弱っちい存在の親父を別に怖いと思った事はなかった。
「別に、怖いって事はないし、珍しくも何ともないだろ」
こいつも、そんな境遇で周りの誰かに言われつづけたのだろうか‥‥。
髪が白いからって何も変わらない、こいつは俺の親父とは違い太陽の下でも普通に動いている、だだ髪が白いだけだ。人間年をとれば勝手に色が白くなる、全くもって問題ないはずだ。
「めずらしいよう、多分」
そういいながら、ラムタフは嬉しそうに顔を上げた。
この表情、もう髪を隠して水に沈むことも無いだろうと、顔から手を放してやるとラムタフは少し俺から離れ呟いた。
「ねぇテス。白い悪魔って知ってる?」
白い悪魔、ここ最近よく聞くようになった殺し屋の名前だ。依頼された殺しは確実にこなし秘密保持のため目撃者、関係者は問答無用で息の根を止める。それゆえ誰もその姿を見た事はない、ただ噂されるのは、月の光に照らされた髪が真っ白だと言う事。気づかずに横を通り過ぎただけでその人の一生が台無しになるという事。
誰も姿を見た事がないなんて噂が飛び交うのなら、誰が白い髪だって姿を目撃したって言うんだよ。いいかげんな話だなとは思ってはいたが‥‥。
「あ‥‥あのすれ違っただけで人が皆死んでいくって噂の殺人鬼か」
「うんそう。僕がそうなの」
「はぁ?おまえが?白い悪魔っていえば、髪が真っ白の殺し屋だ‥‥ろ」
と全面否定したものの、言葉がとまる。確かにラムタフは髪が真っ白なのだ。
「おまえは、殺し屋なのかよ」
「そうだよ」
‥‥ありえない回答を即答である。
俺と同い年で俺よりちびっこくて、肩が出るようなでかい上着を着てるこんな弱弱しそうな奴が噂の殺し屋????
「うそつけーーーー!!」
自分でも耳が痛くなるぐらい大きな声で一括である。
百歩‥‥一万歩譲って‥‥いやもっとかも、まぁ殺し屋として認めたとしても、噂の白い悪魔とまではいかないだろう。だいたい月の光に照らされるんだから金でも銀でも青でも白に見えるってんだ。白い髪とは決まってない。
「うそじゃないよぅ、うそじゃないんだから」
一括されても引き下がらないラムタフは、しつこく俺の右腕にぶら下がる。水の浮力で体重はまったく感じなかったが、嘘じゃないようと繰り返される言葉がうっとおしい。
「はいはい。信じます。信じます。信じます。‥‥でも恐くなんかないんだからな」
「信じてない気がする」
適当にあしらったのが分かったのか、ラムタフは不服そうに答えた。
だが、言葉を繰り返す事はやめる。
「そんな事よりもこれからどうするか、だよなぁ」
何にも無い水のうえで俺はため息をついた。
どうやって岸にたどり着こう?
何にも考えないで水の中に飛び込んだもの、周りには列車の線路を水の上に走らせている橋が続いているだけだ、ここをよじ登っていこうとしてもつかまる所は見当たらない、到底できそうもない無理な話だ。
「ここの橋沿いに泳いでいけば、次の列車の駅までいけるでしょ?」
何困ってんの?といいたげにラムタフが答える。簡単にそうだなといえる距離じゃないとは思うが、他に選択する道もない事だし、橋沿いに次の駅に行く事に決めざるをえなかった。