ヌヴェル33 仏師の回想
長月に入り、米の不作が村を沈鬱に覆っている頃だった。
順慶のもとに、一人の見るからにみすぼらしい僧侶が訪ねてきた。
順慶は仏師である。都で名を馳せるも年老いた母を世話すべく、故郷に戻ってきている。
その順慶に僧侶は懇願する。鎮守の森の観音堂の観音菩薩を修復してもらいたい。とりわけ傷んでいる両腕をと。
僧侶は旅の僧として各地を巡っている。都を訪れた折、順慶のことを知り、その彫像の素晴らしさに目を瞠ったと零れ落ちそうになるぐらい目玉を剥いて豪快に笑った。だから貴台に頼みたいのじゃと深々と頭を下げた。
礼は後日、手付に托鉢で使うものじゃがこれを預けると、ひび割れ汚れた鉄鉢を置いていった。
鎮守の森には、かつて立派な金堂があり、観音菩薩や地蔵菩薩などの仏像も安置されていた。それが百年ほど前に大火に遭い、村人が辛うじて持ち出せた観音菩薩だけを祀るために建てられたのが今の観音堂ということらしい。観音菩薩の両腕は、そのときに傷んだのかもしれない。
観音菩薩は、厨子の中にしまわれ(開けられぬよう施錠もされている)ており、順慶は見たことがなかった。
あの僧侶は、なぜ観音菩薩の両腕が傷んでいることを知っていたのだろう。
いずれにせよ、知ったうえは仏像の修復を使命と捉えた順慶は、逸早く観音菩薩を拝謁したいと願った。厨子の鍵は庄屋が持っていた。
解錠した厨子の中には、見事な観音菩薩の立像があった。
確かに両腕の傷みは激しく、右腕は錫杖を持つもその錫杖で支えられているようであり、左腕は胴から外れかけている。
観音菩薩を拝めると集まった村人たちは、その無残な姿に絶句した。そして手を合わせ念仏を唱え始めた。米の不作は観音様を放置していたことの罰だと自らを責めるように。
庄屋に事の経緯を説明した順慶は、その日から観音像の修復にとりかかった。
およそひと月かかって、観音像は蘇った。
観音堂に村人たちは集まった。苦しい日々の中にあって久々に見る笑顔があった。
厨子に戻し、その扉は開けたままにすることにした。村人がいつでもお参りできように。
その夜、あの僧侶が順慶を訪ねてきた。
観音菩薩の修復への礼と全ての村人に観音の慈悲が届けられるであろうことを伝えると、手付で預けていた鉄鉢を受け取り、酒を一献いただけるかとそれを差し出した。
順慶が勧める盃を断り、鉄鉢になみなみと注がれた酒を一気に飲み干すと「これで元気いっぱいじゃ」と豪快に笑って夜の静寂の中に消えていった。
翌朝、村中が大騒ぎとなった。
各家の軒先に、米俵が一俵ずつ置かれていたのだ。
誰かが叫んでいる。「夜中に見たんや。米俵がいくつも夜空を飛んでくるのを」「俺も見た。お代官様の屋敷の方からや。こう米俵がぷかぷかゆれながら飛んできたんや」「観音さまや!観音さまのご慈悲や!」
村人たちは観音堂の前に集まり、念仏を唱えた。
順慶の家の前にも、米俵一俵が置かれていた。そこには手紙も添えられていた。
<手紙全文>
順慶殿 観音菩薩像の修復感謝申し上げる。
私はあのみすぼらしい姿の僧侶じゃ。というより、貴台はご存知じゃろう。そう、あの観音菩薩じゃ。
わしは、百年ほど前の大火で本来なら焼けて無くなっていたはずじゃ。それを村人が危険も顧みず、わしを助け出してくれた。腕はちと痛かったが、まあ仕方なかろう。
やがて観音堂まで建てて、厨子も用意し、わしを祀ってくれた。厨子は、わしの姿を不憫に思い設えてくれたんじゃろう。ありがたいことじゃ。
わしは、いつか村人みなにお返しをせねばならんと思うっておった。が、傷んだ腕では何もできん。仕方なく時を待っておった。
その時が来たのじゃ。順慶殿、貴台がこの村にやって来た。そして、村人のために力を出すに値する時期と重なったのじゃ。
貴台なら、一心に仏像を修復してくれるじゃろう。今こそ村人に恩を返す時じゃろう。そう思って貴台に頼み込んだのじゃ。
ほんとうに感謝申し上げる。これでわしも安心してこの村を見守ることができる。
米俵は、ご承知のとおり代官の蔵より頂戴した。両腕が使えると飛翔の術というものが使えるのじゃ。なんか村人に見られてしもたようじゃが、まあそれもご愛敬。
代官からのお咎めはないから心配なさるな。あやつの夢枕にたって、村人から奪ったような米じゃろう?村人に返すのが道理じゃろう?村人のためになることをすれば出世間違いなしじゃと言っておいてやった。そのうち、この村からいなくなるじゃろう。この顛末は、庄屋殿にも伝えておるから、村人にも伝わるじゃろう。
順慶殿、貴台もいずれ都にもどられるのじゃろう。そこで立派な仏師となられることを祈っておる。貴台の仏を彫る時の魂は飛び切り熱いからのう。では、またどこかでお逢いいたそう。
追伸
これからも旅をしたり、知らぬところを訪ねてみたいと思うっておる。
貴台にお願いじゃが、わしの御前立を彫ってはくれぬか?
それが出来たら、わしを厨子にしまい、御前立を祀ってもらいたい。
どうじゃろう?聴いてくれるか?
時が巡り一年が過ぎた。
母を見送った順慶は都へ戻ることを観音菩薩に告げに来た。
合掌を終えた順慶が観音扉を開く。
中には、御前立の観音菩薩立像が祀られている。順慶が彫ったものだ。優しく微笑んでいる。
その奥に秘仏の観音菩薩立像が収められている厨子がある。
さて今日はいらっしゃるのだろうか。いつもは厨子の横に置いてあるひび割れた鉄鉢が見当たらぬゆえ、どこぞで旅を満喫されているやもしれぬなぁと空を見上げると、あの僧侶に似た白い雲が浮かんでいる。やがて雲は姿を変えて東の空へ流れていった。
そのとき、あの僧侶の豪快な笑い声が聞こえたように思えた。それは一陣の風のせいか、気のせいか。
感慨深げに眺めていた順慶は、「また、どこかで逢えますかな?」と呟いた。
参考:信貴山縁起絵巻1巻「飛倉ノ巻」




