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完璧なパイの焼き方

作者: Ono

 我が『トゥリエ』の厨房がむせ返るような熱気に満ちる。

 オーブンの予熱はとうに完了し、目の前には鮮やかな深紅と紫、そして宇宙の闇に溶けそうな紺色の果実が無造作に散らばっていた。

 鋭い鉄錆の匂いが脳裏を掠めた。


 私の両手は真っ赤に染まっている。果実を強く握りしめすぎたせいだ。指の隙間から、どろりとした赤い果汁が滴り落ちる。

「惚けていらっしゃいますね」

 背後からかけられた親しげな声で我に返った。

「……ああ、すまない、イーヴ。少し……暑さにやられたようだ」

「無理もないですよ。この厨房キュイジーヌの排気システムは旧式ですから。熱がこもって仕方がない」

 副料理長スー・シェフであるイーヴは、人の好さそうな笑みを浮かべて私の肩を叩いた。

 爪の間に入り込んだ赤が目に焼きついて離れない。まるで皮膚そのものが変色してしまったかのように。


「さあ、急ぎましょう。客たちが腹を空かせていますよ。とびきり熱くて、中身がとろとろに溶けたパイを待っているのです」

 イーヴの言葉には奇妙な高揚感が滲んでいた。

 これから焼くのは特別なミックスベリーパイだ。材料はブラックベリー、ブルーベリー、そしてラズベリー。これらを慎重に、しかし徹底的に下処理してパイ生地の中に封じ込め、高温で焼き上げる。

「ブラックベリーの種は硬いから」

 そう、イーヴが独りごちる。

「しっかり濾してやらないと、口当たりが悪くなる」


 我々のボウルの中にごろりと転がる果実を見つめた。

「ブラックベリーは皮も厚い。強火で煮詰めなければ形が崩れない」

「ではブルーベリーはどうです?」

「水分が多い。加熱するとすぐに破裂する。扱いには注意が必要だ」

「ラズベリーは?」

「……あれは、脆い。触れただけで崩れてしまう。最も繊細な扱いが求められる」

 赤い果汁のような血が流れていく。いや、違う。あれは血ではない。ただの果汁だ。拭えば落ちる。そのはずだ。


 イーヴは私の動揺に気づかないふりをして、手際よく作業を進める。たん、たん、軽やかな音が私の心拍と不快に共鳴した。

「ロベール艦長。最高のパイを作るコツをご存知でしょうか?」

「……なんだ」

「慈悲を捨てることですよ。果実を潰す時に躊躇いなど不要。形を残そうなんて未練を持つと、味が馴染まない」

 彼は笑いながらオーブンの蓋を開けた。

「完全に組織を破壊して、互いの境界線が分からなくなるまで溶かし合わせる。そうやって極上の甘美(ハーモニー)が生まれるのです」

 潰れ、混ざり合い、原形をとどめない三色の果実が混沌とした渦を巻く。


「どうぞ、艦長。オーブンが待ちくたびれてる」

 イーヴに促され、私は目を閉じる。格子状の美しい網目模様。中身の惨状を覆い隠す、完璧な幾何学模様を思い描きながら。

点火ティレ

 私の号令と同時にオーブンのスイッチが入る。ガラス窓の向こうは音もなく紅蓮に包まれた。

 すべてを灰燼に帰すための、浄化の炎だった。


 恒星間戦略爆撃艦『トゥリエ』の艦橋、分厚いガラス窓の向こうでは、惑星の地表にある三つの巨大コロニー群が軌道上からの無差別爆撃によって火の海に沈んでいた。

 イーヴが纏う連邦宇宙軍の黒い軍服の胸で副官の記章が赤く煌めく。

 作戦コード『ミックスベリーパイ』。私たちは今、長年の戦争に終止符を打つ最後の一手を加えたところだった。


 通称ブラックベリー、重武装で知られる鉱山惑星帯の第一コロニー。硬い岩盤と対空防御網に守られていたが、地中貫通弾バンカーバスターによる飽和攻撃で粉砕した。

 通称ブルーベリー、海洋上の第二コロニー。豊かな水資源を所有するが、その水分を利用して高出力マイクロウェーブ兵器による沸騰攻撃で、内部から破裂させた。

 そして、通称ラズベリー。非武装地帯であった第三居住コロニーは、最も脆く、最も多くの民間人が暮らしていた赤い大地だ。


「焼き加減は上々です、艦長」

 イーヴ中尉がホログラムディスプレイに映し出された破壊の数値を眺めながら陶酔したように呟いた。

 ブラックベリーの武装解除だけでは足りないと進言したのは彼だ。ブルーベリーの降伏信号を無視し、通信設備ごと「煮詰めた」のも彼だ。

 しかしラズベリーの住民たちが逃げ惑う中、最後のスイッチを押したのは、確かに私だった。


「……やりすぎだ」

 乾いた唇を苦労して開く。喉の奥から饐えた異臭がせり上がり、信念が焦げついてゆく。

「ラズベリーには、本当に反乱分子などいたのだろうか。あそこはただの……」

「ええ、ただの敵性勢力の苗床です」

 イーヴが冷ややかに遮った。

「腐った果実は箱ごと捨てねば。黴が広がる」

 モニター上の赤い点を指でなぞった。数億の命が炎の中で消失していく。

 私の手を染める赤色は、私の魂にこびりついた虐殺の証だった。


「非戦闘員への無差別攻撃は、条約違反だ。本国がこれを許すはずがない。私たちは『鎮圧』を命じられたのであって、『殲滅』を命じられたわけではない」

 言い聞かせるように呟きながら、私はコンソールに手をついた。震える指先で攻撃停止コードを叩く。

 まだラズベリーの地下シェルターには生存者がいるかもしれない。今ならまだ、数万人程度は救えるかもしれない。そのような甘い期待に縋りつく。

「イーヴ。これ以上の加熱は、()()を作るだけだ」


 しかしその瞬間、冷たい金属の感触がこめかみに押し当てられた。前時代的で硬質な音が艦橋の電子音の中に鋭く響く。

 イーヴが拳銃を私に突きつけていた。

「何を……」

「品質管理は私の役目ですので、艦長」

 イーヴは銃口を私の頭から離さず左手で私のコンソール操作をキャンセルし、そしてあろうことか攻撃出力を最大まで引き上げるコマンドを入力した。

 モニターの中でラズベリーの地表がさらに激しく明滅する。地下シェルターすら蒸発させる熱がかの地に降り注ごうとしていた。


「貴方は優秀な料理人でした、ロベール艦長。ブラックベリーの攻略、ブルーベリーの制圧……貴方の指揮は見事だった。ですが、最後の最後でレシピを変えようとするのは頂けない」

「レシピだと? 分かっているのか。あれは果実などではない、私たちがやっているのは虐殺だ!」

「そう。『平和』という名の完成品のために材料を消費しているのです」

 不気味なほど穏やかな声色は職人としての自信に満ちていた。

「本国が望むのは、完璧な終息です。貴方が言ったように、ラズベリーは脆い。だからこそ完全にすり潰さなければならない。生き残りが新たな復讐の種にならぬように」

 戦争はここで終わらせるのだ。


 最初から、イーヴは私を監視していたのだろう。私が尻込みした時にも確実にトリガーを引くための安全装置セーフティ

 彼の言葉は真実だった。ラズベリーを生かすか殺すか、どちらがより平和に近づくのか。それを考える権限は、どのみち我々にはないのだ。

「イーヴ、お前……これをどう本国に報告する」

「貴方を英雄として報告しますよ。作戦完遂の直後、敵の残存兵力の自爆テロに巻き込まれて名誉の戦死を遂げた、とね。この過剰な攻撃は『艦長の死に激昂した部隊の暴走』として処理できる」

「……甘いな」

 我々は所詮ただの料理人だ。私が死ねば上の者たちは虐殺の責任をイーヴに押しつけるだろう。


 イーヴは引き金に指をかけた。口元に笑みを引きながら、微かに指が震えている。

 私たちは共に戦場を潜り抜けてきた。何年も同じ釜の飯を食い、背中を預け合い、この過酷な星間戦争を生き抜いてきた。

 暖かな親愛の情が、ほんの少しでも彼に残っているのなら。私の死を躊躇わせてはならない。

「俺は英雄ではない。戦場の昂揚に狂った虐殺者として報告しろ」

「艦長……」

「撃て、イーヴ。俺が最後の材料だ。攻撃停止のログは削除しておけよ」

 こめかみの銃身を握り締め、彼を勇気づけるように優しく囁いた。

「俺たちは、共にミックスベリーパイを作った仲じゃないか」

 罪悪の苦味は私だけが持っていくとしよう。お前が背負う必要はどこにもない。




 視界が赤く染まる。

 それはラズベリーの果汁のようでもあり、オーブンの炎の色のようでもあった。

 意識が急速に遠のく中、私は最期にモニターを見た。

 惑星は完全に沈黙し、その表面に焼け野原を晒して宇宙空間に佇んでいる。ラティス状のレーザー網に覆われたその姿は、こんがりと焼き上がったパイによく似ていた。

 私の思考もまた、甘い香りのする闇の中へと溶けていく。


 戦争は……終わる。

 願わくば、この巨大でグロテスクな焼死体パイが冷えた後、どうか誰かの腹を満たしてくれるように。

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