第2話
私はもう、七歳になった。
屋敷の中での生活には、もう慣れていた。
時間通りに起き、身支度を整えてもらい、使用人たちに丁寧に挨拶し、食事中は背筋を伸ばす。
マナーもお勉強も真面目にやって、誰にも迷惑をかけない。
幸にして、私にはそつなくこなす能力があった。
——そういう子供として、私は育った。
両親からも、先生たちからも、「いい子ね」「お利口だわ」とよく言われる。
でも、私の心の奥がいつもほんの少し冷たいのは、どうしてなんだろう。
「セリーヌ、今日もよくできたな。お父様は嬉しいぞ」
そう言って、父は頭に手を置く。優しい力加減だ。
でも、私は「嬉しい」と言われても、どう返していいのかわからなくて、
ただ小さく頷くだけだった。
「ありがとう、お父様」と答える声は、いつも自分のものじゃないみたいに空っぽだった。
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母は、美しい人だ。
よく笑い、よくしゃべり、私にも時々「抱っこしていいかしら?」と笑顔で聞いてくる。
「だめです」と私は困って返す。
すると母は「まぁ……寂しいわ」と少しだけ口を尖らせて、それでも優しく笑う。
その笑顔が、まぶしすぎて見られなかった。
本当は、抱っこしてほしい。
母の柔らかさや暖かさを、赤ちゃんの頃のように感じたい。
優しくてふわふわの手で、私の頭を撫でてほしい。
でも、それを望んだら、壊れてしまうような気がして。
“甘えた瞬間、いなくなる”——あの時の記憶が、いつまでも胸を締めつけている。
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妹が生まれたのは、私が五歳の時だった。
名前はエリナ。ふにゃふにゃで、小さな声でよく泣く赤ちゃんだった。
最初はどう接していいかわからなかったけど、少しずつ話せるようになって、今はとても懐いている。
「お姉たまー!」と笑顔で抱きついてくるたびに、胸がぎゅっとなる。
私は、こんなふうに誰かに甘えたことなんて、あっただろうか。
エリナは母にべったりで、わがままも泣き声も堂々としている。
それが……少し、羨ましい。
五歳の妹にできることが七歳の私にはできない。
私は、“ちゃんとしていないと捨てられる存在”だから。
子猫の頃のあの記憶が、私をいまだに縛っていた。
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その夜、父と母が書斎で話しているのを、廊下の影からこっそり聞いてしまった。
「セリーヌは本当にいい子に育ってくれた。……でも、時々、寂しそうに見える」
「ええ。私も気づいているの。あの子、自分から甘えてこないでしょう?」
「……俺は、あの子にどうしたらもっと甘えてもらえるんだろうか。毎日幸せでいて欲しいのに。」
「あなたはあの子にとって、立派なお父様よ。でも……セリーヌには、もっとわかりやすい“愛”が必要なのかもしれないわね」
「……ああ、ほんと。俺たち、親バカなのに、どうして伝わらないんだろうな」
その言葉を聞いて、私は心の中で何度も何度も叫んでいた。
“わたしだって、ちゃんと好きって思ってる”
“わたしも、お父様やお母様のこと、大好きだよ”
でも——怖いの。
それを伝えた瞬間、全部壊れてしまいそうで。
「お前とはもう、さよならだよ」って、笑いながら背中を向けられるのが怖かった。
だから私は、明日もまた、
“いい子”の仮面をかぶって、誰にも甘えない子でいるのだろう。
そばにいてくれる家族がいるのに。
本当は、ずっと甘えたくて、泣きたくて、抱きしめてほしくてたまらないのに。
私は毎日、ツンとした可愛げのない子を演じてしまう。
猫の時もそうだった。慣れてるから平気。
人間になったからといって、孤独じゃなくなるわけじゃない。
妹のエリナのように、存在するだけで好かれて守られて愛される子もいるけど、私はそうじゃない。
強くなりたい。一人でも生きられるように。
寂しさを隠すために心の鎧をつけても、自然に振る舞えるように。