3話
一ノ瀬相談所オフィス
一ノ瀬は今、自宅兼仕事場のオフィスの椅子でくつろぎながら昨日のことを考える。
(昨日の依頼は簡単だったな。あの施設を取り怖そうとすると、子供の笑い声と共に必ず事故が起こるということで依頼が来たが。おそらく、あの幽霊達はただ遊びたかっただけだったんだろう。怨みを残した怨霊の類よりかは百倍かわいいもんだ。工事をする前に玩具やお菓子をお供えしておけば問題ないという旨を依頼人に伝えたし解決しただろう)
一ノ瀬は自分で入れたコーヒーを飲みながら、昨日の高校生達の事を考える。
(それにしても、危なっかしい連中だったな。子供だけで廃墟になんて行くなよ)
カラン
誰かがオフィスに入ってきた。見た所二十代ぐらいの女性が一ノ瀬の様子を伺っている。
「いらっしゃい、そっちに座ってくれ」
依頼人の女性は一ノ瀬に促されるまま、ソファに腰掛ける。
「ここで幽霊とかの相談を聞いてくれるって聞いたんですけど」
「いかにも。その前に初回相談料の値段は知ってるか?」
「あ、はい、知ってます。五千円ですよね。払います」
「よし、ありがとう」
依頼人の女性が料金を払い、それを一ノ瀬が笑顔で受け取る。
「それで、今日はどうしてここに?」
「はい、私のマンションの部屋の心霊現象をどうにかしてほしいんです」
「詳しく聞かせてくれ」
それから女性はぽつぽつと事情を話し始める。
女性の名前は木村香澄、会社員で家賃が相場より安い賃貸のマンション一人暮らしをしているという。
女性が引っ越してきてから毎日深夜の一時頃に、隣の部屋の壁をノックする音が必ず聞こえるらしい。
最初は隣人かと思ったが、その部屋空室。管理会社にも確認済み。
さらには、自分の部屋の押し入れから音がするようになり始める。
管理会社には気のせいだと取り合って貰えず、たまたまネットで見つけたこの事務所を頼ってきたという事らしい。
「・・・・・・・・・・・・そのせいで私、夜はあまり眠れなくて。一ノ瀬さん、どうかお願いします!!」
よく見れば、相当追い込まれているんだろう女性の目元には化粧で貸しきれないほどくまがこくなっている。
「とりあえず、その部屋に行ってもいいか?もし、俺と二人きりが嫌なのであれば日を改めて誰か付き添いの方と一緒にという形にもできるが」
「え、でも、調査や訪問にはお金が掛かるって」
「調査や訪問のお金は問題が解決しなければ払ってくれなくてもいい。日を改めるか?」
「やっと、取れた休みが今日しかないんです。今日で構いません」
一ノ瀬はその返事に違和感を覚えたが、依頼人のプライベートのことなので追求は控えた。
「今日はどの交通機関を利用して来た?」
「電車と徒歩で来ました」
「じゃあ、下に停めてある俺の車で行こう。道案内を頼む。」
「わかりました」
一ノ瀬達は事務所を出て車に乗り込み、木村の家に向かった。
「木村さん、カーナビに住所入れるから教えてくれ」
「あ、はい。〇〇市2丁目の皐月荘というマンションです」
「わかった。皐月荘ね。・・・・・・・・意外と近いな。」
一ノ瀬の言葉通り三十分ほど車を走らせると皐月荘に到着した。
「木村さん、近くに駐車場ってある?」
「あ、それなら、マンションの駐車場が使えます」
木村の言う通りにマンションの駐車場に車を止めて、木村の部屋に向かう。
木村の部屋は203号室。階段を上がりすぐに着く。
「ここか?」
「はい、ここが私の部屋で音が鳴ってくるのは、こっちの部屋です」
そう言って木村は左隣の部屋を指差す。
「なるほど」
一ノ瀬は執拗に隣の部屋を観察する。
「あの、何かわかったんですか?」
「まあ、とりあえず木村さんの部屋に入っていい」
一ノ瀬は木村の問いに答えを濁し、話を変える。
「あ、はい。どうぞ」
木村は少し疑惑を残しながら、鍵を開ける。電子ロックと普通の鍵を使っているらしい。マンションの見た目の割に防犯面はしっかりしているらしい。
「お邪魔します」
玄関で靴を脱ぎ、脱いだ靴を揃えて、部屋に入る。木村の部屋を見れば、ミニマリストなのだろうか以上にものが少ない。
「こっちが押入れです」
木村は古びた昔ながらの押し入れを指差す。
「この中から音が?」
「はい、そうです。夜中になると毎日」
「そういえば、隣部屋って人が死んでたりしない?」
唐突に一ノ瀬はそんなことを聞く。
「え?そんなこと、管理人の人は何も」
「ごめんけど、ちょっと確認してみてくれない」
「わ、わかりました」
木村は急にそんな指示をしてきた一ノ瀬に困惑に思いながら、管理人に電話をかけてくれる。
木村が電話をかけると、思いの外早く繋がる。
「・・・・・・・・・・・はい。わかりました。いえ、失礼します」
数分話した後、電話を切り木村は一ノ瀬に話しかける。
「一ノ瀬さんが言った通り隣の部屋で1年前、隣の部屋で老人が一人亡くなってたらしいです」
「なるほど。押し入れの中に何か入ってたりする?」
「いえ、あまり物を持ってないので、押し入れは入居してから一回も使ってないです」
「そうか」
そう言って一ノ瀬は押し入れを開け、中を調べる。
「あの、そこに何かあるんですか?」
「多分ね」
一ノ瀬が数分調べ、ついに何かを見つける。
「あった」
「え?何かあったんですか?」
「ああ、これが押し入れの隙間に入ってた」
そう言って一ノ瀬は一枚の封筒を見せる。その表面には大きな文字で『香澄ちゃんへ』と書かれていた。
「私宛の手紙?」
「見た感じ危険は無いと思うから、見てみて」
木村は手渡された手紙を開け中を読む。そこには、こんなことが書かれていた
⸻
愛しい香澄へ
あなたがこの手紙を読む日が来たなら、私たちはもう随分、長い間会っていなかったでしょうね。
あなたを抱きしめた最後の日から、どれだけの季節が過ぎたのか、私には想像することしかできません。
離れてしまったこと、ごめんなさい。
あの日、あなたのそばにいられなかったことを、どんなに悔やんでも悔やみきれません。
けれど、今、あなたにどうしても伝えたいことがあります。
もし、今のあなたが——苦しいと思っているなら。
息が詰まるような場所にいるなら。
誰にも助けを求められないと思っているなら。
逃げていいのよ。
頑張れって言葉よりも、私はあなたに「逃げてもいい」と言いたい。
あなたの人生は、あなたのもの。
誰かの期待や言葉に縛られなくてもいい。
立ち止まったって、後ろに歩いたって、それでも前に進んでるのと同じよ。
私は、そばにいられなかった母だけれど、
ずっとあなたの幸せを願って生きてきました。
心から、あなたがあなたらしく、生きられますように。
あなたを、世界で一番愛しています。
—— 母より
⸻
手紙を読み終わった彼女の瞳から、一粒、ぽとりと涙が落ちた。
「一ノ瀬さん、ありがとうございました。これを見つけてくれて」
少し泣きながらも何か憑き物が落ちたように、笑顔で一ノ瀬にお礼を言う
「あ、ああ、別にいいけど。大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。それより、心霊現象の原因はこれなんですか?」
「ああ、そうだが。多分、もう未練が解消されたから起きないと思うぞ」
彼女を困らせていた心霊現象はこんなにもあっさりと解決したようだ。
「そうですか。ありがとうございました。お金はちゃんとお支払いしますね」
「頼む」
「そうだ、一ノ瀬さん。私、会社を辞めようと思うんです。今、勤めてる会社超ブラックでパワハラも酷いんですよ」
「そうか、そりゃ良い。あ、そうだ。じゃあ、ここを訪ねな」
そう言って一ノ瀬は辞職代行サービスの名刺を差し出す。
「前に知り合った奴がそこで働いてる。俺の名前を出しときゃ悪いようにはされないだろ」
木村はその名刺を受け取り、深く頭を下げもう一度礼を言う。
「何から何まで、ありがとうございました」
こうして、木村香澄の依頼は幕を閉じた。