072 前夜祭
結局、俺はあの場を離れて街へ戻ることにした。
正直、エリカのあの専門技術の前じゃ、俺なんてただの見物人だ。
足手まといになるくらいなら、他の場所でできることを探した方がマシだろう。
外はちょうど夕暮れ時。
オレンジ色に染まった空が、石畳の街並みを柔らかく照らしていた。
今日は開港祭の前夜祭。
中央広場では、屋台の準備が着々と進んでいる。
広場へ向かうと、鼻をくすぐる焼き肉の香ばしさと、ふわっと漂う甘い菓子の匂い。
色とりどりの提灯が風に揺れ、屋台には美味そうな料理がずらりと並んでいた。
子供たちが手を繋いで駆け回り、カップルたちが仲良く寄り添って歩いている。
その何気ない光景が、妙に眩しく映る。
「わあ、きれい!」
女の子が歓声を上げて指さした先には、花飾りでできた大きなアーチ。
明日の開港祭に向けて、街中が華やぎ、期待に満ちていた。
つい先日、抜け殻の騒動で壊滅寸前だった街とは思えない。
人々の笑顔が、どこか誇らしげで、力強かった。
——みんな、本当にたくましいな。
この平和な光景が続けばいいな………。
そう改めて思った時だった。
「隊長! お疲れさまです!」
声のする方を振り向くと、カルアが手を振って駆け寄ってきた。
その後ろには、いつものメンバーたちがぞろぞろと続いている。
「カルア! 警備はどうした?」
「それが……」
カルアの顔が曇った。
表情だけで、ただ事じゃないとわかる。
「魔特隊の連中が来て、勝手に仕切り始めたんです。私たち、本部から追い出されちゃって……」
その時、背後から鼻につく声が響いた。
「おやおや、残党部隊の皆さん。ご苦労さまです」
振り返ると、白地に金の縁取りがされたやたらと派手な制服姿の隊員が、鼻で笑いながら立っていた。
胸元には、これ見よがしに王家の紋章が輝いている。
その背後には、同じ制服を着た貴族風の若者たちがずらりと並び、見下すような視線をこちらに送っていた。
「本日から街の警備は、我々『魔導特務隊』が引き継ぎます。残党部隊の皆さんは……そうですね、路地裏の掃除でもしておいてください」
「なんだと?」
トビーが拳を握り、今にも飛びかかろうとする。それをアッシュがすかさず押さえつけた。
「トビー、落ち着け!」
「でも、アッシュ! あいつら……!」
「今ここで暴れても、俺たちが悪者にされるだけだ」
魔特隊の連中は、そんな様子を見てニヤついている。
ちなみに、隊長である俺の存在は、完全に無視されているようだった。
「そもそも、二日前の抜け殻騒動も――我々、王子殿下直属の精鋭部隊がいれば、即座に解決していましたよ。平民上がりの残党風情が無謀に動いたせいで、事態がややこしくなったのです」
リーダー格の男が、妙に芝居がかった仕草で扇子を仰ぎながら語る。
話すたびに、やたらと香水の匂いが漂ってくる。
――誰だこいつ。っていうか、なんで扇子? それに香水臭っ!
どこかヒゲを剃ったジギルみたいな顔しやがって。
そう思ってると、男はどんどん調子に乗ってしゃべり続ける。
そう思ってると、男はどんどん調子に乗ってしゃべり続ける。
「無能な味方は敵より厄介、よく言ったもんです。あなた方と同じ王国軍扱いされるのは、正直、恥ずかしいですね」
鼻につく貴族口調に、カルアが一歩前に出た。
「私たちは、市民の皆さんと一緒に街を守って……」
「あなた、隊長に婚約破棄されても、まだ学ばないのですか?」
男が扇子をピタリと止め、鼻先で笑う。
カルアの表情が一瞬強張る。それでも、彼女は毅然として立っていた。
「平民の戯言に耳を貸すから、成長できないのです。我々貴族こそが、真の秩序を築くのですよ」
イラッとした、我慢も限界だった。
思わず前に出そうになったそのとき、先に声を上げたのは、俺たちじゃなかった。
「おいおい、何言ってんだ?」
八百屋の親父が眉をひそめ、腕を組んで前に出る。
「あの夜、街を守ってくれたのは、このあんちゃんたちだぞ!」
「そうだよ! 命懸けで戦ってくれたんだから!」
商店街の人々が次々と声を上げる。
花屋の娘に、屋台の親父、パン屋のおばさんまでが、顔を真っ赤にして怒っていた。
それでも、魔特隊の男はニヤリと笑いながら両手を広げ声を張る。
「皆さんはご存じないのでしょう。この者たちは“王国軍の残り物”。つまり残党部隊。
対して我々は、王子殿下直轄のエリート中のエリート。我々が来た今、何も心配はいりません」
それが、決定打だった。
「ふざけるな!」
「貴族のガキが何を偉そうに!」
「この人たちは庶民の希望の光だ! “残灯部隊”って呼ばれてんだよ!」
屋台の親父が吠え、パン屋のおばさんがドスドスと前へ出る。
「残灯部隊の皆さんに謝れ!」
「あんたらなんか、いらない!」
「帰れ、帰れ!」
怒りの声が、どんどん広がっていく。
気づけば広場じゅうの人々が魔特隊を取り囲み、帰れコールが響き渡っていた。
「帰れ!」「帰れ!」「帰れぇぇ!」
カルアが俺の袖を引いた。
その瞳には、悔しさと同じくらい、みんなを心配する気持ちがにじんでいた。
——だな。このままだと、誰か本当に不敬罪で捕まりかねない。
俺は皆の前に立ち、両手を上げて叫んだ。
「みんな、落ち着いてくれ!」
声を張ると、群衆が少し静かになる。
「ありがとう。でも、身内で争っても仕方ないよな。今日は前夜祭だ。せっかくなら思いっきり楽しもうぜ!」
「隊長さん……!」
「それに明日は開港祭だ。力を合わせて、最高の祭りにしようぜ!」
人々の目が、感動したようにこちらを見つめてくる。
やがて、あちこちから拍手と歓声が湧き上がった。
その後ろで、あの“ミニ”ジキルが負け惜しみを漏らす。
「さすが庶民部隊。下々とは息が合うようで。では、“残党部隊”の皆さんは、せいぜい見学でもしていればいいさ」
魔特隊の連中は、鼻で笑いながら踵を返し、広場を後にした。
その時、リーダー格の男が振り返り、香水をプンプンさせながら薄笑いを浮かべて言った。
「明日の開港祭、楽しみにしていますよ。我々の"真の実力"を見せてあげましょう。きっと、皆さんも我々の素晴らしさに気づくはずです」
扇子をパチンと閉じる音が、やけに不吉に響いた。
——嫌な予感しかしねぇ。こいつ、絶対に何か企んでる。
「あの香水野郎……!」
パン屋のおばさんが悔しそうに呟く。
「まあまあ、今日は前夜祭だしな。楽しもうぜ」
俺は苦笑いでその場をなだめた。
「なんかあったら言えよー!」
「そうだそうだ!」
「じゃあな。いい前夜祭を!」
商店街の人たちが笑顔を浮かべ手を振り、元の場所へと散っていく。
——まったく、どっちが守る側だかわからないが。
それでも、自然と口元がゆるんだ。
みんなも、どこか満足そうだった。
……よかったな。見てくれてる人がいてさ。
そんな温かい気持ちになった時、カルアが小さくつぶやいた。
「隊長……明日、何か起こりそうで不安です」
トビーも険しい顔で頷く。
「あの香水野郎、絶対に何か知ってますよ」
「扇子をパチパチやってる時の顔、めちゃくちゃ不細工でしたしね」
アッシュまで感情的になっている。
ま、全く同感だけど……
「まったく祭りを楽しむ暇もないな」
俺は深く息をつき、胸の奥でざわめく警戒心を押し殺した。
明日の開港祭。
きっと、ただの祭りじゃ終わらない。




