062 捨て駒
カールは執事の言葉を聞くなり席を立ち、スーシー副隊長を伴って廊下へ飛び出していった。
おそらく、領主夫人とカミュ殿下の救出に向かったのだろう。
即断即決――カールの英断で素早く隊を再編成し、迅速に動けるのが彼の部隊の持ち味だ。人員に余裕のあるカール隊らしい動きである。
わがコール隊でそれやっちゃうと、三つに分けた時点で三人編成だからね。厳しいっちゃ厳しい。
その分、わが隊はわが隊らしくやるだけだ。
……たぶん、救出は問題ない。向かったメンバーは実力もあるし、カールもこう見えて細かいとこまで気が利く。
――むしろ、今ここに残ってる俺たちの方が厄介かもしれない。
で、つまりは結局、ジェフの心配が当たったってことらしい……。
というか、あいつの勘、どんだけ冴えてんだよ。貴族なのに、脳筋でも理屈っぽくもなくて、ただ淡々と情報を集め、それを分析。最適解を導きだす。
とはいえ、あいつだって人間だ。読み違うことだってある……
……大丈夫かな、ジェフ。
とはいえ、あいつなら問題ないか。
たとえカミュ殿下と領主夫人を護りながらでも、必ず生きて戻ってくる。ジェフって、そういう奴だ。
ジェフって、そういう奴だ。
広い執務室に残った俺たちは、もう一度、椅子に縛りつけられた執事を見つめた。
相変わらず、何がそんなに可笑しいのか、へらへらと笑ってやがる。
俺の目から見ても、この男がここまで楽観できる理由は思いつかない。
王都に連絡がつかないことも、脱走兵や抜け殻のことも、すべて想定内だって顔をしている。
この余裕、ただのハッタリじゃなきゃいいけど……。
しかし――この笑い方、昨夜の恐怖を忘れるための虚勢だろうか? それとも、まだ何か隠し玉があるのか?
「それで?」
ボイドが執事の顔をのぞき込み、低い声で問いかける。
「お前ら、結局は帝国に尻尾振ったってことでいいのか?」
執事は目をそらし、鼻で笑った。
「帝国に寝返ったわけではありませんよ。政治というのはもっと複雑でしてね……所詮、あなた達のような“カンガエナシ”のバカ軍人には理解できんでしょうが」
「なるほど、なるほど。そりゃそうか」
顔は笑ってるが……こいつめっちゃ怒ってる。
奴を一番知ってるシンシア副隊長が、顔を青くして後ろに後ずさったのが何よりの証拠だろう。
ボイドは肩をすくめ、凶悪な笑みを口元に浮かべた。
「だったらもう貴様は用済みだ」
そしてうれしそうにシンシアに言う。
「さっきの"抜け殻"を捨ててきた檻――あそこにこいつも捨ててきてよ。そんで、代わりの奴呼んできて。今すぐね」
部屋の隅に控えていたシンシア副隊長がハァとため息をついて、無言で執事の腕をつかむ。
その瞬間、執事の顔色がサッと青ざめ、椅子ごとギシギシと暴れ出した。
「ま、待て! バカな真似はよせ!」
「しらーん、俺様“カンガエナシ”のバカ軍人だもん」
――やっぱ根に持ってる。
もうなんだろ、ガキ大将が、お坊ちゃんをいじめてる図にしか見えない。
ボイドは高らかに笑いつづけ、執事は必死にわめいた。
「野蛮な低能な連中め……! こ、これは王都の正式な許可を得ている案件だ! お前たちのような“捨て駒”には理解できまいがな!」
――王都? 許可だと?
胸の奥で、嫌なざわめきが膨らむ。この男の言葉を真に受けるわけじゃないが、もし本当なら……。
「それ、おかしいだろ」
ボイドがニヤリと笑った。
「お前も使用人も、昨夜は"抜け殻"に襲われたはずだぜ? コールが助けなきゃ、今ごろ抜け殻になって、お友達と庭を散歩してたんじゃねぇのか?」
そう言って、ボイドは嬉しそうに俺の方を親指でグイっと指す。
──だから、人を指差すなって。
一方、執事は言葉を失い、陸に打ち上げられた魚みたいに口をパクパク動かすだけだ。しかもその顔が白すぎて、今すぐ干物になれそうな勢いだった。
俺は小さく息を吐いた。
「結局、お前らも――立派な“捨て駒”だったんだよ」
「そ、そんな……馬鹿な……」
と、わなわな震えながら崩れ落ちる執事。
――って。今頃気づいたのかよ。
昨日から抜け殻がうようよしてたのに、今さら「もしかして我々、見捨てられた……?」みたいな顔されても困る。鈍すぎるだろ、この執事。
そんな執事を見て、ボイドが楽しそうに追い打ちをかける。
「ま、小を殺して、大を救う。これこそ、高貴なお方の考え方かもしれんがな……いやいや、今回は大を殺して、小を生かすかな?」
そして、今度はうって変わって真面目な顔で言うボイド。
「ただ、俺はそういう考え方が、めっぽう嫌いなんだよ。えそれっていつも、弱い者にしわ寄せが行くからな」
そう言って、執事を蹴り倒した。
ギィ、と重々しい音を立てて椅子が傾き、執事はそのまま床へ倒れ込む。
慌てて体勢を立て直そうとするけど、椅子に縛られてるもんだから、じたばたするだけで、見た目はまるで甲羅をひっくり返されたカメである。
「いててて……! き、貴様……!」
涙目で怒鳴る執事。プライドはあるのかないのか、なんだかよくわからん。
そんな哀れな姿を見ながら、ボイドは満面の笑みを浮かべて言った。
「だからな、お前みたいな弱いやつも、俺様が救ってやる。何もかもしゃべっちまいな」
すっごい顔してる。まぶしい笑顔なのに、目だけ笑ってない。
うん、これは正義の味方がしちゃダメなやつだ。
「ひ、ひいっ……わ、わかりました、話しますから! だから、あの檻だけは勘弁してください!」
「おー、素直でよろしい」
ボイドがニッコリとうなずき、拳をボキボキ鳴らす。
――あれ? 話すって言ってるのに、なんで拳を鳴らすんだろうね?
ていうかもうこの空気、完全に自白っていうか拷問に近い気がする。法律的にアウトじゃない? 大丈夫? この国の人権意識どうなってんの?
「……あの、ボイドさん」
シンシア副隊長が小声で耳打ちする。
「彼、もう完全に泣きそうですよ?」
「うんうん、それがいいんだって。それじゃ、わかってるね、シンシア副隊長」
「いや、わかってません!」
執事はガチ泣き寸前だし、シンシアはツッコミ役に回りつつあるし、俺は俺でこのカオスを前に頭痛がしてきた。
――誰か、正義ってやつを教えてくれ。




