056 ここからが本番
王都から派遣されたカール、ボイドを伴い、俺は領主邸の執務室へ通された。
目的は――昨夜の襲撃の顛末と、街の復旧状況を正式に報告すること。
執務室は古びた緋色の絨毯に、壁一面の年代物の調度品で飾られている。
“絢爛豪華”のはずが、瓦礫と焦げ跡の残る港町を思うと、どこか嫌味に映る。
正面の大きな執務椅子には、憔悴しきった領主。
その右隣にライエス公子、さらに背後に無表情の執事――という並びだ。
報告者である俺、カール、ボイドの三人が前列に立ち、副官たちは扉際で警戒している。
部屋の中は重い空気で満たされていた。
まずは定型どおりの報告を手短に。トリオ地区の被害、負傷者数、復旧の進捗などをつらつら述べたが、細かな説明は割愛した。
なにしろ昨晩の領主邸での出来事を知っていれば、あえて言葉にする必要もないはずだから。
——とは言え、この人は朦朧としてずっと寝てたけど‥‥‥
続いて、カールが羊皮紙を掲げ王命を読み上げた。
一、開港祭は予定通り挙行。
一、街の混乱は即時鎮圧・復旧を最優先。
たった二行。
けれど領都軍の主力は行方不明のままだし、復興は始まったばかり。
この状況で祭を強行せよとは、現場の感覚からすれば正気の沙汰ではない。
住民だって、祭りを楽しむ気分になんてなるまい。
それでも、領主は一言も発さず、ただ黙ってうなずいただけ。
王命の無茶さも問題だが――それ以上に問題なのは、“領主の様子”だ。
虚ろな瞳で虚空を見つめ、肌は紙のように青白い。
加えて肩は落ち、反応は鈍い。——まるで魂の抜けた人形のようだ。
対照的にライエスは、以前のへっぽこぶりが嘘のように凛々しく、執事と段取りをテキパキ確認している。
「……なぁ、マジで領主様大丈夫かよ」
ボイドが珍しく眉をひそめ、小声で俺に突っ込む。
——まあ、過労や風邪なら、こんなホラー顏にはならんよな。
一方、カールは領主を一瞥すると、即座に行動に出た。
「ご領主様、もし、ご体調がすぐれないようでしたら――我が隊のスーシーに御身の具合を診させていただけませんか? 彼女は簡単な診断ならできます」
そう言いながら、静かにスーシーへと視線を送る。
「よろしければ」
副官スーシーの紫がかった瞳が、何かを察したように彼を見つめ一歩前へ出て、丁寧にお辞儀した。
すると執事が不機嫌そうに口を挟んだ。
「まだご公務があります……」と拒否。結局は有耶無耶となってしまった。
▽▽▽
執務室を辞し、ロビー脇の応接室へ移動する。
扉が閉まった瞬間、カールが低い声で話し始めた。
「あれは過労でも病気でもない。――呪術系だな」
呪術系?‥‥‥やっぱそれ、闇魔法の類か。
そこへノックがして。ライエス公子が部屋に入ってきた。
「皆さま、お揃いで……何か不都合でも?」
声音は柔らかい。言われてみれば、女性の声に聞こえなくもない。
——おまえ、本当に“男”なの?
と叫びたい欲望が喉まで出かかるが言葉を飲み込み耐える。
だけど、辛抱できない人もいる——隣でラスクが「今こそ聞くニャ!」と前のめりになるのを、カルアが袖をひねって必死に止め、「ムムッ……いたいニャ……」と文句を言う。
——子どもか!。っていうか猫か。
ライエスは首をかしげ、俺たちの様子を訝しげに見ている。
「何か?……領主の容体についてでしょうか?」
——ちげーよ!あんたの事だ!!
と、叫びたい気持ちをぐっとこらえる。
すかさず、ナイスフォローで、カールが一歩前に出た。
「さこほども言いましたが、領主殿のご容体が深刻に見えます。もし許されるなら、我が副官スーシーに診察させていただきたい」
視線がスーシーへ集中。ライエスは警戒と期待をないまぜにしつつ尋ねる。
「診断で原因を特定して治療できますか?」
「原因はわかると思います。ただし、呪の場合、解呪は専門外。私は探知や識別に特化した“解析寄り”の加護能力です」
淡々たる返答に公子はわずかに頷く。一歩前進――そんな表情だ。
もし、領主様の今の様子が、呪いのせいだとはっきりすれば、少しは彼の汚名も薄まるだろう。
ただ、一方でそれは“屋敷の内部に仕掛けた者がいる”という事にもなるのだ。
——まあ、それはそれで、大ぴらに動けるってもんだな。
結果――
「午後、緊急の処置班を招集して、領主に診断を受けてもらう」ということを全員一致で決定した。
▽▽▽
必要な話が一段落したところで、カールとボイドは部隊再配置の指示を出すため領主邸を離れた。
去り際に向けられた「後は任せたぞ」という無言の合図に、俺は肩をすくめて応じる。
——了解。ここからが本番だ。
俺は、 「護衛」という建前で、カルア・ラスクと一緒にライエス公子の私室まで同行した。
扉が閉じられた瞬間、俺は足を止める。侍女が一人いるとはいえ、実質ここにいるのは四人だけだ。
そして、背中越しに呼びかける。
「……リリエスさん。少し、腹を割って話しませんか」
“その名”を口にすると、公子――いや少女ははっと目を見開いた。
けれどすぐに表情を整え、ひとつ息をつく。
「……気づいていらしたんですね」
震えるような笑み。泣いているのか、安堵しているのか判別のつかない複雑な表情だ。
「でも、リリエスのせいじゃありません。いまの私は――“ライエス”として立っています」
そう言って、彼女はゆっくりと頭を下げた。
「ごめんなさい。だますつもりはなかったんです。ただ……“そうするしか”なかった」
静かな謝罪が木壁に染み込み、部屋を満たす。
その瞬間、閉ざされていた扉が――音もなく、真相へ向かって開き始めた。