029 操る力、守る想い
ライエス公子は俯いたまま、しばらく黙っていた。
俺は彼の言葉を一つずつ噛み締めながら、静かに考えを巡らせていた。
普段は陽気なラスクも、ただじっと公子を見つめている。
部屋には、時間を刻む機械仕掛けの時計の音だけが響いていた。
沈黙を破ったのはラスクだった。
彼女は、普段とは違う優しい声でライエス公子に問いかけた。
「病気はもう治ったの?」
公子は首を横に振り、握りしめた自分の手を見つめた。
「今でも、ときどき意識を失います。それに……夜中に勝手に歩き回ってるらしいです。自分じゃ覚えてないんですが。結局、あまり変わってませんね」
肩をすくめ、どこか諦めたように笑う。
「例の男には、まだ会ってるんですか?」
「治療はもう受けていません。僕自身が断りました。……エクリプスも含めて」
俺はただ頷くことしかできなかった。
ラスクが席を立ち、皆のカップに新しいお茶を注ぎ足してくれた。
「殿下。我々は殿下の護衛任務に就くよう命じられています。それ以外に、何ができるというんです? 捜査なら領都軍に話されてはどうですか」
「さっきも言った通り、僕に味方なんていません。……コールさんたち以外は」
「なぜ俺たちが、あなたの味方をすると?」
ライエスは一瞬、言葉を選ぶように口を閉ざし、そして答えた。
「それは……あなたたちが、“残された灯”だからです」
そのまっすぐな視線に、俺は何も言えなくなった。
「それにコールさんは、この世界を嫌っている……。違いますか?」
じっと俺の目を見つめたまま、彼はふっと息を吐き、視線を逸らす。
「そうですね、私の話が信じられないというなら、トリオ北西の輸入倉庫303を調べてみてください。もちろん内密にお願いします」
そう言って、小さく畳まれた一枚の紙を差し出してきた。
紙には、いくつかの住所と名前が書かれていた。
「これは?」
「僕にも片手ぐらいの協力者はいますので」
「我々に、もう片方の手になれと?」
「冗談でしょ? コール隊が僕の片手に納まるなんて思ってませんよ」
ライエス公子はにっこり笑い、席を立つ。
そして壁に設置された棚の上にある鳥の像を捻ると、棚ごと横にスライドした。現れたのは、人ひとりが通れるくらいの細い抜け道だった。
彼はその前でしゃがみ、振り返る。
「遅くまで失礼しました。おやすみなさい」
そのまま、抜け道の奥へと姿を消していった。
▽▽▽
「で、私たちはどう動けばいいの?」
カルアが話しを締めくくる様に呟いた。
ライエス公子が去ったあと、俺とラスクは『おしゃべりさん3号』を使って、宿にいるカルアたちと連絡を取った。
最初は皆、次々に質問を投げかけていたが、次第に考え込むように黙り込んでしまった。
「まずは、リストの住所を調べる。特に倉庫303は重点的にだ」
「罠かもしれませんよ?」
ルクスが声を潜め言う。
「……あり得るな。ライエスが真実を語っているかすら不明だ」
「結局、調査からってことね」
カルアが珍しく溜息をつく。
「俺たちは公邸内をチェックする。それと殿下とも情報を共有する。デバイスは常に装着しておいてくれ。頼んだぞ」
「了解」と全員が声をそろえ、デバイスを一斉に遮断した。
——それにしても、このデバイス、本当に便利だわ。
「で、隊長はどうするニャ?」
「まずは公子の警護を中心に、周囲の人間関係とか、怪しい動きがないかを探っていく」
「うーん、面倒そうだニャ」
「まったくだ。……今日はもう休め。俺が見張る」
ラスクが、ふいに顔を上げる。
「ところで隊長。薬を持ってきた男が“闇属性の加護持ち”だって、みんなには黙ってたよね?」
「‥‥‥」。
「精神支配スキルって、闇属性の中でも特別だと思うんだけど。ルクスのノクス・スピリットも精神系デバフだから、何か知ってるんじゃない?」
——さすがラスク。やっぱり気づいてたか。
ラスクも王国軍伍長だ。
普段の飄々としていて、見た目は陽気なネコちゃんだけど、実は訓練学校を首席で卒業した切れ者だ。
頭の回転はカルアやクラリスにも引けを取らない。
俺? 俺は典型的な凡人だが、それが何か?
——まあ、彼女も優秀すぎて敵を作り、コール隊に飛ばされて来たんだけど。
そういえば、「ニャ」を語尾につけるようになったのもその頃からだ。
そうすれば、相手もまさか彼女が才女などと露ほどに思うまい。
「可能性としてはある。でも今のルクスは、そんなスキルを持ってないと思う。それに……もし教えれば、彼女はきっと、そのスキルを手に入れようとする。それってどうだろうな」
「それの何が問題ニャ?」
「正直、今のルクスには他人を操るスキルを持ってほしくない。……あいつの性格上、のめり込む可能性が高い」
「でもそれって、ちょっと過保護すぎじゃないかニャ?」
たしかに。スキルは本人の選択で使うものだし、いずれは彼女も力に目覚める。
——けど、魔特隊の一件もあるしな。
ラスクは、じっと俺の顔を見つめてから、肩をすくめた。
「ま、そりゃそうか。あいつ、まだまだ半人前だしニャ」
そう言うと、カウチに倒れ込む。
「じゃ、お先に寝るニャ」
すぐにスースーと寝息が聞こえ始めた。




