021 海のある街
魔力列車のリズムに身を委ね、気づけば眠りについていたらしい。
ふと目を開けると、車内は列車の心地よいリズムだけが響き、穏やかな静けさに包まれていた。
隊員たちはそれぞれ思い思いの姿勢で眠っており、唯一、カルアだけが手帳に何かを熱心に書き込んでいる。
気づけば、肩に毛布がかけられていた。きっと、カルアが気を利かせてくれたのだろう。
俺はシートから身を起こし、軽く頭をかく。
窓の外には、茜色の空が広がってる。
昼と夜の境目が溶けあうように、静かで優しいグラデーションが空を染めていた。
綺麗なのに、なんだろうな……ちょっとだけ、胸がぎゅっとなった。
「……ゆっくり眠れた?」
カルアが優しいまなざしを向けてきた。なんだか気恥ずかしくて、俺は顔を手で覆いながら答える。
「悪い。結構寝てたな」
「そうでもないよ。昨日からスキル使いっぱなしだったし。もっと寝ててもよかったのに。着く前には起こしてあげる」
「いや、大丈夫。……これ、ありがとうな」
毛布を手に取ると、カルアが受け取ろうと手を伸ばす。そのとき、彼女の袖口から白い包帯がちらりと覗いた。
「その傷……大丈夫か?」
カルアは肩をすくめて笑ってみせる。
「クラリスに治療してもらったしね。もう痛くないわ」
クラリスの契約精霊、フェリシア・スピリットの『癒しの加護』で治療したのだろう。
だが、自傷の傷にはあまり効かないと聞く。ましてや、フェリシアは聖属性で、カルアのサングイン・スピリットは闇属性。相性もあまりよくない。
「なんか痛々しいな」
「平気。そんなに深い傷じゃないし」
そう言って、自分の腕を軽くさすりながら彼女は笑った。
「交代しよう。俺が起きてるから、寝なよ」
「あんまり眠くなくって」
「無理すんなって。休めるときに休んでくれ」
俺は毛布を取り直し、そっと彼女の肩にかける。
「寒くないか?」
「ふふ。じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」
カルアは手帳を閉じ、ゆっくりとシートに凭れて目を閉じた。
列車の走る音だけが、優しく車内に響いている。
俺は再び、茜色の空に目を向けた。
▽▽▽
「これが海かー!」
窓に張りついて外を眺めるルクスたちの声が、にぎやかに響く。
「真っ暗で、よく見えんニャー」
すでに日は落ち、外は漆黒の闇に包まれていた。
列車は海岸線に沿って走っているはずだが、窓から見えるのは暗闇と、かすかに揺れる白い波間だけ。
夜の精霊、ノクス・スピリットの加護を持つルクスには、海の景色がしっかり見えているようだったが、他の隊員たちにはほとんど暗くて見えてないだろう。
「カルアさーん、まだ着かないんすかねー?」
「そろそろだと思うけど……先頭車のホッジに聞いてきてくれない?」
「了解っす!」
トビーが跳ねるように立ち上がり、元気よく先頭車へ駆けていった。
カリオ駅を出てからは、本職の運転士が操縦を担っている。とはいえ、昨晩の一件もあり、ホッジが運転台に張りついて付き添っていた。
「私たち、着任したらルーデリック領軍と合流するんですよね?」
制服の袖に腕を通しながら、クラリスがカルアに尋ねる。
「そうね。合流というか……指揮系統に組み込まれるって感じかしら」
「それ、絶対揉めるパターンですね」
「なぜ揉める? みんな仲良くやればいいニャー」
「ラスクは俺と一緒に近衛付きになるからな」
「近衛? 隊長と?……」
すっかり忘れているのか、首を傾げるラスクに、俺が言う。
「ほら、ライエス公子の警護だよ」
「隊長、ラスク先輩が公子付きって……大丈夫ですか?」
ルクスが小声でささやく。
「ラスク先輩、自由すぎますよね? クラちゃんの方がいいんじゃないですか?」
——おいルクス。本人の目の前でディスるなよ! 空気読んで!
当のラスクは「自由ってなんニャ?」と首をかしげ、クラリスは焦って「ルクちゃん、私なんかじゃダメなんだよ!」と必死にフォローしていた。
確かに形式だけで言えば、クラリスの方が適任だ。
——でも今回は、いやーな予感がすんだよな。
こういう時こそ、勘が鋭いラスクの出番だ。彼女の臨機応変さは、コール隊の真骨頂そのものだからな。
「みなさーん! もうすぐ着きますよー!」
運転車両から、トビーが顔を出して知らせてきた。窓の外には、街の灯りがぽつぽつと見え始めている。
「で、編成は今のままでいくの?」
カルアが確認する。
「今のままで行こうよ。なんかあれば臨機応変でさ」
「じゃあ、それで決まり。ラスク、隊長のフォローよろしくね」
「了解ニャー!」
……って、フォローするのはむしろ俺のほうじゃね?
「それと、ゾンビ案件も進めていかないとですよね」
カルアが頬に指をあて悩ましそうにする。
「カルアさー、それまとめておいてくれる?」
「わかりました。レジュメ作っておくね」
「助かる。頼んだ」
列車が市街地に差し掛かると、街の灯りで車窓が明るくなってきた。
「もうすぐ着くみたいだな……」
俺はつぶやきながら、窓の外に目を向けた。
「ほら、あれ見てください」
カルアが指をさした先。海側に突き出た岬に、一際高くそびえる塔の影が浮かんでいた。
「あれは?」
「灯台です。開港祭の象徴みたいなものらしいですよ。鐘が鳴ると幸運を呼び込むって言われてて。鳴るたびに、港が栄えて、漁も大漁になるとか」
「へえ、灯台が街の象徴ってのも、いいな」
「今は輸出入がメインですけど、昔は漁業の街だったらしくて。漁の目印として、大事にされてたんですって」
「妙に歴史を感じるな……」
「まあ、今は飾りみたいなものらしいですけど。鐘も滅多に鳴らないそうですし」
やがて駅が近づくと、ホームの様子が見えてきた。
開港祭の準備が進んでいるのだろう。ホームには色とりどりの飾りが施され、ランプの帯が列車の進行方向に沿ってきらめいていた。赤、青、黄、白の光が交じり合い、まるで街全体を優しく包み込むような輝きだ。
列車はゆっくりと速度を落とし、きしむ音を響かせながらホームへと滑り込んでいく。そして、静かに停車した。
「さあ、着いたな」
俺たちは一斉に立ち上がり、ドアが開く音とともに冷たい夜風が吹き込んできた。
もう夜も遅いためか、ホームは閑散としていた。飾り付けの華やかさとは裏腹に、驚くほどの静けさだ。
風が耳をかすめるだけで、他には何の音もない。
夜の遅い時間とはいえ、祭りの準備が進んでいるなら、誰かしらの出迎えがあってもいいはずだ。なのにこの有様というのは……やはり、何かある。
「なんか……歓迎されてない感じだな」
軽く肩をすくめながら、カルアの方を見る。
彼女も何かを察したのか、じっとホームを見渡していた。
「ここまで静かだとは思わなかったわ……」
眉をひそめ、低くつぶやくカルア。
仮に列車が遅れていたとしても、通常なら迎えの一人や二人はいる。なのに、完全な無人。
それはつまり、最初から“迎える気がない”という意思表示——。
と、その時。駅舎の方から、一人の若者が慌てた様子で駆けてきた。
見るからに、領都軍の新兵といった風情だ。
「すいませーん! 遅れちゃって! 王国軍コール隊の皆さまですよね? お迎えに上がりましたー!」
にへらと浮かべた安っぽい愛想笑いと、雑な敬礼。
……軍人か? なんていうか、兵士のコスプレしたお兄さんにしか見えないんだが。




