002. ブレイブハーツクロニクル
夕方の訓練が終わり、俺は残務処理のため書類と向き合っていた。
ふと窓の外を見ると、夕焼けが赤く空を染めている。
——異世界でも、夕焼けは同じなんだな……。
何度も感じるこの気持ち。
そのたびに、自分が異世界を生きているんだと実感する。
今朝のルクスとのやり取りを思い返しながら、あの時の事を思い出していた。
俺が『転生者』であること――そして、ここが『ブレイブハーツクロニクル』の世界だと気づいた瞬間のことを。
『ブレイブ ハーツ クロニクル』。
通称『ブレハク』。
前世で夢中になっていたメディアミックスストーリー。
剣と魔法、精霊の加護が支配するダーク・ファンタジーの世界。
舞台はサイオン王国。
平和だった日々は、闇の軍勢の出現により崩れ去り、世界は絶望に包まれた。
だが、その中で若き王子エリオットが立ち上がり、仲間とともに希望を取り戻す——それが『ブレハク』の物語。
俺は、ずっとこの作品のファンだった。
魅力的なキャラクターたちと共に戦い、笑い、涙を流した思い出は、今も胸に焼き付いている。
中でも、俺の"推し"は——闇使いの少女、ルクス。
孤児だった彼女は主人公エリオットに拾われ、やがて彼に恋をする。
けれど、運命は非情だった。
闇の勢力の罠に堕ち、「災厄の器」となった彼女は、悲劇的な最期を迎える。
「傷つかないで。あなたは何も悪くない」
そう言って微笑みながら、ルクスは命を散らした。
俺は画面の前で、ただ泣き崩れることしかできなかった。
報われないと知りながらも、愛する人を想い続けた彼女に、俺は生きる勇気をもらった。
だからこそ、この世界に転生したと気づいたとき、真っ先に思ったのだ。
「ルクスに会える! 俺が彼女を救ってみせる!」
——そう信じて、必死に生きてきた。
でも……違った。
推しのルクスは、自己主張が強くて、承認欲求も異常に高い。
正直、めちゃくちゃウザいやつだった。
そして、あの"希望に満ちた物語"の裏には、冷酷な現実が広がっていた。
一歩路地裏へ踏み込めば、痩せ細った孤児たちが物乞いをし、疲れ果てた商人がぼろ布にくるまって眠っている。
飢えと貧困。絶望に沈む人々。
そう、俺が前世で見ていた『ブレハク』は、ドラマとして切り取られた"表側"に過ぎなかった。
現実のこの世界では、主人公たちの活躍の裏で、数えきれない命が失われていた。
暗躍する闇の勢力。妖精の加護によって生まれた深刻な格差。
エリオットが華々しい勝利を重ねるその影で、名もなき兵士は命を落とし、救われなかった村は消えていった——。
物語では語られなかった"もうひとつの現実"が、ここにあった。
前世で知っていた『ブレハク』と、今自分が生きている世界は同じようで、まったく違う。
——立場が違えば、見える世界も違う。
つまりは、そういうことだ‥‥‥。
それを思い知らされたのは、俺がこの世界の"モブ"でしかないと気づいた時だった。
——モブにとっては、不条理で、ただただ残酷な世界でしかない。
ハァ……。そりゃあ、ため息も出るってもんだ。
でも、せっかく得た二度目の人生だ。無駄にはしたくない。
だったら、どうする?
「生き抜くために、この世界を変えるしかない‥‥‥」
思わず口にした瞬間、近くで書類をめくっていたカルアが顔を上げた。
「何の話?」
凛とした声と鋭い視線。
俺は現実に引き戻される。
そう、残務処理を手伝ってくれているカルアのこと、すっかり忘れていた。
「カルア、先に上がってもいいんだぞ」
俺がそう言うと、彼女は肩をすくめて、首を振った。
「隊長の仕事が終わるまで付き合いますよ。一人じゃ大変でしょう?」
その言葉通り、目の前には処理しきれないほどの書類が山積みだ。
小隊といえど、正規軍に属する限り書類仕事は避けられない。
——もっとも、うちの隊の場合、その半分が始末書なんだが。
「作戦中に偉人の銅像を破壊」「酒場で乱闘騒ぎ」……書類の内容を眺めながら、思わず頭を抱える。
ハァー……。
「隊長、ため息ついてる場合ですか? ほら、手を動かしてください」
的確すぎる指摘に、思わず背筋を伸ばす。
カルアの気遣いと手際の良さには、いつも感謝している。
彼女がいなければ、くせ者揃いのコール隊はとっくに崩壊していただろう。
「何か?」
俺がつい彼女を見つめていたせいか、カルアが怪訝そうな表情を向ける。
俺は誤魔化すように口を開いた。
「その……カルア、いつも助かってるよ。ありがとう」
彼女はわずかに眉を上げたが、すぐに書類へ視線を戻す。
「感謝より、まずは手を動かしてください」
「ハイ、すいません」
素直に謝り、俺はペンを走らせる。
しばらくして、カルアがふと手を止めた。
「また何か考えてるの?」
ドキッとする。相変わらずカンが良い。
「いや、大丈夫。手を動かすから」
俺はしどろもどろになりながら、再び書類に向き合った。
そんな俺を見て、カルアが話題を変えるように言う。
「そういえば、明日の軍隊長会議で、次の作戦の話が出るらしいですよ」
「次の作戦?」
「結構大規模な作戦になりそうだから、コールにも伝えておけって……」
「オヤジさんの指示か?」
カルアは無言で頷いた。
彼女の父親は、王国軍トップのダムド軍隊長だ。
五十を超えた今でも剣技は衰え知らずで、"裂斬の鬼公爵"の異名も健在だ。
ちなみに、その二つ名の由来は剣技ではなく、頬に刻まれた大きな縫い傷だという噂があるが、俺もそっちが本命だと思ってる……。
兎にも角にも、見た目も腕もヤベーおっさんであることは間違いない。
そして俺は、その“ヤベーおっさん”に妙に気に入られている……たぶん。
「そんなこと言われちゃうと、なんか悪い予感しかしないな」
胃が痛くなるような予感に、大きくため息をつく。
が、すかさずカルアの鋭い声が飛んできた。
「また、ため息! そういうの、隊の士気に影響するのわかってます?」
厳しい言葉。
でも、その奥に俺を気遣う気持ちが見え隠れしているのも判ってる。
カルアはいつもそうだ。
厳しい言葉の裏に、情の深さが隠れている。
いつでも、俺や仲間のことを気にかけてくれているのだ。
「わかってるって。以後気を付けます。——ありがとう、副隊長殿」
俺がそう言うと、カルアは一瞬驚いた顔をして——
「……なら、いいです」と、ふっと微かに笑い、再び書類へ視線を戻した。
その横顔を見ながら、心の中で誓う。
次の作戦がどんなものであれ、仲間と一緒に生き抜いて見せる——と。
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