7
しばらくして泣き止んだエレナに、クレメンスは「冷めてしまっただろ」とまた新しくホットワインを買ってくれた。
今度のお代はエレナが出すと言ったのだけれど、「幽鬼にたかる趣味はない」と一蹴された。
「少しは落ち着いたか?」
「ええ、ありがとう」
空いているベンチを見つけた二人は、並んで腰掛けた。
しばらく静かにワインを楽しんでいると、クレメンスがぽつりとたずねた。
「…………辛かったか?」
「え?」
振り返ると、眉根に皺を寄せた表情が目に入った。怒っているように見えるけれど、知っている。これは彼が悲しんでいる時の顔だ。
「死んでも死にきれなくて、幽鬼になってさまよい出てしまうくらい、辛い暮らしだったのか?」
エレナは彼に見えるように、ゆっくりと頭を左右に振った。彼にはどうしても分かってほしかったから。
「別にうらみつらみがあって化けて出たわけじゃないわ。もちろん、それなりに長く生きたから、相応に苦労もあったわよ? でも、そう悪くない人生だったと思うの。ほんとよ。」
薄闇の中でゆっくりと湯気を立てるワインに目を落として、エレナは続けた。
「デボラさんにお願いして、この体をいただいたのはね、ひとつだけ、どうしても叶えたい願いがあったからなの」
「願い?」
「初恋のお葬式を挙げたいの」
仮面で顔が隠れている今だからこそ言える、感傷的で馬鹿みたいな願いだった。
「……そうか。で、具体的にはどんなことをしたいんだ?」
「えーっと……」
明日にも自分の葬式が待っているやつが何を寝ぼけたことを、と呆れられると思っていたので、あっさりと先を促されて、エレナは言い淀んだ。
「いいから、ほら、言ってみろ」
「その、ね、その人と大人になったらしたかったことを、ね、できたら、なあ……って……」
言いながら、顔がどんどん熱くなってゆくのを感じる。正体を隠していても、本人に面と向かって「あなたへの初恋を拗らせて引きずってます」と告げるのは、なかなかにツラいものがある。
(重くて粘着質な女、って思われたら立ち直れない……)
忘却の川を渡れば黒歴史はリセットされるとは言え、誰しも愛しい相手には引かれたくはないものだ。
「そうか。さしずめ一緒に酒を飲むのも、そのひとつか?」
「そうよ」
「なら、相手は俺でいいんだな」
こくこく、とエレナがうなずくと、頬に彼の手を感じた。ほつれて落ちかかった髪を指に絡めるようにして捕えると、耳にかけてくれた。そのまま、すり、と手触りを楽しむように彼の指はエレナの耳の輪郭をたどった。
赤く染まり始めた耳元に顔を寄せると、クレメンスはささやき声でうながした。
「いいだろう。付き合ってやる。次は何をしたい?」
「ーーーーーっ」
エレナが言葉を取り戻して次の望みを口にできるまで、しばらくの時間を要した。
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