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広場にはいくつもの屋台が並び、そこここに置かれた大樽をテーブル代わりに、たくさんの人たちが思い思いに飲み食いしていた。
エレナがポケットからお財布を出す前に、さっさとクレメンスが手近な屋台で注文を済ませてしまった。
「お前はこっちにしろ」
「こっち?」
湯気の立つ木製のカップを手渡されたエレナは、首を傾げた。
「酒精が飛ばしてあるやつだ。お前にはそっちの方がいい」
つまり、俗に『お子様ワイン』と呼ばれる飲み物だ。そう言うクレメンスは、ワインしか入っていない大人向きのものを手にしている。
「幽霊はお酒を飲んじゃいけないの?」
「まあ、そんなところだ」
どことなく歯切れの悪い口調で肯定されたが、エレナは元々お酒にそう強いわけではないので、ありがたく受け取っておくことにした。
「それじゃ、精霊の夜に乾杯、ね」
「ああ、聖霊の夜に乾杯」
ハロウィンの夜お決まりのセリフを口にして、こち、とカップを軽く触れ合わせる。
両手で包み込むようにカップを持ち替えると、火傷をしないようにそっと熱い液体を口に含んだ。
多めに混ぜられているオレンジとリンゴの果汁の甘味と酸味がゆっくりと喉を過ぎると、その後に赤ワインの苦味とわずかな渋みが舌先に残る。鼻に抜ける芳香はシナモンだろうか。
お嫁に行く前、まだ十代の頃、時々クレメンスや弟とこっそり屋敷を抜け出して、町に遊びに出た。歩き回りすぎて寒くなった冬の日は、よくこうして屋台でお子様ワインを買って飲んだものだ。
両親や家庭教師に内緒で味わう『ワイン』は、たとえ酒精は抜いてあっても、背伸びをしているようで背徳的な美味しさがあった。
(あれ……?)
急に鼻がつんとして視界がにじみ、エレナはカップから口を離した。
瞬きをすると、ぽた、と透明な雫が赤ワインの中に落ちた。
「おい、どうした?」
クレメンスの声があせる。
「ごめんなさい。とっても懐かしい味で……。もう二度と、……っ、味わえないって、諦めて、た、から……、っ……」
笑顔を浮かべようとしているのに、しゃっくりあげてしまう。ぽろぽろとこぼれる涙が止まらない。
嫁いでからは、ひとりで気軽に外出できなくなった。まして屋台で買い食いなんて、考えることさえはばかられた。
「まったく、そんなに泣いたらワインがしょっぱくなるぞ」
ぽん、と頭に温かいものが置かれた。クレメンスの手だ。そのままゆっくりと、なだめるように何度もなでられた。
「ごめんな、さい……」
「いいから。無理に泣き止もうとしなくていい」
彼の指が、エレナの目元に溜まった涙をそっとはらってくれた。かけられた言葉は彼の手と同じくらい温かくて、エレナはうなずくことしかできなかった。
クレメンスはさりげなく立つ位置を変えて、道ゆく人の視線からエレナの泣き顔を隠してくれた。そしてそのまま彼は、彼女の涙が止まるまで黙って待ってくれた。
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