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「デボラの形代だな。俺に何か用か、使い魔」
「……私はデボラさんの使い魔じゃないわ。通りすがりの名もなき幽鬼よ」
声の震えを押し隠しながら、エレナはへらっと笑ってしらを切った。
(何て美しいの……)
鈍色の仮面に、顔が半ば隠されていてもわかる。
とうに四十は過ぎているはずなのに、冴え冴えとした美貌は二十代の青年にしか見えない。しかし、仕立ての良い黒一色の衣装に身を包んだ立ち姿は堂々としていて、辺りを払うような威厳がある。
風の便りに、魔力が顕現したと聞いていた。
魔術師には、長寿で美しい容姿を持つ者が多い。精霊の力とも呼ばれる魔力は、遠い祖先の時代に交わった精霊の血が表に出たものとされている。だからなのか、年を重ねるにつれて、魔術師の外見は人ならざる者に近くなる。
昔から彼は容姿が整っていた。きれいな金髪だった髪は、今は月光を跳ね返す硬質な銀に変わっていたけれど、エレナを見つめる瞳の色はきっと、彼女の身を包むドレスの色と同じ、藍色のままだ。
(そういえばデボラさんも、昔より耳がとがっていたわね)
「!! ………っ、……そう、か……」
クレメンスがかすれた声で答えるまでに、何かを飲み込むような間があった。
「ところで魔術師さん、あなたには奥様はいらっしゃって?」
「………は?」
エレナがのんびりと問うと、今度は呆気に取られたような間が入った。沈黙にも色んな種類があるのね、とのん気に感心しながら、エレナは男の答えを待った。
「いや、独り身だ」
その答えに、エレナの胸が小さく高鳴った。念のため、さらに確かめることにする。
「それならご結婚のお約束をされている方や、お付き合いをされている方は?」
「個人情報が好きな幽鬼だな。それもいないぞ」
今度はちょっと笑って、クレメンスはあっさりと答えをくれた。
「ああよかった」
「何が『よかった』なんだ?」
エレナが安堵のため息をついている間に、クレメンスはすぐそばに近づいていた。記憶の中より更に高くなった背や広い肩幅に、幼馴染もまたひとりの大人の男になったのだ、と遅ればせながら実感する。
「奥様や恋人がいらっしゃる方に、こんなお声がけしたら失礼でしょう?」
「まあ、そうだな。律儀だな」
くっくと笑いながらクレメンスは答えた。ぶっきらぼうなのに温かい声に、エレナの胸は締め付けられる。彼はぱっと見、気難しそうな印象を与えるし、態度も偉そうだから分かりづらいけれど、実は気の優しい人なのだ。
「ねえ魔術師さんーー」
「おい幽鬼、今夜は昔話をしたい気分なんだ。少し付き合ってくれないか」
ためらいがちにエレナが口を開いたところに、クレメンスの声が重なった。その言葉には、どこか切羽詰まった響きがあった。
エレナも「お暇ならお酒でもご一緒しない?」とお誘いしようとしていたので、もちろん異存はない。
「まあ、素敵。お話、聞かせてくださいな」
エレナが一も二もなく承諾すると、クレメンスの肩から力が抜けた。
「それなら広場へ行かないか? こんな晩なら、屋台の酒も悪くないぞ」
「いいわね。ちょうどホットワインが飲みたかったの。広場はこっちね」
「おい、どこへ行く。逆方向だぞ」
明後日の方向に向かおうとしたエレナの腕をさりげなく取ると、クレメンスはエスコートするようにゆっくりと歩き出した。
「まったく……。変に行動力があるところも、方向音痴なところも、ちっとも変わっていないな……」
「え? 何か言った?」
「いや、何でもない」
彼の腕の暖かさを感じながらうきうきと歩いていたエレナは、クレメンスが何かをつぶやいたような気がして、自分より頭ひとつ分、高いところにある彼の顔を見上げた。けれども返ってきたのは、昔と変わらない、ちょっと呆れたような優しい笑顔だけだった。
(……もう、昔とおんなじ笑顔なんて、ずるい……)
死ぬまでの人生にはそこそこ色んなことがあったから、自分は身も心も擦り減ってくたびれたというのに。この人は想像の何倍も素敵になっている上に、いいところは変わっていないなんて不公平だ。
(心臓、持つかなあ……)
デボラの腕を信じるしかないが、夜は穏やかに過ぎてくれなさそうで、エレナはうるさく鳴る胸をそっと手で押さえた。
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