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「で、なんで私、幽霊になっちゃったんでしょう?」

「そんなこと、あたしに聞かれても困るわ」

 鮮やかな夕焼け色の髪をした魔女は、エレナの質問に面倒くさそうに答えた。

 この魔女は、吊り目気味の目元の泣きぼくろが色っぽい美女なのに、ひっつめ髪姿で台所の椅子にふんぞり返って、クラッカーをバリバリ食べながらビールを飲んでいるので、なんだかおじさんみたいだ。

「それはそうよねえ」

 エレナは柔らかな榛色の瞳を細めて、おっとりと同意した。決して派手な顔立ちではないが、少し垂れた大きな目に愛嬌がある。魔女の向かいの椅子にお行儀良く座っているが、癖のある栗色の長い髪も、すっきりとした上品なデザインのドレスの裾も、透けて台所の薄闇に消えている。

「で、あんたは何がしたくてあたしのとこに来たの? なんかあるんでしょ、やりたいこと」

「ああ、そうでした。デボラさん、とっても聞き上手だから、ついおしゃべりしてしまいました」

 テーブル越しに身を乗り出しながら、エレナは両手を合わせた。

「一晩だけでいいの。生身の体をいただけないかしら?」

 わざわざ幽霊の身ではるばる生まれ故郷まで戻ってきたのは、ひとつはこの魔女の腕の良さを噂に聞いたからだ。本当はもうひとつ理由があるが、それはこの魔女の返答次第なので、今はいい。

 デボラは相手を値踏みするように、エレナを眺めやった。髪と同じ、夕焼け色の瞳が油断なく光る。

「ふうん。まあできなくはないけど、タダってわけにはいかないわよ」

「おいくらかしら?」

 エレナが首をかしげると、魔女は指を三本立てた。

「三百万レル?」

 彼女の返答に、デボラはぎょっとした。

「ちょっ、一桁ちがう!」

「あらごめんなさい、三千万でしたのね」

「ちがう! そっちの桁じゃないわよ! あんたねえ、屋敷でも買えそうな額をぺろっと出そうとすんじゃないわよ」

 十万レルもあれば、平民なら一月は暮らせる。三百万レルでも大金だ。

「ごめんなさい。私、魔術の相場にはうとくて」

 てっきりそれくらいするのかと思った。

「まったく、御大家の奥様だったかなんだか知らないけど、一晩限りの魔法がそんなに高いわけないでしょ。んなことになったら、誰も魔女のとこなんて来ないわよ。三十万レルよ。それでもその辺の人間には大層な額なんだからね!」

「そうよね。上級メイドのお給金がそれくらいですもんね」

「ったく、まっとうな金銭感覚あるじゃない……。ってか、男爵家、待遇いいわね。で、どうやって払うつもり?」

「安心してちょうだい。私、けっこうヘソクリがあるんです。だから体をいただけたら、銀行宛に支払い依頼書を書くわ」

「なら決まりね。ちょっと準備するからそこで待ってなさい」

 いそいそと立ち上がった魔女は、隣の部屋に姿を消した。

 ガサゴソとデボラが作業をしている音を聞くともなしに聞きながら、エレナはこれからの予定に思いをはせた。計画の第一段階はクリアできたので、次はどうやって偶然を装ってターゲットに近づくか、だけれどーーーー

「お待たせ。こっち来てちょうだい」

 呼ばれて、エレナは考えることをあっさりと諦めて、ふわりと浮き上がった。

(ま、何とかなるでしょ)

 そんな気がする。

「あんたラッキーだったわね。今夜はハロウィンだから、あんたみたいな弱っちい霊でもちゃんと人に化けられるわ」

 台所の隣の部屋は、デボラの作業場だったようだ。ランプの光が、作り付けの棚に並ぶ瓶や壺、動物の骨や紙束を照し出す。

 複雑な魔法陣らしきものが描かれた、大きな紙を床に広げながら魔女が口にした言葉に、エレナは首をかしげた。

「いつでも人に化けられるわけではないのかしら?」

「そうよ。形代に入れても、霊の力が弱いと見た目がのっぺりしちゃうし、動きもゾンビみたいにギクシャクするのよ。でもハロウィンなら端境から漏れる力を借りられるから、心配しなくていいわよ」

 ハロウィンは、この世とあの世がくっつく夜とされている。あの世から流れてくる力を拝借することで、エレナのような下っ端幽霊でも立派に化けられるということらしい。

 にっ、と勇気づけるように笑ったデボラは、エレナを手招きして魔法陣の上に来させた。そして本来だったら彼女の足があるあたりに、すべすべとした素材で作られた白い人形を置いた。

「じゃ、始めるわよ。じっとしてて」

 ひとつ深呼吸をした魔女は、懐から出した魔法杖をふるった。

 あたりが真昼になったみたいにまぶしく光り、エレナは思わず目を閉じた。すると高い崖から飛び降りたような浮遊感に襲われ、身を固くした瞬間、長いこと感じていなかった、固い床の感触を足裏に感じた。

「やっぱり、あんた力が弱いから、あたしの色がけっこう出ちゃうわね」

 目を開くと、不満げに眉を寄せた魔女の顔が目の前にあった。髪を一房手に取って、ランプの光で色を確かめている。出来栄えがお気に召さないらしい。

 自分でも髪に手をのばしてみた。すこし癖のある髪は、赤葡萄酒のような深みのある色合いに変わっていた。確かに魔女の鮮やかな髪色に近づいている。ひょっとしたら瞳の色も変わっているのかもしれない。

「あら、いいじゃない。この色とっても綺麗だから、私好きよ」

 元の、何の変哲もない栗色の髪と榛色の瞳よりも、今の方がずっと素敵だ。素直な感想を口にしたら、途端に魔女の機嫌が治った。

「あらそう? ふふん、それならいいわ」

 綺麗と言われたのがうれしかったらしい。

(それに、これならバレないんじゃないかしら?)

 変装でもしようかと考えていたが、その手間が省けた。うれしい誤算だ。

「それじゃ、次は着るものよね。普段なら先に用意しておくんだけど、今日は仕方ないからあたしのを着せたげるわ」

「あら、お洋服もいただけるの?」

「あんたすっぽんぽんのまま外に出るつもり? やめてよ。もう、いいからこっちいらっしゃい」

 魔女は部屋の端にあった巨大なクローゼットの扉を開けると、猫でも呼ぶように雑に手招きした。

「まあ、素敵なお衣装がたくさん」

 クローゼットをのぞいてみると、普段着のスカートやブラウスからよそ行きのドレスまで、いろんな種類の服がぎっしりと詰まっていた。どれもこの魔女らしく華やかだ。

「大富豪の奥さんだった人に言われると、お世辞にしか聞こえないんだけど。服なんて、部屋いっぱい持ってたんじゃないの?」

「お仕事の服なら、たくさん持っていたわ」

 衣装はいつも、自分をその場でどう見せるか選んでいた。もちろん好みに寄せていたけれど、心を表すことよりも、心を守ることに重きを置いていた。

「ふうん……」

 エレナの表情から察したのか、魔女の顔にチラリと同情の色が浮かんだ。

「じゃあ、今夜だけはとことん好きなものを着なさい。どんなに趣味が悪くても、似合ってなくても笑わないから」

「ま! それじゃ私、着てみたいものがあるのだけど」

「何? 言ってみなさいよ」

 頬を上気させて、エレナはウキウキと答えた。

「えっちな感じのお衣装がいいわ。こう、胸元とか、ばーんと開いているようなの」

「え、そっち系……? ま、まあいいわ、わかったわ」

 意表をつかれたような表情を浮かべたものの、デボラはクローゼットに向き直ると中身を検め始めた。


読んでいただきありがとうございます。

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