第陸拾参話 ネームレス・ファイター
氷床の中に鎖を巡らせること約一時間と少し。ルカはすっかりこの作業に慣れて、冷たい氷の大地に寝そべりながら鎖を伸ばしていた。
延々と寝そべっていたからか、背中はキンキンに冷え、顔を撫でる凍てついた風と相まってまるで氷床と一体化したかのような感覚になる。
「......暇だなぁ......お腹も空いた......これ、いつまでやればいいんだろ」
もはや指先の感覚も希薄だ。流石に鎖を捻り出す痛みには慣れ切ってしまった。とはいえヒリヒリするような不快感は続いており、慣れたからといって完全に無視するのは難しい。
「はぁ......せめて今どこまで進んでるか分かればなぁ............」
進捗を確認出来たからといって、軽く絶望するだけであろうが。それでも終わりの見えない単調作業というのは中々精神的にクルものがある。無線機の一つでも拝借しておけばよかっただろうか。
しかし、こういった暇な時ほど、何かしらの事件が起きて暇では無くなるのが世の常だ。今はこの暇を享受しよう。
暫しボーっと辺りを見渡していると、大和から一人の士官がこちらに向かってくるのが見える。どうやら、早速何か起きたようだ。鎖の延伸を続けたまま、ルカはそっと立ち上がる。
「ルカ軍曹、現在の進捗についてお聞かせ願えますか?」
「え? あー......だいたい三分の一ですかね? ......何かあったんですか?」
「敵の航空隊です。ストラト・アイから報告がありました」
なるほど、それは非常にマズイ。大急ぎで氷床の破壊を進めても、相手が航空機では流石に間に合わない。
現状の日米艦隊は標的そのもの。艦隊も対空弾幕を重視した密集陣形であり、対空ミサイルなどにとっては距離が近すぎて運用に難がある。
「......何か、策はあるんですか?」
「現在、米艦隊からYF-35を対空兵装に換装中で、準備が整い次第迎撃に移るとのことですが......敵航空隊の総数は最低でも六〇〇機と............」
「六〇〇?!」
最低六〇〇ということはまだまだ増えるということだ。不幸中の幸いか、ストラト・アイのおかげで早めに準備が出来ているのはいい。だが、圧倒的なまでに物量が足りていない。
いくらYF-35が全身機関銃の最新鋭戦闘機だとはいえ、それは対異生物群戦争に適した上での最新鋭だろう。正規戦を重視しているとは考えづらい。
まぁ、実戦試験という面目的には嬉しいことだろうが。
「対空ミサイルは使えないんですか?」
「対空ミサイルは敵機をレーダーで捉えないと使えませんから、おおよそ一〇キロ程度までは使用できないでしょうね」
「戦艦の主砲は?」
「戦艦の主砲も、少なくとも二五キロ地点までは撃っても届かないでしょう。もっともレーダーや光学測距は使えませんので、効果的な空域制圧は行えませんが......」
敵航空隊が艦隊から一〇キロに迫るまで、ロクな抵抗が出来ないとは。レーダーで捕捉出来ないというのは、こうも厄介なものだとは思わなかった。
それに敵機の平均飛行速度は八〇〇キロ程度と聞く。一〇キロ地点までのこのこと進出を許せば、CIWSと速射砲の弾幕を以てしても数の力で押し切られるだろう。
「今はYF-35頼み......ってわけですか............」
「えぇ、悔しいですが......彼らの活躍次第です」
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── 一一月二二日 二〇時四〇分 日米艦隊より北西二〇〇キロ──
「ネームレス01より全機、敵航空隊をレーダーで捕捉した。各自対空ミサイルを発射した後に反転。全速で離脱するぞ」
『『『了解』』』
敵航空隊との相対距離一〇キロを切り、ようやくレーダーが敵機を捕捉。YF-35のハードポイントに満載された対空ミサイルが余すことなく一斉発射。
YF-35全機は対空ミサイル発射後、即座に反転。その狭い旋回半径を活かし、そそくさと敵航空隊に背を向けてアフターバーナーを全力噴射して距離を離していく。
「......こんなんで十数機墜としたところで、なんになるってんだかな......クソっ、機関銃の持ち腐れだぜ」
流石に数百機規模の航空隊の最中に突っ込んでいくのはバカのすることだ。とはいえ、YF-35は対航空猟兵種を主眼に設計されており、一対多数戦闘はある程度までは想定されている。
両翼合わせて八門の重機関銃も、戦闘機にはあるまじき防護銃座も対多数戦闘の為のものだ。だからといって自ら死にに行く必要は無い。そもそも、防護銃座なんかはあくまでも自衛用。防護銃座を活かして半包囲掃射戦術を取るなんてことも、設計者は意図していないだろう。
「さて、二次攻撃は間に合うかね......」
暫く飛んでも、レーダー上では敵機と自機の距離が中々離れない。YF-35の最高速度は精々時速一〇〇〇キロをやや超える程度。速度差二〇〇キロ程度では離脱にも時間が掛かってしまう。
とはいえ、このまま順調に進めば敵航空隊が艦隊上空へと飛来する前までには帰投出来る。艦隊の対空砲火に巻き込まれる心配は不要だろう。
「にしても全く、今日も雲一つねぇな......この辺はスコールが多いって聞いてたんだが......」
雲一つ無い空を見上げると、月が燦然と輝いて見える。太陽光が月面に当たって反射して、こうして漆黒の夜であっても淡く照らしつけてくれている。
綺麗な満月に目を奪われていると、一瞬YF-35のターボファンエンジンの騒音に紛れて古めかしいレシプロエンジンの音が聞こえた。
「ん? この音は......っ?! クソっ、野郎どこにいやがる?!」
明確に耳に届き始めたレシプロ発動機の音に、ネームレス01は慌ただしく周囲を目視で索敵。レーダーには何度見ても敵機の姿は映っていない。
なのに、レシプロ発動機特有のブロロロ、という音だけが聞こえてくる。
「ネームレス01より全機、敵機だ!! 敵機が近くに──」
刹那、鉛の雨がYF-35航空隊を切り裂いた。ネームレス01の真横を飛んでいた僚機が火を噴いて爆発四散。ある機体は翼と胴体部の付け根にクリーンヒット。片翼が根元から弾け飛んで錐揉みしながら墜ちていく。
編隊の真下から突き上げ、編隊を切り裂くように奇襲を敢行した三機はそのまま急上昇を続け、YF-35航空隊の頭上で編隊を組む。
重そうな三七ミリ対戦車砲と、無骨なランディングギアのJu87G-2、大砲鳥。
真っ白な機体に、赤い星の目立つLa-5。
機体の先端に黒い薔薇を咲かせ、翼下に一五ミリ機関砲ポッドを抱えたBf109G-6。
「畜生っ!! 遺物共が調子に乗りやがって......!!」
完璧なまでの奇襲だった。レーダーに一切映らないのは訳が分からないが、攻撃後の油断を突いた、完全な死角たる編隊下方からの一撃離脱。汚い言葉を吐いて罵倒しなければ自身の間抜けっぷりに頭がどうにかなってしまいそうだった。
「クソ、クソッ!! 各隊損害報告!!」
『ネームレス01、こちらキャリバー01。キャリバー04、キャリバー08が撃墜。キャリバー09とキャリバー10が燃料タンクに被弾』
『ネームレス01、こちらバスター02。バスター01が撃墜されたため、バスター隊の指揮を執る。損害はバスター01、04が撃墜。他損害なし』
『スワロー01よりネームレス01。スワロー隊被害無し』
『スイーパー01よりネームレス01、スイーパー隊損害軽微。飛行に支障なし』
敵機が再攻撃に移るまでの僅かな間に、各隊の損害報告が濁流の如く流れ込んでくる。ネームレス01は雪崩れ込んでくる情報を頭の中で整理する。
最初の奇襲で、四機が撃墜。二機が燃料タンクに被弾している。そして、ネームレス03、08の撃墜を加えると六機。
「──ネームレス01了解............ネームレス01よりキャリバー01。キャリバー09と10を帰投させろ。護衛にはスワロー09、10を付ける」
『キャリバー01了解。キャリバー09と10を帰投させる』
指示を受け、キャリバー09と10が離脱を開始する。
「ネームレス01よりスワロー01。キャリバー09、10を燃料タンク被弾のため離脱させる。護衛にスワロー09、10を付けさせろ」
『スワロー01了解』
これで撃墜六機に加えて更に四機が離脱、一〇機,,,,,,一個飛行隊に相当する戦力が失われ、残りは約三七機。
数的には圧倒的有利。幸いにもレーダーは奇襲以降敵機を狂いなく捕捉しており、見失うような気配は無い。しかし、相手は旋回戦が十八番の旧式レシプロ戦闘機隊。ロシア戦線での報告では、その姿形に恥じぬ戦闘技量を持つ。
「っは、面白れぇ......いいじゃねぇか、買ってやるよ。その喧嘩」
ネームレス01は上空で機体を反転させる敵機を睨み、押し殺すような笑みを浮かべる。
「ネームレス01より全機、俺についてこい!! 不届きな背信者共を叩き墜とすぞ!!」
『『『ウィルコ!!』』』




