第伍拾弐話 夢幻竜ヒュドラ
──西暦二〇〇二年 一一月二一日 ソコトラ島沖──
静かな夜の海、ソコトラ島沖合にて。
黒鉄の亡霊達が動き始めた。
「全艦、方位1-8-0。巡航全速!!」
"了解しました。全艦、方位1-8-0、巡航全速"
レヴィアタンの号令に合わせ、ソコトラ島沖合いに展開していた全ての亡霊艦が煙を吹かす。
戦艦一六隻、大小航空母艦三一隻、巡洋艦二三隻、駆逐艦以下補助艦艇一○○隻以上。複数の艦隊を構成し、海原一面を黒鉄色に染める。
その全てが大戦期時代、数多の海に志し叶わず沈み、あるいは戦後に棄てられた艦艇達。抱く憎愛の感は計り知れず。
「目標~、日米連合艦隊!!」
"及び、夢幻竜ヒュドラ"
先陣を切る武蔵は、後に続く数多の亡霊艦達へ向けて汽笛を鳴らす。
""全艦、粉骨砕身の覚悟を持って決戦に当たれ。ここが最初の正念場だ"
雄叫び代わりに各艦が汽笛を上げ、不気味な合唱を奏でていた。
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──同日同刻 ザンジバル島沖合──
"そろそろだな"
"起きたかゼロワン。そうだ、そろそろだ"
ゼロワンとゼロツーが浮上。飛雷母種の大艦隊も、同時に浮上する。
"ゼロスリー、あの艦隊の動きはどうだ?"
"レヴィアタンの艦隊も動き出したらしい。ソマリアに展開している航空猟兵種から連絡が入っている"
"今動き出したのか? やけに遅い気がするが......"
"漁夫の利狙いだろう。あれは人類とも我らが主とも敵対している。両者が今回の決戦で消耗した隙を突くつもりであろうな"
ゼロツーは長く凍てつく吐息を吐き、海面に氷の大地を作り上げていく。
飛雷母種達はヒュドラのアイコンタクトを汲み取り、氷塊の下の海中へと再度潜航。分厚い氷原の下に姿を隠す。
"まぁよい。最強の海獣......この夢幻竜ヒュドラが叩き潰してくれよう"
"ゼロツー、貴様も中々言うようになったァ?"
"お喋りはそこまでに、ゼロツー、ゼロワン。そろそろ行動開始だ"
""了解""
氷原が彼方の水平線の先まで海上を包んだころ。ヒュドラの首から下が姿を現した。
剣山の如き亀の甲羅を背負い、氷上を踏みつける四肢はその巨躯を支えんが為に太く短い。竜の名こそ冠すれど、雄々しい翼も、長大な尾も存在しない。
亀のような身体に、竜の威容を見せつける三つの頭。どこか取って付けたようなアンバランスさである。
"氷結具合は問題なさそうだな"
"これで奴らも容易には動けまい......半神半人共の得意な地上戦が可能となるのは癪であるがな"
"まァーそこは数で押せるだろ。我らはルノレクスと同じ轍は踏まん"
六つの瞳が鈍くギラつき、三つ首のヒュドラは重々しく歩を進める。
氷下の大艦隊も、ヒュドラに速度を合わせ、一路マダガスカル島へと進路を取った。
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「艦長、間もなく接敵ですが......」
「あぁ......海面が凍っているね。それも、中々に分厚い氷塊だ。砕氷船でも割れそうにないね......」
敵艦隊の行動開始に合わせ、補給と休息を十分に取った日米連合艦隊。定期的に飛ばしている哨戒機からの報告で、アンツィラナナ港より北西四〇〇キロ地点の海面が凍り付いていることが判明した。
加えて氷原はザンジバル島周辺のアフリカ沿岸から一〇〇〇キロ近い範囲にまで広がっており、これを避けて決戦に挑むことも、決戦を避けることも出来ない。
雲行きも怪しく、氷原に進むにつれて鼠色の曇天が空を包み、遥か彼方の空ではゴロゴロと水色の稲妻が蠢き。
アフリカ大陸の沖合は、赤道直下にも拘わらず冷たい風が吹雪いていた。
「涼しい......いや、寒いね」
「異常な気候......ネヴィルさん、これってもしかして......」
「えぇ、ロシア戦線で多国籍軍を壊滅させたルノレクス。それと同等の存在が居る、ということでしょう」
「......ネヴィル君、心当たりは?」
「無いことはありませんが......アレは最初の戦いで殺したはず」
小声で呟くネヴィルに、高野大佐は僅かに疑念の目を向ける。
ネヴィルはそれに気付くと気まずそうに俯き、溜息を一つ吐く。
「............可能性の話ですが」
「それでいい。知っていることを話してくれないかい?」
「恐らくは夢幻竜ヒュドラかと」
「無限竜?」
「夢幻と書いて夢幻竜です。冷気を操り、生物の魂に干渉し、海をその血で汚染する外法の魔物です」
ネヴィルは心なしか不安げに水平線の彼方を見つめ、高野大佐に向き直る。
「このまま進めば、氷の大地の中で身動きが取れなくなります」
「それは困るね......空母はともかく、戦艦の打撃力が活かせないというのはあまり良いことでは無いだろう」
「──それでも、進みますか?」
「............元より決戦は避けられん。ここで私たちがやらねばならないというのであれば、固定砲台でもなんでもなろうじゃないか。ここに居る者達は、そういう覚悟をした者達だからね」
ネヴィルは一瞬目を見開き、ふっと笑みを零す。
「背中、預けましょう」
進路は決まった。定期発進の哨戒機とは別に戦闘機隊もスクランブル待機で臨戦態勢。
決戦前の最後の食事を取り、艦隊は遂に氷原の先端に触れた。
その頃哨戒機隊は氷原の奥を歩んでいる巨大な生物──ヒュドラを視認。第一次攻撃を仕掛けに数十機が発艦していった。
残る日米連合艦隊は現代型戦艦を前衛に、薄い氷を砕氷しながら前進。ある程度進んだところで、遂に氷を砕けなくなり停止。
艦隊は身動きが取れなくなった。
「我々はここまで、だな......では、あとは頼んだよ。ルカ軍曹、ネヴィル君」
「了解しました!!」
「了解」
ルカとネヴィルが氷原へと降り立ち、大和のレーダーも巨大な影を捕捉。
氷下に展開する無数の飛雷母種には気が付かぬまま、ヒュドラに対する攻撃が開始された。
「全艦、巨影をヒュドラと断定。VLS発射用意」
各艦は順次VLSを発射。数十発のミサイルが第二波攻撃として、航空隊の攻撃に遅れてヒュドラへと向かう。
「......VLS、ヒュドラの四〇〇メートル前方で消失。防がれた模様です」
「厄介だね......まだ主砲の射程ではないし、無暗にミサイルをばら撒くわけにもいかない......仕方ない。我々はこのまま待機だ。彼らの活躍に期待しよう」
高野大佐らの第一波、第二波の波状攻撃は攻撃届くことも叶わず失敗。
陽動として行われた米艦隊よりの第三波攻撃に遅れ、遂にヒュドラと直接対峙したルカとネヴィル。その威容と、魂をも凍てつかせるような鋭い眼は、目の前の竜がルノレクスと同類であることを粛々と指し示していた。
「こ、これは......また末恐ろしいモノが出てきましたね」
「......ネヴィルさん、何か知ってますか?」
「顔には見覚えがありますね。何やら魔改造されているようですが、夢幻竜ヒュドラで間違いないでしょう............まさか殺し切れていなかったとは、思ってもいませんでしたが......」
恐怖に自然と足が後ろへと下がり。寒さかはたまた本能か、声には震えが混じり。恐れおののく自己を忘れんと顔は苦く笑みを浮かべる。
敵を目の前にして、ルカ達もヒュドラも動く気配はない。ただただ睨み合い、数十秒。ヒュドラが言を放った。
"我が名はゼロワン。稚虐のヒュドラ"
"本身の名はゼロツー。氷牙のヒュドラ"
"私の名はゼロスリー。賢導のヒュドラ"
名乗りが終わり、三つ首の全ての瞳が殺意で染まる。
"""忌々しき恒常の女神、アヴァターラ。貴様の産み落としたレヴィアタンに身体を喰われた"""
「う"っ?! こ、これは......精神感応?!」
本能的な嫌悪と恐怖を感じ、ネヴィルは吐き気を催してしまう。
......ヒュドラから感じる恐怖と威圧は、ルノレクスから感じていたモノとはまた違うように思える。
魂に刻まれたような恐怖心。戦ってはならぬと、全身を使って本能が警鐘を鳴らしている。
歪な恐怖、歪な認識、歪な本能。それが自分のモノではないと、外から無理に植え付けられたモノであると分かるのに。
それを振り払えない。御することが出来ない。
「こ......れは、ちが............ぁ........................」
"哀れだ"
"無様だな"
"所詮は人の子か"
ゼロツーが大きく息を呑み、凍てついた空気を口腔に、喉に、肺にと目一杯に溜め込む。
紺色の瞳は雪のような白銀色の光に包まれ、閉じた牙の隙間から空気すらも凝固させる冷気が垂れる。
"いくら不死と言えど、氷漬けにされては何もできまい"
"凍てつく牢獄の中で死に続けるがよい"
「ルカ!!」
ルカの頭上に絶対零度のブレスが迫り、偽物の情動を振り払ってネヴィルが走り出す。
だが、一手早かった。
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「情報通りだな。エカテリーナ」
薄暗い地下の尋問室。古ぼけた電球が弱々しく照らす一室で、セルゲイは目の前で頭を垂れて脱力しているエカテリーナに声を掛ける。
エカテリーナは椅子に拘束されており、両隣にはセルゲイに背を向けてショットガンを構える警備兵が二人。
「............」
「はぁ、相変わらずだんまりか。ヒュドラの情報を吐いたから、協力する気にでもなったかと思ったんだが」
「............」
沈黙を貫くエカテリーナに、付き添いの尋問官が一歩前に出る。
セルゲイは片手で尋問官を制し、大きく、わざとらしくため息をつく。
「知ってることは話したでしょ。早く殺してよ」
「死にたいなら勝手に死んでくれ。まぁ、お前は貴重な捕虜だ。勝手に死なせはしないがな」
「情報はこれで全部。他に喋ることなんてない。早く殺して」
エカテリーナは俯いて、目を反らしながら言う。尋問官に訪ねるまでもなく、何か情報を隠していることは明らかだった。
「......まぁ、そうしてたいなら好きにしろ。だが、俺達がお前を易々とは死なせない。楽に死にたいっていうなら、知ってることを惜しみ無く吐き出すことだ」
そう言い残し、セルゲイは尋問室を後にする。
残された尋問官はエカテリーナの拘束を解き、警備兵の二人に独房まで案内するよう指示を出す。
「っち、なんでこんなやつ生かしてんだよ......」
つい、警備兵の一人が愚痴を漏らす。決して、小さくはない声量で。
「............だったら、いまここで殺してよ」
エカテリーナは警備兵のショットガンに顔を押し付ける。しかし、警備兵はあくまでも下っ端である。罪人の要求に答えることなど出来ない。
気の狂ったエカテリーナの行動に、警備兵は背筋を這いずるような嫌悪感を感じ咄嗟に銃口を天井に吊り上げる。
正気じゃない。
「うわっ?! あぶねぇだろうが!! 大人しくしてろ!!」
あまりの薄気味悪さに、悪態を付いた警備兵も頭が冷えてしまう。
「はぁ......勘弁してくれよ............まじでよぉ..............................」
ため息を吐いて気の滅入る警備兵を前に、同僚も釣られてため息を吐くのだった。




