第肆拾捌話 窮地からの脱却
「二人とも、よく戻ってきてくれた......早速怪我の治療をと言いたいところだが、現在二〇〇機以上の敵航空隊が迫ってきている。まずはこれから話す作戦に協力してもらいたい。やれるかね?」
大和の甲板上に帰還した二人を、艦橋で待つ時間すらも惜しいと高野大佐自ら出迎える。
「えぇ......問題ありません。ルカ軍曹ほどではありませんが、私も死ねない身体ではありますので」
べリべリと乾いた血の剥がれる音と共に、片目を抑えていた手を離す。裂傷を見れば、血は止まっているらしい。
ルカであれば既に完治しているレベルであるのに、ネヴィルの裂傷は未だに深く傷痕を残している。これは暫く痛みだろう。
「では......艦橋まで上がる時間も惜しいな。ここで話そう」
状況はよほど切迫しているらしく、敵の砲火が海面を叩き上げる最中で高野大佐は説明を開始する。
「今からヘリを出す。数は二機だ。ネヴィル君にはそのヘリ二機と艦隊を共鳴させてほしい」
「............なるほど、面白いことを考えますね。いいでしょう、やってみせます」
片目を瞑ったまま、ネヴィルは不器用に笑みを浮かべる。
無論、ヘリなどという装甲皆無のペラペラな代物と共鳴すれば、大和が誇る重装甲もその機能を半ば失う。
加えて上手く行けたとしても、艦艇の限界を遥かに越える速度を出そうというのだ。運が悪ければ、機関が大破し航行不能となってしまう。
だが、駆逐艦も必殺の雷撃をお見舞いしようと接近している現状。航空隊と協同されては全滅は必至であり、このギャンブルは賭けるに値するだろう。
「ありがとう、ネヴィル君。今は辛いだろうが、頼んだよ」
高野大佐は優しい笑みを浮かべると、艦橋に向き直って手信号を送る。艦橋からの短い発光信号が返り、暫くして二機のヘリコプターが艦橋後背より姿を現した。
「SH-60Jだ。最高速度は約二八〇キロ」
「それだけあれば、この海域からの離脱は容易でしょうね。ですが、航空隊までは振り切れませんよ?」
「そこは何とかするさ。今はとにかく機動力が欲しい」
ネヴィルは大和の前方へと躍り出たヘリ二機を見据え、艦隊との共鳴を開始する。
「これだけの巨体を、モーターボート以上の速度で動かします。お二人は艦橋に。それと、全艦に対策の徹底をお願いします」
「了解した」
そうして全艦に対し、現海域からの離脱が正式に下達。同時に、衝撃に備えるように、とも周知された。
甲板上で待機するネヴィルから合図を受け、高野大佐は操舵手に命令を出す。
「操舵手、両舷前進一杯」
「了解、両舷前進一杯、よーそろー」
大和に合わせ、ヘリが加速を開始。次第に大和から遠ざかっていくが──。
「......大和、三〇ノットを突破。尚も加速中」
「よし! 上手く行ったな!!」
大和の速力を示すメーターは限界速力である三〇ノットを軽々と突破。四〇、五〇ノットと尋常ではない加速と速力でヘリの後を追いかける。
イージス、駆逐両艦隊も大和の後に続き、渦潮を強引に切り裂き。敵艦隊への応戦も無用と一切の攻撃も行わずに離脱を開始する。
艦隊の速度は尚も加速。一三二ノットの高速で安定し、敵艦隊の有効射程からは早々に脱却するも、手負いの獲物を逃がすまいと敵航空隊は執拗に追尾。
対空弾幕を掻い潜り、遂に敵の爆撃機が艦隊直上へと迫る。
「敵機直上......急降下!!」
「回避行動、慎重にだ」
大和ほどの巨艦が、この高速で、全力で回頭しようものなら何が起こるか分からない。針穴に糸を通すが如く慎重に舵を取り。敵もこれだけの高速に当てるのは至難の業なのか、投下された爆弾は大和の後ろへと着弾していく。
魚雷はもはや追い付くことすら叶わず。あろうことか雷撃機は雷撃を諦め、直当てを狙い両舷後方から突っ込んできている。
だが、艦隊に対し一直線に突っ込んできては良い的である。雷撃機は悉くが撃墜。爆撃機隊は機体を引き起こしたタイミングを狙い撃ちにされ、敢え無く壊滅。
護衛艦隊は当初予定された作戦目標の達成は不可能と判断。インド海軍本部に作戦中止の旨を伝え、西海軍コマンドの本部が座するムンバイへと寄港した。
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──一〇月一六日 七時二〇分 ムンバイ西海軍コマンド──
「各艦の損傷につきましては、大和が中破。他補助艦艇はほとんどが小破ないし目立った損傷はありませんが、一隻のイージス艦の機関が大破。ほぼ全損状態で、暫くはドッグで修理漬けになりそうです」
運悪く強力なイージス艦の機関が大破してしまったことを憂いつつ、高野大佐は軍港で修理を受けている大和の船体を見下ろす。
不幸中の幸いか武蔵の主砲こそ直撃はしえなかったものの、雨あられと砲弾を浴びたのだ。速射砲塔やCIWS、その他多数のレーダー系設備が破壊され、マトモに使えるのは主砲と速射砲塔が幾ばくか。
「......やはり速射砲塔も装甲化すべきではないでしょうか。何が起きるか分かりませんし、海戦の度にこうも壊れられても困りますから」
「そうは言うがねぇ......確かに敵海洋部隊のほとんどはレーダーに映りづらく、先に発見、捕捉しての先制攻撃も難しいが......」
海洋種は異常なまでにレーダーに映らない。敵の幽霊艦隊も同様だ。だからこそ、レーダーやミサイルに頼り切りにならないように、というのも理解はできる。
しかし、装甲化すれば三〇ノットの最高速は維持出来なくなってしまう。速力というものは非常に重要だ。敵を追撃し、また敵の追撃を振り切る為には、艦隊全体の速度が速く無ければならない。
「装甲化は出来ない。だが、そうだな......インド海軍に近接防空ミサイルか、個艦防空ミサイルの増設をしてもらえないか頼んでみよう。旧式のモノなら余ってるだろうからね」
修理の間は、乗組員にとっても良い休息となる。物資弾薬の心配はなくとも、乗組員の精神衛生まではカバーしきれない。
ルカやネヴィルも含め、暫くはムンバイの西海軍コマンドにお世話になるだろう。
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「ッチ、逃げられちゃったかぁ~......追撃はァ?」
"あれだけの速度で逃げられては、航空隊での追撃も難しく......潜水戦隊からの報告ではムンバイへと寄港したようですが"
「はァ......めんどくさいなぁ~......」
ここで敵艦隊をほぼ無傷取り逃がしてしまったのは非常に痛い。ネヴィルに対しチャームが有効であると分かったのは一つの収穫だが、一度経験した以上同じ轍は踏まないだろう。
「ひとまず、飛雷母種と砲艇種の回収を急がせてね。あんま長居したくないからさ~」
"了解しました"
夜更けも夜更け。真っ暗な洋上で、駆逐艦達がせっせと巨大な肉塊に曳航索を取り付けている。
海洋種は陸上種と違って蒸発しない。死ねば浮力を失い、海底で溶け消える。だからこそ、死骸を有効活用できるのだ。
「航空隊もそこそこ削れちゃったし~、次の作戦は少し延期しようか?」
"その方が良いと思われます。アメリカの第五艦隊と第七艦隊は未だ健在ですから"
「ん? 第五はともかく、第七艦隊は太平洋地域管轄でしょ~? こっちとは無関係じゃない?」
"いえ、南シナ海で活動している潜水戦隊から、第七艦隊が増援としてインド洋に向かっているとの報告を受けています"
Uボートを主軸とした潜水戦隊の活動領域は広大だ。喜望峰近海から南シナ海までの広範囲で通商破壊と情報収集を行っている。
太平洋付近では中国海軍と日本海軍の徹底した船団護衛で通商破壊は困難となってしまったが、情報収集程度であれば問題ない。
「第七......最強の空母打撃群が......」
レヴィアタンは珍しく、神妙な顔を浮かべる。
「ま、ひとまずソコトラ島に帰ろうか。第五艦隊を片付ける為の戦力を整えないといけないしね」
無数の肉塊を曳航しつつ、艦隊は更地と化したソコトラ島へと帰投するのであった。




