第参拾伍話 不沈の我が名は......
── 一〇月一一日、コロンボ軍港──
コロンボの軍港、朝焼けの水平線からブォ―ンと大きい汽笛が聞こえてくる。どうやら、あの艦隊がやっと来てくれたらしい。
しかし、ルカは未だに艦隊の名前を知らされてはいない。現地の人々の反応を見る限り、かなり印象の良い艦隊であることは明らかだろう。
「あれがアヴァターラの......」
水平線から、一隻の船が顔を出す。朱い光に照らされ、黒鉄の城がその姿を晒していく。船頭らしき一隻は厳かな楼閣を持ち、巨大な砲塔がこちらを睨み付けている。
続いて数隻の小柄な船が左右に続く。艦橋は船体に比して大きく、主砲はあまりに小さい。戦艦は見る限り一隻のみ。その周りを、イージス艦が取り囲んでいる。
よく見られる打撃艦隊のような、戦艦と巡洋艦により構成されているわけではなさそうだ。
艦隊が港へ入り、タグボートの牽引を受けて錨を下ろす。
艦隊陣容は戦艦一、イージス艦四、駆逐艦複数。通常の戦争であれば、そこそこの戦力なのだろう。だが、この大戦においては貧弱な艦隊だ。
この艦隊規模であれば、旗艦は恐らく戦艦だろう。ルカは正面ゲートを難なく抜けて、恐ろしく巨大な威容を誇る戦艦へと近付く。
戦艦から伸びる階段の手前。若そうな兵士に話しかけられる。
「深緑色の軍服、白いカラスと灯台のパーソナルマーク......パヴロフ・ルカ軍曹。コールサイン[ボールドイーグル]。日本語は大丈夫と聞いていますが......」
「はっ。この通り大丈夫です」
「助かります。それでは、艦隊司令のところまでご案内しますので、着いてきてください」
足元に気を付けるように、と付け加え、カツカツと音を鳴らして階段を登っていく。噂に違わず、日本人というのは丁寧な性格のようだ。
厳かな艦橋を見上げれば、銀髪の女性がこちらを見下ろしていた。否、睨んでいた、と言う方が近いか。ともあれ、ルカは気迫に押されて目線を足元へ戻す。
これだけの艦だ。艦橋に登るだけでもそれなりに体力を使う。
「ふぅ......やっと着いた......」
「申し訳ありません。本艦には戦闘指揮所のような設備はなく、艦橋で指揮を執っておりますので......」
「あ、いや、全然大丈夫ですよ?」
少しの言動も何かと気を使われるのは、なんだか違和感を覚える。
「高野艦隊司令、ルカ軍曹を連れてまいりました」
艦橋から外を眺めていた人物がこちらに振り返る。見てくれは物腰の柔らかそうな近所のじいちゃん、といったところか。
「君がパヴロフ・ルカ......件の灯台守か」
「初めまして。STAG統合遊撃隊[トリニティ]所属、パヴロフ・ルカ軍曹です。以後よろしくお願いします」
「うむ。日本語が上手いな、君は。私は高野勇好大佐だ。よろしく頼む」
敬礼を掲げるルカに、高野は手を差し出してくる。確か、握手というものだったか。
「いえ......こちらこそよろしくお願いします」
こちらが握手し返すと、高野は優しい笑みで手を強く握ってくる。ロシアだとかの人達とは気性が違うのだと、改めて理解した。
「さて、まずは本艦内を案内したいところだが......その前に、彼女のことも紹介しておこう」
高野が向けた視線の先には、先程睨みを効かせてきた銀髪の女性が居た。こちらに振り返る仕草は無駄なく凛とした佇まいで、鋭利な鷹の如き眼光で睨んでくる。
「破壊の神子......秩序を乱し、平穏を打ち破る災禍の子......」
「いや......え? えっ??」
ギロリと、殺意にも似た光を秘める瞳に貫かれ、ルカは困惑に身を固める。
「ネヴィル君、前も似たようなことを言っていなかったかね? 一応、注意したはずだが?」
「失礼しました......口癖のようなものですので、どうか気になさらないでください」
そう言ってネヴィルと呼ばれた女性が頭を下げてくる。目つきは相変わらず鋭く、言動と表情の釣り合いの無さに酷い違和感を覚えてしまう。
「申し遅れました。私はSTAG.Ⅲ[アヴァターラ]。名をネヴィル・カーネイディアと言います。呼び方はお好きなように。以後お見知りおきを」
「えぇと......よろしくお願いします......」
なんとも釈然としない表情に見えて仕方がないが、差し出された手を握らないというのも失礼だ。困惑はしつつ、軽くネヴィルの顔を見上げて握手を交わす。
「高野大佐、私が艦内の案内をしてもよろしいでしょうか?」
「......まぁ、構わんだろう。ネヴィル君に任せるよ」
「ありがとうございます」
とネヴィルはルカに振り返り、少し間を置いて手を繋いでくる。
「それでは、艦内を案内しましょう。戦闘艦の艦内は複雑ですから、迷わないように」
「わ、わかりました......」
躊躇なく手を引っ張るネヴィルに若干や引きずられ、再び長い階段を下りていく。
「ところで、戦闘艦に乗船するのは初めてですか?」
「え? まぁ、そうですね。ロシアだと海に行く機会も少なかったですし」
「ふむ、それなら海はどうですか?」
「海は......何度か見に行ったことは。流石に泳ぎはしませんでしたけど......」
「なるほど」
質問の意図が掴めない。なんとも、不思議な雰囲気を醸す人物だ。
ネヴィルに連れられ甲板に降り立つと、何やら巨大な砲塔が座する艦首へと誘導される。ルカも男の子だ。勇ましく前方へと砲口を手向ける巨砲に、つい目を奪われてしまう。
「美しいでしょう、この船は」
「美しい......えぇ、確かに......」
艦首の先、数十メートル下の海面では船体にさざ波が打ち付け、心地よい波の音色を奏でている。
振り返り正面を向けば、視界からはみ出そうなほど巨大な二基六門の主砲塔が構え、その奥には見上げても足りない程の艦橋が聳えている。
艦橋の左右にはCIWSや速射砲が通常の艦艇では考えられない程、それはもうハリネズミの如く設けられている。まるで洋上基地だ。
「主砲、四六サンチ二基六門。全長二六三メートル、排水量六三〇八〇トン」
四六サンチ三連装砲。そんな巨砲を積んでいるのは、戦艦が復権した今大戦でさえ持て余すほど。
つまるところ、この戦艦はかつての──二次大戦の時より生き残ってきた船ということ。
「第一遠征護衛艦隊群。嚮導護衛艦[大和]へようこそ。灯台守の英雄......その二つ名が、果たして相応しいものか。この海で見定めさせてもらいます」
そう言って、ネヴィルは一層厳しくルカを睨み付けた。




