第参拾肆話 モウイチド、アノソラノシタ二
── 一〇月三日 二〇時四五分 ソコトラ島沖──
「艦長、聴音室より詳細不明のスクリュー音との報告が」
「スクリュー音? 潜水艦か?」
紅海を抜けた先に広がるアデン湾における重要な島、ソコトラ島。要塞化された島はインドより派遣された警備艦隊の基地となっていた。
そして、今宵も紅海からの敵海上部隊の進出を警戒してパトロールが行われていたのだ。
「いえ、潜水艦よりも水上艦に近いようですが......音源は水中です」
「きな臭いな......一応、ソコトラ島の基地司令部に連絡を入れておいてくれ」
「了解しました」
詳細不明のスクリュー音。敵の海洋種は基本的には水流ジェット推進か、通常の魚に似た遊泳方式。機械的な音は出さない。
となれば、考えうるのは敵の新種──この場合新型とでも言うべきか。ともあれ、現状では判別が出来ない。
「聴音室、スクリュー音の詳細はまだ分からないのか?」
『すみません、現状は何とも......ですが、どうやら複数隻いる模様です』
「やはり潜水艦ではないのか?」
『いえ、潜水艦にしては雑音が多すぎます』
「そうか......」
艦長は暫し頭を捻り、念のためと第三種戦闘配置を発令。同様に水中警戒も厳とされ、艦隊には重苦しい空気がのしかかる。
そうして、約一時間が経過した。
『聴音室より報告!! 詳細不明のスクリュー音が急激に増加、推定隻数は一〇〇を越えます!!』
「来るか......!! 全艦に通達、第一種戦闘配置!! ソコトラ島司令部にも本国艦隊の増援を要請しろ!!」
「レーダーに感!! 敵艦隊を捕捉しました!! IFF、応答ありません!!」
警報が鳴り響き、暗い夜空の下。非力なフリゲート艦隊はパトロールの順路より外れ、敵艦隊から距離を取ろうとする。
視界の悪い夜の海原。恐怖に支配されつつある最中、一隻のフリゲート艦が雷撃を受ける。
魚雷の威力は相当なものであり、被雷したフリゲート艦は船体の中央より断裂。真っ二つにへし折れて海中へと没した。
「後方より駆逐艦らしき艦影を視認!! あれは......魚雷!! 右舷、魚雷三!!」
「クソッ!! 回避行動!! レーダーはどうした?!」
「ダメです!! レーダーに駆逐艦らしき艦影ありません!!」
「なっ?! そんなバカなことが──」
フリゲート艦の至近で一際大きい水柱が舞い上がる。衝撃と海流に押され、フリゲート艦は大きく傾く。
「ぐっ......この威力は......まさか......」
「レーダーに巨大な艦影を確認!! 推定、戦艦級の大型艦!!」
艦隊の前方に、巨大な戦艦が水中より現れる。水しぶきを大いに猛り上げ、その巨躯を水面に叩き付ける。
後方には水面より現れたモノよりもやや小柄な戦艦が二隻。砲身の拉げた連装砲がこちらを睨んでいる。
「なんだ......あの化け物は......?」
目の前の巨艦はそれはそれは異様な姿をしていた。
塗装は全て剥げ、所々にある巨大な亀裂と破孔からは、海藻に覆われ海水で満たされた内部構造が剥き出しになっている。
主砲の砲身はほとんどが曲がっているか、割れて花が咲いているかであり、到底使い物にならないように見える。
艦橋には紅い蔦が這っており、ドクドクと脈打ちながらうっすらと光を湛えているのが分かる。
亡霊にも似た異様と、威容。本能的な恐怖を誘う戦艦の巨大な主砲が、フリゲート艦隊に向けられる。
「ぁ、あ......か、回避!! 回──」
発狂気味に叫んだ直後、両舷より雷撃を受ける。一〇本あまりの魚雷を受けた船体はバラバラに弾け、誘爆した弾薬が盛大な爆炎を煌めかせる。
立て続けに戦艦が主砲を斉射。二基六門の巨砲をモロに喰らい、残った残骸が跡形も無く消し飛ばされる。
あからさまなオーバーキルに満足したかの如く、戦艦の巨砲は煙を吐く。
「まだ、だよねぇ~。このくらいじゃ~あぁ、満足しないよねぇ??」
船首で指揮を執る少女に呼応するように、全艦が警笛を鳴らす。おどろおどろしい笛の音が、闇夜に轟き渡る。
「だよねぇ? じゃあ、全艦反転。目標、ソコトラ島司令部要塞」
少女の足元。月の光に晒され、船首の菊花紋章が鈍く煌めく。
「世界最大最恐の戦艦の力、見せてあげないとねぇ」
幽霊艦隊の長たるは、誰からも忘れ去られ、水底に朽ちた大戦艦。
大和型戦艦二番艦、武蔵。その亡霊である。
<<>>
── 一〇月四日 九時三〇分 STAG[統合遊撃隊トリニティ]臨時基地──
「派遣? えーっと、どこにですか?」
サラトフ近郊。サラトフ基地司令部の一部を間借りして休暇を満喫していたルカ達の下に、セルゲイから通信が入る。
『インド洋方面だ。詳しいことは長くなるから、一度エカテリンブルグの参謀本部まで来てくれ。航空機は既に手配してある』
「了解しました。それと、あの......僕だけですか??」
『そうだ。今回はボールドイーグル、君一人だ。ブラフマーとジャガーノート達にはこちらから連絡を入れておく』
そうして小一時間。軍用の輸送機でルカはただ一人、エカテリンブルグの飛行場へと降り立った。
「よく来てくれた。ボールドイーグル」
「いえ......それより、インドの方で何かあったんですか?」
「インド、というよりアフリカ沿岸だな。主にアラビア海でのことだ。まぁ、立ち話も疲れるだろう。ブリーフィングルームで説明するから、着いてきてくれ」
「了解です」
ロシアの奥地、シベリアという極寒の地域なだけあってか、うっすらと雪が降っている。風は皮膚を焼いているかの如く凍てついた冷気に包まれ。念のためと厚着してきたが、それでも凍えて歯がガタガタと鳴る。
「寒いだろう、ここは。最前線に参謀本部を置くわけにもいかんが、後方過ぎても何かと不便だ。これでも、かなりマシな立地だぞ」
「こ、ここれでまマシって......」
「ま、屋内は温かい。後で美味いコーヒーか紅茶でも入れてやるから、少し我慢してくれ」
「はい......」
凍てつく風から逃れ、暖房がガンガンに効いた屋内へと退避。案内されたブリーフィングルームの中は無数の書類とPCが無造作に置かれ、中央のデスクには巨大な液晶ディスプレイが埋め込まれている。
PCも今まで見てきた箱状のモノよりもスリムに見える。
何故かブリーフィングルームに複数個設置されているポッドで紅茶を淹れつつ、セルゲイが話しかけてくる。
「ところで、新しいパーソナルマークはどうだ? 気に入ってくれたか?」
「はい。少なくとも前のよりは......いや、すごくいいと思います」
そう言ってルカは肩のマークを見やる。かつて黒い首吊りカラスが描かれていたところには、一本の灯台を守護するように飛ぶ二匹の白いカラスが描かれている。
「元々カラスは白い羽をしていたという話があってな。まぁ、黒いカラス自体も縁起の良い話だとかはあるんだが......そういうのも悪くないだろ?」
「そうですね」
「ま、雑談もこんなところにしてだ。そろそろ君を呼び出した理由と、現在の状況について教えよう。紅茶を飲みながらで構わんぞ」
セルゲイは紅茶を蓋つきのカップに入れて、液晶の上に散らかされた書類を片付けていく。片付ける、というよりもその辺に落として散らかしているというのが正しいか。
セルゲイがデスクの側面に付けられた何かを弄ると、ディスプレイが起動。世界地図を映し出す。
薄色の地図上には赤い領域と青い領域に分かれており、境界線には前線を指し示す線が引かれている。
「見て分かるとは思うが、一応説明しておく。まずはアフリカ戦線」
指で軽く画面に触れ、アフリカ大陸を拡大表示する。
アフリカ大陸の北部は赤く染まっており、赤道付近に前線が引かれている。
「前までは赤道線──カメルーンからジブチまでを防衛ラインとし、ブラフマーと機甲部隊の機動防御で持たせていた。だが、ブラフマーが先の灯台作戦で引っこ抜かれた結果......」
セルゲイは画面をトントンと叩き、アフリカ大陸の前線が移動し始め、ある点で静止する。
「現在はナミビアからモザンビークまで押し込まれてしまった。幸い、敵の喜望峰進出とそれに伴う南極大陸の失陥は免れた形だ。だが、見ての通り。東はインド洋に触れ、西は大西洋南部に敵支配域が触れている。ここまでは分かるな?」
「はい、なんとか」
セルゲイは一つ頷き、液晶画面を縮小。ユーラシア大陸南部を広く捉えた画角で説明を再開し始める。
「敵支配域の拡大により、大西洋南部とインド洋への海洋種進出を許してしまった。現状は南部大西洋を米大陸艦隊、インド洋をインド海軍が抑えているが......まぁ一ヵ月も持たんだろう。そこで、だ。ボールドイーグルと"ある艦隊"をインド洋へと派遣することがNATO内で決定された」
「艦隊?」
「三人目の戦女神、STAG.Ⅲ。コールサイン[アヴァターラ]が指揮する打撃艦隊だ」
インド洋にアヴァターラ、と英語表記の船が表示される。
「ともあれ、ボールドイーグルにはこの艦隊に随伴してもらうことになる。丁度一週間後、スリランカのコロンボに寄港する予定だ。そのタイミングで乗船してもらう」
スリランカ。インド南端に浮かぶ大きめの島。液晶にはコロンボ軍港と表示されており、艦隊の寄港地点として選ばれていることからそれなりの規模の軍港であることが伺える。
それにしても一週間後とは。かなり余裕があるように思えるが。
「一応艦隊の寄港は一週間後だが、今のうちに現地の空気に慣れておくといい。インドの軍港には何度か寄ることになるだろうからな」
「なるほどそういう......ちなみになんですが、どうして僕だけなんですか?」
「あぁ、それに関してはコイツが原因だな」
とセルゲイは旧ルーマニアの当たりをタップする。ルーマニア北部。ハンガリーとの国境付近に、巨大な赤点が出現。表示だけでも、その赤点が何かしら恐ろしいものであると分かる。
赤点を拡大するようにスワイプすると、赤点を中心に巨大な円が現れる。円は勢いよく拡大し、ロシアとカザフスタンの国境付近まで飲み込んでいく。
「これがコイツの射程だ。円の内側、その全てが大陸間弾道砲兵種の有効砲撃範囲内」
「これが......全部??」
「そうだ。この人類の天敵を討滅する為に、戦闘慣れしているブラフマーとジャガーノートが選ばれたというわけだ」
ブラフマーは本来アフリカ戦線担当であった。しかし、同戦線の戦局が悪化。戦線が狭まったことにより、その必要もなくなり、こうして大ボスの討滅に戦力を回すことが出来る。
なんともまぁ、皮肉めいたものだ。
「で、そうだとしてもインド洋方面にも戦力を回したい。今回の派遣には、ボールドイーグル。君に経験を積ませるという意図も含まれている」
「経験?」
「そう、経験だ。ジャガーノート曰く、来るべき作戦の為の布石だそうだ」
「相変わらず曖昧......ですね」
「だな。全く困ったものだよ、アイツらには」
大陸間弾道砲兵種の表示を消し、慣れた手付きで新たに小さい赤点を表示させる。
「あとはこいつらだな。英霊を模った肉の鳥。大砲鳥、メッサー、ラヴォチキ。この三機が防空網と米空軍の迎撃を突破し、インド方面へと南下したらしい。恐らくはインド洋の海洋種と合流する腹積もりだろう。艦隊もこのことは知っているが、個人としても意識しておいてくれ」
「了解しました」
ルカの敬礼を見て、セルゲイは長い溜息を付く。ディスプレイを消し、グッと伸びをする。
今度は小さく欠伸をして、ルカに向き直る。
「さて、長くなってしまったな。伝えるべきことは以上だ。全部覚えろ、というわけではないが、頭の片隅くらいには留めておいてくれるとありがたい」
セルゲイは佇まいを正し、敬礼を以て見送る。
「それでは......STAG.Ⅳ、ボールドイーグル!! 本日付で君をインド方面へと派遣する。かの艦隊と協同し、更なる活躍を期待する。以上!!」
「はっ!! 期待に添えますよう努力します!!」
「......語彙が増えたな。イヴァンナにでも教わったか?」
「へっ? えー......まぁ、そんなところです」
そんな会話を最後に、ルカは一路インド方面コロンボ軍港へと飛び立った。
「さて......こっちも色々準備しないとな......」
散らかり放題のブリーフィングルームでただ一人、セルゲイは今一度作戦を練り直していた。




