土曜日、頼めないかな?
私は毎日、介護をしている。
歩いて20分の距離にある両親の住むマンションに、朝8時から夕方6時まで滞在して世話をしている。毎日の掃除、ごみ出し、買い物、洗濯、猫の世話、食事の世話、通院の世話。世話をしながら、持ち込んだパソコンで細々と在宅仕事をしている。
父親と母親は折り合いが悪い。
同時に車に乗せることができないため、二人まとめて世話をすることができず、手間がかかる。
月、水、金は母親を買い物に連れて行く。
火、木、土は父親を買い物に連れて行く。
三週間に一度、母親を整形外科に連れて行く。
月に一度、父親を内科に連れて行く。
月に一度、父親を歯医者に連れて行く。
月に一度、母親を内科に連れて行く。
月に一度、母親を歯医者に連れて行く。
二ヶ月に一度、母親を眼科に連れて行く。
二ヶ月に一度、父親を眼科に連れて行く。
二ヶ月に一度、母親を美容院に連れて行く。
二ヶ月に一度、父親を理容室に連れて行く。
三ヶ月に一度、母親を胃腸科に連れて行く。
半年に一度、母親を皮膚科に連れて行く。
半年に一度、父親を外科に連れて行く。
毎月、毎週、毎日、やることがある。
急に体調が悪くなれば、つど病院に連れて行く。
いきなりケンカを始めて、宥めるのに半日かかることもある。
ケアマネさんや地域包括センターの人が来ることもある。
毎日頼んでいる宅配弁当の受け取りもしなければならない。
確定申告も、銀行から生活費を下ろすのも、市役所に行くのも、すべて私がやっている。
神経質な母親の相手をすると、疲れる。
こだわりのある父親の相手をすると、疲れる。
常に疲労感がある。
だがしかし、忙しくて時間に追われているわけでは、ない。
朝8時にマンションに到着し、9時半に買い物に行くまでの間で、ごみ出しも洗濯も掃除も風呂掃除も猫のトイレ掃除もメールチェックもできる。
年寄りの買い物などたかが知れた量なので、11時には戻ってくることができる。
夕方五時の弁当の到着までは時間がある。
弁当を受け取れば、自宅に帰ることができる。
月水金は父親がデイに行くので、トイレの世話をしなくてすむ。
父親はデイで風呂に入れてもらっているし、母親は自分で風呂に入れるのでノータッチで良い。
日曜は掃除と洗濯と猫の世話と弁当の受け取りしかしなくていい。
たまに、今日は買い物はいいわといわれる日もある。
休む時間は、あるのだ。
だが、疲れが、取れない。
ただ、疲れが、たまっていく。
私には、弟がいる。
親の住むマンションから、歩いて20分の距離に住んでいる。
弟は、働いている。
働いているから、介護はできないと言った。
私は、働いていない。
働いていないから、介護は頼むといわれた。
父親も、母親も、働いている弟には迷惑をかけられないと言った。
父親も、母親も、働いていない私に世話をしろと言った。
働いていない私ではあるが、以前は、働いていた。
働きながら、両親のサポートをしていた。
両親が衰えてきたことで、サポートが足りなくなってきて、働く時間を減らすようになった。
両親が不安を口にするようになったので、働く時間を減らすしかなかった。
勤務中に何度も電話がかかってくるようになり、働けなくなった。
働かなくなった私は、毎日親の世話をするようになった。
働いていないのだから世話ぐらいきちんとしろと、口うるさく言われるようになった。
弟は、土日が休みだ。
疲れていた私は、父親を理容室に連れて行って欲しいと思った。
「土曜日、頼めないかな」
ラインを送ると、その日は家の掃除があるからと断られた。
私は、自分の家の掃除を最近していない。
家に帰るとどっと疲れてしまって、晩御飯の準備をして、弁当の準備をして、お風呂を洗って、お風呂を入れて、髪も乾かさないまま寝てしまうことが多いからだ。
弟は、土日が休みだ。
疲れていた私は、母親を眼科に連れて行って欲しいと思った。
「土曜日、頼めないかな」
ラインを送ると、その日は日曜に嫁の実家に行くから寝ておきたいと断られた。
私は、日曜に自分の家族と出かけたことがない。
前に朝一ですべての家事を終わらせて食事の準備もきっちりして行楽地に向かったら、電話がかかってきてすぐに来いと呼びつけられて電車に飛び乗るはめになったので、もう出かけることはするまいと誓ったからだ。
弟は、土日が休みだ。
疲れていた私は、父親を買い物に連れて行って欲しいと思った。
「土曜日、頼めないかな」
ラインを送ると、土曜日はスーパーが混むから平日に行った方が良いよと断られた。
私は、いつも土曜の朝一で買い物に連れて行っている。
多少混んではいるが、ゆっくりと歩幅をあわせれば問題なく買い物ができると知っている。
……おそらく、弟は。
土曜も日曜も、私の頼みを聞く気はないのだ。
この先何があっても、私の頼みを聞くまいと決めているのだ。
土曜も日曜も、介護をする気はないのだ。
この先何があっても、介護をしないと決めているのだ。
頼んでも断られるぐらいなら、頼まないほうが健全だ。
頼れない人に頼るのは、不健全だ。
だから、弟に頼るのは、やめよう。
頼らないと決めたら、それはそれで楽だった。
自分はただただ、自分のやるべきことをするだけなのだと、代わり映えのしない毎日を過ごした。
たまに体調を崩すこともあったが、気力で乗り越えた。
「土曜日、頼めないかな」
土曜日は、ゆっくりできるようになった。
「土曜日、頼むよ」
土曜日は、のんびり過ごしたいと思うようになった。
「いつでもいいから頼むよ!」
自分のペースで、働きに行けるようになった。
「助けてくれよ、慣れてるだろ?!」
仕事のない日は、休みたいと思うようになった。
私と弟には、両親がいなくなってしまったけれど。
弟の奥さんには、ご両親とおじいちゃんとおばあちゃんがいらっしゃるのだ。
…一度も会ったことのない人の世話なんか、しないほうがいいと思う。
弟は、買い物は慣れた人が連れて行くのが一番いいと言っていた。
弟は、乗り慣れた車が一番負担が少ないと言っていた。
弟は、慣れない事をして親に負担をかけたくないと言っていた。
弟は、介護なんかしたことがないからやれないと言っていた。
私は、住んだこともない土地に行って見ず知らずの老人を買い物に連れて行くのは、無理だと思う。
私は、老人は乗り慣れない軽自動車に乗り込むだけで、相当体力を使うだろうなと思う。
私は、しゃべったこともない老人に、気を使わせてしまうのは良くないと思う。
私は、我侭な両親の介護しかしたことがないから、ごく一般的な知らない人の介護なんかできないと思う。
…他人の私が、手伝っていい案件じゃないと思う。
「もう、頼まないでね?」
私がラインを送ると、電話がかかってきたので…電源を、切った。
……色々と考えたせいで、ちょっと疲れちゃったみたいだ。
私は、疲れを癒すために、お気に入りのスーパー銭湯へと出かけることを決めたのだった。