26.公王陛下2
「もしかして…知らなかったのかしら?」
頬に手を当てて小首を傾げる母上は、大変可愛らしい。普段の貴婦人の見本のような姿とは違って親しみを覚えるものだ。
しかし「知らなかった」とは、なんの事だろう?
「貴男の叔父であるコリンが辺境伯爵家に婿入りした経緯は前に話したから知っていると思うのだけれど、これは両家の利害関係が一致した政略結婚でもあったわ。二人の別居は互いの役割が終了したが故の事よ。まあ、正確には、コリンの役目が終わったからこその対応に過ぎないのよ。
我が公爵家としても不良債権を引き取ってくれたアントニアと辺境伯爵家に感謝してもし足りないわ。そんなアントニアに対して、一生コリンのお守をしていけ、だなんて酷い事は言わないでしょうね」
愛らしくも美しい微笑みを向ける母上であった。が、目は全く笑っていない。返答次第では家族会議(お話という何か)が始まる事は間違いないだろう。
「叔母上と叔父上は仲が悪かったのですか?」
聞いておきたい事だった。私の目には仲の良い夫婦として映っていたからだ。気の強い叔母上の尻に敷かれていた叔父上であったが、叔母上や従兄たちを大切にする『家庭人』であった。
「仲が悪い訳ではないわよ?」
余計に意味が分からない。
「……ならば何故です?」
私の質問に困ったような表情をなさる母上は、不思議な事を言った。
「一言で言うなら、コリンがいない方が楽だから…かしら」
分からない。「楽だから」とはどういう意味だろう。
「コリンも悪気はないのよ。あの子なりに頑張ってはいたわ。アントニアや辺境伯爵家のために色々挑戦していたの……でもね、人には向き不向きというものがあるのよ」
微妙に言葉を濁されている。
叔父上は何かをしたらしい。
その何かとはそんなに致命的なものなのだろうか?
「なにがあったんですか?」
「最初はね、秘書の真似事をしていたの。見習い秘書とでもいうのかしら? アントニアのスケジュール管理や予定の確認などをしていたのだけど…日時は誤っているし、相手の名前も間違って覚えているし、その上、交渉相手が男性の時は、コリンが勝手に会合を断わってしまった事もあるのよ。コリンとしては、自分の妻が他の男性と懇意にすることは仮令仕事上のことでも許せないのでしょうね。辺境伯爵が叱りつけても“なにが悪いのか理解していなかった”と聞いているわ。これでは表の仕事は出来ないと判断されてね、裏方にまわされたのだけど……そこでも色々しでかしたそうなの。
経理の横領、残業代の棒引き、給料の未払い、領内の商会との取引停止にしようとしたり、他にも色々としでかしているの」
「……なんでまた…そんなことに」
「コリンとしては良かれと思ってした事なんでしょうけどね」
「母上、どれも良い事など有りません。一部犯罪のものもあります……横領や未払いなど…」
「経理担当の中にね、一人独身の若い女性がいたの。その女性が母親の病気のために大金が必要だったから、経理から賄ってあげたそうよ」
「はっ!?」
「他には、借金で困っていた女性を助けたり、花売りしている少女を助けたり、教会の若いシスターが困っていたから大量の寄付をしたり……まぁ、色々したのよ」
「なんですか! それは!!!」
どこから突っ込んだらいいのか分からない。
叔父上は本当に女達の言葉を真に受けたのか!?
どう考えても嘘だろ?
金欲しさの嘘としか思えないのだが……。
「因みに、経理担当の女性の母親は元気いっぱいにパン屋を営んでいたし、花売りの少女はとある組織の下っ端、シスターは寄付金に目が眩んで夜逃げしているわ」
「詐欺に引っかかってますよ! まともなのは経理の女性の件だけですか? 母親の病が回復して仕事に精を出しているという事ですか?」
有りえないだろうが、あって欲しい。
「経理担当の女性は、横領したお金を恋人に貢いでいたそうよ。母親は生まれてこの方、風邪一つ引いた事がない健康体だという話でね、娘が領主の夫に色目を使って金を引き出した事を知って、その日のうちに娘と共に一家心中したわ」
「……」
「コリンはね、自分が信じた相手にはとことん信用し過ぎる傾向があるの。まぁ、コリンのしでかした事で犯罪組織を一網打尽に出来た事は確かなんだけど、それ以外での被害が大き過ぎるのよね」
叔父上は、年齢に比べて素直過ぎるというか、幼いというか…詐欺にあっていても不思議ではない人柄だ。騙されやすいとも言える。実際、騙されているし、その都度に叔母上が対処してきたことは容易に想像がつく。




