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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

木曜に婚約の決まった姉が金曜(夕方)に婚約破棄された

作者: ちっか









凄まじい轟音と共に帰宅した姉の第一声はこうだ。

「結婚が決まったわ!!!」





腹からの大音量だ。部屋の窓ガラスもぶるぶる震えて割れそうだ。姉は毎朝二時間は体幹トレーニングに費やしているので、それはそれは気合の入った声量だった。近々、窓が割れる声を発し始めるだろう。

対する私は「そうですか」とそれだけ簡潔に返した。それ以外に言うことはない。と思ったが、足りないことに気づいて言い足した。


「おめでとうございます」

「なにがおめでとうございます、よ!なんにもおめでたくないわよ!」


血涙流しながら、姉が私の肩を掴んで揺さぶる。力一杯揺さぶられて、食べたばかりの昼食が出戻って来そうだ。このまま姉に、さっき食べたばかりの昼食をお見せするのはさすがにかわいそうだろう。だが、どうしても見たいというならやぶさかではない。改めて姉の口に押し込んでやる。


そっと肩から手を外して、姉と見つめ合う。美しく結い上げられていたはずの豪奢な金の髪は崩れて、大粒のサファイヤのような瞳は残念ながら白目が充血していて普段より曇っている。よほど慌てて帰って来たのか、来ている服も僅かに乱れて、総合すると姉はなんだか情事の後のような風情だった。


姉は美人だ。とても勝気な女王様の風情を纏った美女だ。優男の愛人をダース単位で引き連れて、そいつらを全裸に剥いた挙句、人間チェスの駒にしそうな感じの肉食系美女だ。しかし残念なことに、姉の外見と中身は全く一致していなかった。


姉はどちらかと言うと内向的で、大人しい気質の人間だ。引っ込み思案で、人見知りで、一日中部屋の中で、自分の世界に没頭するのが好きなタイプだった。一人で部屋の中でできることが好きなので、筋力トレーニングも好きだ。おかげで姉の体は引き締まり、余計な贅肉はなく、出るところは出て、引っ込むところは引っ込む、非常にけしからん体つきだ。これが見た目の女王様ぶりを余計に加速させている。ちなみに本人にその自覚はない。健康にいいし、太ると服を新調しなくてはいけないのが嫌だからと、トレーニングを日課にしている。いいことだ。そのままずっと気づかずに続けてほしい。


「しかも相手は伯爵家の長男よ!」

「最高ですね、お幸せに」

「無理だわ!!!!!!」


なにが無理なものか、私が磨き上げた姉が不幸せになるなんてはずがない。いやまぁ、それは言い過ぎだが、どうせ結婚したら私もついていくので、最悪の事態は避けられるはずだ。義兄よりも実姉の方が大切なので、義兄には犠牲になってもらおう。


「お姉さま、大丈夫です」

「いつも思うのだけれど、あなたの自信は一体どこから来てるの!?」

「勿論、お姉さまの胸の谷間から」

「どうしてそこなの!!!???」


深々とした渓谷そのものの、真っ白い胸の谷間に、指を突っ込みたくない男がその世に存在しないことくらい、どんなおぼこでもわかる。


「お姉さまは、美人ですもの。どんな男も尻に敷けます」

「尻に敷くなんて無理……なんでこんなことに……」

姉はふらふらとよろけて、長椅子に倒れ込んだ。

「だって」


少し考えてから、口を開く。


「そうなるように、プロデュースしましたから」


にっこりと微笑むと、忌々しそうに姉が顔をしかめた。嫌なものを鼻先に突きつけられたような顔だが、それさえも美しい。本当に、美人は得だ。

うめいて長椅子にぐったりと伸びた姉を横目に、ここまで頑張った自分と姉を褒め称えるために、部屋を出る。


まずは甘いものだ。ご機嫌斜めな姉も、甘いものを食べさせればころっと機嫌をなおす。なにせ姉は単純だ。子供のような舌と、単純さと、そして不似合いなまでに妖艶な体つきの姉は、馬鹿正直なまでに私を盲信している。


「やっとここまで来たか……」









私たち姉妹の家は、下っ端の貴族の家だ。本当に小さな領地と、頑張れば全員の顔と名前を把握できるくらいの領民のいる、片田舎の弱小貴族だ。正直なことを言えば、貴族と名乗るのもおこがましいが、一応高貴な青い血が流れている。だが、どんなに高貴だなんだと言われようと、金がないのでは首がないのと同じだ。


両親は清貧といえば聞こえはいいが、とにかく質素に暮らしていて、つねに台所事情は切羽詰まっていた。

我が家は本当に困窮している。数年前に飢饉の煽りを喰らい、溜めていた食料と金目のものを全て放出して領民を飢えさせないことはなんとかできたが、まだ建て直し切れていない。それに関しては、大体どこの領地も同じで、軒並みみな貧乏だった。


だが、貴族というのは体面を何よりも重んじる連中だ。わたしに言わせれば、ケツを拭く紙よりも役に立たない体面が、連中は自分の首よりも大事らしい。そんなわけで、みんな体面を保つために借金まみれで、結婚する娘にろくな持参金もつけてやれない。そんなものをつけてやる余裕はない。むしろ結納金をくれ、と言い出すのもいるくらいだ。体面はどうした。クソと一緒に水に流したのか。


まぁ、そんな状態だったので、ある意味ではみんな同じスタートラインに立ったと言える。金がないのならあとは本人の器量のみが頼りだ。美貌と愛想、人柄とそれから家政能力。自分の持っているカードのみで相手を見つけ出さなくてはいけない。

なので、我が家の二人姉妹(わたしと姉だ)のうち、確実に結婚できそうな方だけでも、さっさとよその家に縁付かせてしまおうと両親もわたしも考えていた。ぼんやりしていたのは当の姉だけだ。


ぼんやりとしていた姉は、見た目だけは極上なので、あとは上手いこと中身のしょぼさを覆い隠してやればいい。両親と私は、姉を見た目通りの女王様に仕立て上げるべく奮闘した。


我が家のなけなしの虎の子こと父のへそくりを繰り出して姉を着飾らせ、母の隠し財産が火を吹いて嫁入り道具になり、そして妹の私が侍女として姉につけば完璧だ。


姉はうまく転がされ、そしてこのご時世の数少ない金持ちである、伯爵家の長男という超優良物件を獲得するに至ったのだ。姉がすごいのか、それとも姉を偽装しまくった私たち家族がすごいのか、それとも姉に結婚を申し込んだ男がアホなのか、事実は闇の底だが、まぁ、そんなことは知らなくても問題ない。

その見る目のない伯爵家の長男には申し訳ないが、姉の婿がねになってもらい、不良債権と化した我が領地の後始末をしてもらわなければならない。姉の持参金は我が領地全てだ。実に景気のいいことだ。


「どうしてあの人、私なんかと結婚する気になったのかしら。思い切り、あなたと結婚するくらいなら犬と結婚したほうがマシねって言ったのに、もしかして自分が犬以下の自覚があったのかしら」


最近の姉は調教が進みすぎて、ナチュラルに思考が女王様だ。これを元の引っ込み思案に戻すべきなのかどうか、悩ましいが、結婚できたのだからそのままにしておこう。

今度の日曜に、その哀れな婿がねが我が家に挨拶にやってくるという。父も母も戦々恐々としている。なににって、それまでに姉が馬脚を表さないかということにだ。婿など恐れるに足らず。金もなければ、体面なども捨て去った無敵の我が家に、怖いものなどないのだ。


「その、伯爵家の長男は、予定がおありなのかね。早く来てもらって、さっさと結婚を承諾したいんだが」


父に至っては、婿に会いたくて会いたくて震えている。残像が見えそうだ。是非とも落ち着いて欲しい、このままだと不整脈で倒れるかもしれない。来てもらえないなら押しかけてでも行って、早めに婚姻を了承してしまいたい気持ちはわかるが、向こうにだって予定も段取りもある。


男性の結婚に向けた準備といえば、結婚する前に複数人の女友達と乱交パーティをしたり、男友達と意識をなくすくらい酔っ払って次の日にゴミ捨て場で目を覚ましたり、祖父母を説得して遺産の相続先を自分に変更したりなど。とにかくデカい予定が目白押しだ。日曜などと言わずなんなら来月あたりにまで挨拶が伸びそうなスケジュールが次々現れるのが、男性諸氏の結婚準備というものだ。気の利いたやつなら、乱交と深酒を同時にこなすくらいはしてくれるだろうが、酔っ払って女友達とハメながら祖父母に遺産相続先の相談はできないだろうから、最低でも二日はいる。


今が木曜なので、金曜に遺産相続の話をして、夜に友達とパーティで乱痴気騒ぎをして、土曜の昼過ぎにゴミ捨て場でばっちり目を覚まして、夕方に風呂に入ってスッキリし次の日までに挨拶の時に何を言うかを考えて日曜を迎える、完璧なスケジュールだ。多分、婿がねはこんな感じでやってくるはずだ。


自分としては、義兄がゴミくさくなければなんでもいい。すでに震えによって残像生み出し始め、居間に五人いるように見え始めた父の意識を落とすべく重たい腰を上げた。












「結婚するのか」


急にかけられた声に、机から視線を引き剥がして声の方を向く。そこには部活の先輩が立っていた。


「ええ、姉が」


端的に答えて、再び手元に目を落とす。本来であれば、部活動に専念していなければならないのに、試験対策をしているわたしに、お小言でも言いたくなったのだろう。でも普段の活動とそんなに見た目の違いはない。だってこの部活は化学部だ。国内の貴族の子息が通う学校で、わざわざ化学部なんて選ぶような酔狂なやつは、化学が好きでたまらないやつか、化学以外を知らないやつだけだ。つまり変人しかいない。

手元のノートを、考えながら整理していく。


「お前の姉が結婚するのに、なんでお前も学校を辞めるんだ」

「私もついていくので」

「何故」


手元を止めて、顔を上げる。改めて見た先輩は、不審そうな顔をしていた。


「なんで姉が結婚するのに、お前もついていくんだ。変じゃないのか」


真っ黒な髪を清潔に短く切り揃え、形の良い額と、意志の強そうな眉が露わになっている。眉の下の瞳は、男にしては濃いまつげが生えた酷薄そうな薄い青。瞳孔の形がわかりやすいので、いつも猫みたいだと思っている。


「姉の侍女としてついていくんです。私は結婚しないので」

「なんで結婚しないんだ」


さっきからこの先輩はなんで、ばっかりだ。もしかしたら五歳児なのかもしれない。


「お金がないんです。お金がなきゃ、結婚できません」

「だから俺の求婚を蹴ったのか」

「そうです」


やっと納得してくれたか。わたしは再び手元に目を落とした。


「つまり、お前と結婚したければお前の姉と結婚するのが一番早いということか」


割ととんでもない話が聞こえてきた。


「ちがう、そうじゃない」


先輩の片眉が跳ね上がる。


「何がちがう。その通りじゃないか」

「違いますよ、一体何を聞いてたんですか?姉妹丼なんて、官能小説の読みすぎです。良いですか、わたしは侍女として姉についていくんです。ハーレム作りに行くんじゃないんですよ」

「しかし、さっきの話を総合するとそうなる」

「なりませんよ。耳にクソでも詰まってるんじゃないですか。早めに病院で耳かきしてもらうといいですよ」


先輩は片眉を跳ね上げたまま、偉そうにこう言った。


「お前の言い方だと、お前の姉とお前は抱き合わせ商品だということになる」

「その通りですよ。セット販売して何が悪いんです」

「それは不公正な取引方法で、独占禁止法によって禁止されている」

「なんですって」


急いで胸元に忍ばせてある、ポケット六法を引っ張り出してページを捲る。


「いつも思うが、なんでそんな分厚い辞書を胴体に巻き付けてるんだ。暴漢に突然強襲でもされるのを予期してるのか」


先輩がなにかぐちゃぐちゃ言っているが無視してページを捲ると、意味不明な文字が目に入った。


「何が書いてあるのか、全然意味がわからないわ」

「法学を一つも学んでない奴が読んでも、まぁそうなるだろうな」


仕方なくポケット六法を閉じて、もう一度胸元にしまっておいた。


「また胴体に巻きつけるのか、もしかして暴漢に襲われる予定でもあるのか」

「先輩、嘘をついているのでは」

「なんだ、不公正な取引についてか。これは独禁法第十九条に抵触する。相手方に対し、不当に商品又は役務の供給に併せて他の商品又は役務を自己又は自己の指定する事業者から購入させ、その他自己又は自己の指定する事業者と取引をするように強制すること。「抱合せ販売」は、この「相手方に対し、不当に、商品の供給に併せて他の商品を自己から購入させ」る行為に該当する」

「どこかから引用したような言葉をどうもありがとうございます。そうなんですか?」

「公正取引委員会に聞いてくれ」


残念ながら、公正取引委員会にツテがない。弁護士にもツテがないし、自分で六法全書を読んで理解できるほど頭の出来も良くない。

いまはとりあえず先輩の言葉を鵜呑みにしておくべきだろう。


「わかりました、セット販売はしません」

「そうか」


どこかほっとしたように先輩は見えた。


「私たち姉妹は商品ではないので、とりあえず姉にはついて行きます」


先輩が、私の手元からノートをむしり取った。


「俺がお前になにをくれてやったと思う」


突然、意味不明な謎かけを始めた。


「は?」

「俺がお前にくれてやったものがあるだろう」

「はぁ、まぁ、そうですね」


そういえばなにか色々ともらった気がする。


「火鼠の皮衣とか」

「そういえばもらいましたっけ。マグネシウムの塊を庭の池に放り投げる実験の時に、爆発から身を守ってくれましたね」

「燕石とか」

「そういえば、出産間際の従姉妹の枕元に置いておいたお陰で安産でしたよ」

「龍の首にある五色の玉とか」

「あと二つあれば願いが叶ったんですけどねぇ」

「蓬莱山の珠の枝とか」

「姉の髪飾りとしてなかなか活躍してくれましたよ。今回の姉の求婚の時にも、枝が掛け声などのナイスアシストを」

「神の聖なる杯とか」

「あれ、何もしないのにいつもなみなみワイン入ってるから父が喜んでましたよ。毎日ワイン飲み放題で」

「それだけもらっておいて、俺の求婚を蹴るのか、お前は」


なぜだろうか、旗色がすごく悪い。不思議と先輩に、ものすごくなじられているような気がしてならない。


「お前が欲しいというから取ってきたんだぞ。今更知らないとは言わせない」


先輩が凄んでくる。近寄って、目の前に先輩の顔がくる。ものすごく近い。まつ毛とまつ毛が触れ合いそうなほど顔が近い。噛みつかれそうだ。というか、比喩的にはもう噛みつかれている。なぜだかは知らない。先輩に噛みつかれたわたしは青色吐息で、ようようこう言った。


「その、すみませんでした?」

「もう遅い」















学校から帰宅したわたしを出迎えたのは、姉の一言だった。


「おかえり。結婚が白紙になったわよ」

「なんですって!!!???」


学校でよりもはるかにデカい声が出た。なんですって!!!????


「なんでか、向こうからやっぱナシでって言われたのよ。お父様が血反吐吐きながら泣いてたわ」

「その気持ちわかる」

「その代わりに公爵家から求婚されたわ」

「なんで!!??」


それこそ、本当になんで?だ。藪から棒にも程がある。


「もう、お父様の執務室にいらしてるのよ。公爵家のお孫さんが。ご自身は子爵さまなんですって」

「へぇ」


そうなんだ。

そしてなぜ、求婚された当事者の姉がこんなところで妹とダベっているのか。姉は取り急ぎ、その孫とやらのところにでも行って、唾を吐きかけるなり、鞭でしばき倒すなりなんなりとでもしてきたほうがいい。姉に求婚してくる男の九割はそうしてくれと願っている。願っているどころか口に出している。

我が家の未来のためにはそうしたほうがいい。それなのに、基本、ゆるふわ思考の姉はいつまでも妹のわたしに話しかけてくる。なんでだ。


「なんでも、お孫さんはあなたの知り合いらしくて」


そんな知り合いいただろうか。


「あなたにたくさんの贈り物をしたらしくて」


不思議と急に頭が痛くなってきた。


「あなたに求婚を断られたから、代わりにわたしに求婚してきたそうよ」


似た話を今日学校で聞いた気がする。

具体的に思い出せることはないが、もしかしてそれは部活の先輩、なのではなかろうか。


「あと、自分で願いを叶えるから龍の玉を返せとも言ってたわ。あなた、何をもらったの?」


それは知らん。





ぎぃ、と不吉な重低音と共に、父の執務室の扉が開く。そこからは後光を背負った人物が現れた。後光はただ単に父の執務室の窓の位置のせいで、なんら意図的なものはないはずだ。そう思いたい。その人物は眩しい後光を背負っているせいで表情など全くわからないはずなのに、なぜか笑っているように見えた。


「さあ、お前たち姉妹と結婚してやる」


学校でも聞いた声が、不吉に我が家に響いた。










※最初の求婚者はシャブ漬け乱交パーティ中に公爵家から横槍ぶっ刺されて泣きながらお家に帰りました。



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