くろいぼくら
「その日は月の見えない夜だったが、星が一入輝いていたので、街は淡く明らんでいた。
帳が降りた夜の街を、私は一人で歩いている。誰もが姿を消したのに、信号機だけが徒労に色を変えていた。
私は、この幻想の中に吸い込まれそうになる。しかし、頭上で瞬く星の確かさが、私に現実を教えてくれているようだった。
私は快活に歩を運ばせた。この非現実がもたらす恍惚に、私はとうとう魅了されていた。いつまでも歩いていたかった。
すると、駅の近くに差し掛かった頃、前から、地面を鳴らす音が近づいてきた。ヒールの音だった。ヒールが地面を突く衝撃が、軽快に、規則的に響いた。
音が近づくにつれ、徐々に人影が見えた。女性のようであった。暗さに沈んだその顔は、ぼんやりとかすみ、しっかりと見ることはできなかった。しかし、その女性の顔に何が違和感を覚えた。近づいてくる女性の顔を凝視ながら歩いて行くと、顔に不気味に浮かぶ、夜を凌駕するほどの黒が私の目についた。それは間違いなく黒子だった。
その黒子は、淡く明らむ帳に小さく空く穴のようだった。
私は黒子を凝視しながらも、彼女とすれ違った。その黒子は大きくて右頬にあった。
私は家に戻った。家に帰ってもなお、どうしてもあの黒子が頭に揺曳した。
その後も、私は何度も夜を歩いた。月の位置が日に日に変わった。そして、またあの新月の日が回ってきた。やはりこの日も、的礫と輝く星たちが、微かに夜を照らしていた。
私はどうしても、またあの女性と会えるのではないかと思ってしまい、あの日と同じ時間に、駅の近くの道をまた辿った。しかし、何度その道を歩いても、一向に人影は現れなかった。三度往復した所で、自分が不審な行動をしていることに気づき、帰ることにした。
諦めて帰ろうとした時に、軽快なヒールの音が近づいてきた。
私の予想は的中した。彼女だ。胸が高鳴った。
彼女は毅然と私の前方から歩いてきて、とうとうすれ違った。やはり右頬には、大きな黒子があった。
すれ違った所で、私は彼女が無性に気になり、後をつけることにした。
ヒールの音が響く後ろで、私は足音を消して彼女に続いた。彼女はずんずんと進んだ。
すると、彼女はある公園に入っていった。その公園は、木々が鬱蒼と茂る、不気味な公園だった。烏が一匹啼いていた。
私は、物陰に隠れて彼女を見ていた。
すると彼女と同じく、右頬に大きな黒子がある女性が、一人、また一人と、公園に入っていった。そしてとうとう、公園には、10人ほどの彼女たちがいた。皆一様に、右頬に黒子があった。
私は驚愕した。この状況は、単なる偶然ではなく、故意的に作られたものだ。
しばらく眺めていると、彼女たちは手を繋いで円になった。そして、全員が円の中心を見据えた。
何かが起こる予感がした。すると突然、彼女たちは円の中心に向かって「万歳!」と叫んだ。
その直後、彼女たちの黒子が光り輝き始めた。その間も、彼女たちは「万歳」と、叫び続けた。黒子は輝きを一層増した。
黒子がこれ以上ないほど輝きを増した頃、一人が「押忍!」と叫んだ。すると、輝きを放った10個の黒子たちは、天高くに、凄まじい勢いで、真っ直ぐ打ち上がった。その黒子たちの軌跡には、輝きの残像が尾を引いた。
私は、天に引かれた光の筋を目で追った。すると、その先には星があった。星は黒子だったのだ。
「夜明け前が一番暗い」と言うけれども、黒子もそれは一緒だった。輝く前が一番黒いのだ。」




