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公爵邸到着

 塀に囲まれた屋敷を目にし、うわあ、とテトが窓に顔を張りつかせながら驚嘆の声を上げた。「すごい、立派な家だ」と褒められ、同乗していたアレッタも悪い気はしなかった。


 盗賊の襲撃を受けてから一時間。ようやくアレッタは公爵家の邸宅へと戻ってきたのだった。


 門をくぐると、多くの使用人が出迎えてくれる。騎士が不在であることに疑問符を浮かべる彼らに、アレッタは道中に起きた出来事を端的に伝えた。テトを客人としてもてなすように指示を出すのも忘れない。盗賊に襲われたと知った使用人たちはいっせいに顔を青褪めさせ、中には涙を目尻に浮かべてアレッタの無事を喜ぶ人もいた。


 ――こんなわたしでも、みんなから愛されているのね。


 そのことが、彼女の心を少し軽くする。


 大勢の使用人に軽く目を瞠ったテトと一旦別れ、アレッタはメイドたちを伴って浴場へ向かった。着ていた服はすっかり汚れ、髪は土埃をかぶったせいか艶を失い、貴族の令嬢にあるまじき格好をしていたからだ。一糸纏わぬ姿で湯船に浸かるアレッタの身体を、メイドたちが丁寧に洗っていく。


 心身ともにさっぱりしたアレッタは、一度自室へ入った。椅子に座り、ふうと一息つく。そこへ、どたどたと足音が聞こえてくる。


「お嬢様!」


 ノックの返事も待たずに入ってきたのは、従者のキースだった。ここまで走ってきたのか、息が上がっている。金色の瞳は不安そうに揺れ、灰色の髪から覗く狼の耳は力なく垂れていた。


「どうしたのよ、キース。そんなに慌てて」


「どうしたもこうしたもありませんよ! 婚約を破棄された上、盗賊に襲われたって聞いて、落ち着いていられるわけないでしょう。お身体のほうは問題ありませんか。怪我とか負わされませんでしたか」


「平気よ。騎士の皆さんと、心優しい冒険者に助けていただきましたから」


 普段は完璧な礼儀作法を見せる彼がこれほどまでに取り乱しているのを目の当たりにし、ずいぶん心配をかけさせてしまったみたいね、とアレッタは思った。


 狼の半獣人である彼は、幼いころに両親をなくし、一人で王都の町をさまよっていた。近隣諸国と比べ、エルランテ王国は獣人や半獣人といった亜人にも比較的寛容な姿勢を見せていたが、あくまで多少だ。まだまだ差別意識は人々の間に根強く残っており、そのためキースは町の人々からずいぶんとひどい仕打ちを受けていた。衣服とは到底言えないほどぼろぼろになった布を身体に纏い裸足で路地を歩いていたところを、たまたま通りかかったアレッタが保護し、彼女の専属の従者とした。平民の、しかも人間と獣人の混血児であるキースを両親は快く思わなかったが、そこは無理やり押し通した。あとにも先にも、アレッタがあそこまで我儘を貫いたのはそのときだけだ。


 それ以来、キースはアレッタに恩義を感じているようで、心から忠誠を誓ってくれていた。


 彼が淹れてくれた紅茶を啜る。


「婚約破棄の件は、やっぱりもう伝わっていたのね」


「はい。昨日、奥様から報告がありましたので」


「そう、お母様が」


 どんな様子だったかは、訊かないでもわかる。キースが苦虫を嚙み潰したような顔をしていたからだ。おそらく、嬉々とした表情で使用人たちに告げたに違いない。


「お母様はいまどちらに?」


「奥様は」キースは一旦言いよどむ。「町へ買い物に行かれています」


「買い物」


「はい。フィルミナお嬢様がどうしてもとおっしゃられて。最近、骨董品に興味を持たれているみたいです」


「フィルミナもいるの?」アレッタは目を丸くした。


「学園が長期休暇に入ったとのことで、二日前から戻ってきています」


「てっきり王都に残ったままだと思っていたのに」自分とは似ていない妹の顔を思い出し、眉を顰める。「帰宅早々、顔を合わせずにすんだことは幸いね」


 姉であるアレッタを蛇蝎の如く嫌っている彼女のことだ、ソルガナン王子との婚約破棄という格好の餌を見逃すはずがない。これ幸いにと、雨あられのように皮肉を降らせてくるだろう。想像しただけで顔がひん曲がりそうだった。


「お嬢様、どうされました? もしや、紅茶がお口に合いませんでしたか」


 キースの狼狽した声が耳に届き、アレッタは急いで顔を元に戻す。


「いいえ。少し嫌な想像をしてしまっただけよ。あなたの淹れる紅茶は、とてもおいしいわ」


 アレッタがそう言えば、キースはほっとしたように胸を撫でおろす。だらんと垂れていたふさふさな尻尾にも、活力が戻る。従者を不安にさせるなんてだめね、とアレッタはこっそりとため息をついた。


「それはそうと、これ以上、彼を待たせるわけにはいかないわね」アレッタはティーカップをソーサーに戻した。


「彼というと、あの冒険者のことですか」キースの顔がわずかに強張る。「差し出がましいことを申し上げますが、お嬢様はもう少しお休みになられたほうがいいのでは? 精神的にも肉体的にもだいぶお疲れのはずです。冒険者についてはこちらで対応いたしますので、お嬢様はこのまま部屋でご養生なさってください」


「わたしが無理言ってここまで連れてきたのよ。そういうわけにもいかないでしょう」アレッタは立ち上がる。


「ですが、素性のわからぬ者を、お嬢様にこれ以上近づけるわけにはいきません」


 身分で人を差別しない彼にしては珍しい発言だ。どうしたのかしら、とアレッタは首を捻り、テトの容姿を思い出して口元に弧を描く。


「キース、あなたもしかして、彼に嫉妬しているの?」


 からかうように訊けば、キースは虚を突かれたような顔をする。それから、滅相もございません、と慌てたように首を振る。ずいぶんと必死な様子に、アレッタはくすりと笑みを零した。


「冗談よ。でもあの顔立ちなら、たいていの女はいちころでしょうね」


「すでに彼の毒牙にかかった者が数名おります」


 従者の報告に、アレッタは目をぱちくりとさせた。メイドの中に、すっかりテトに一目惚れしてしまった者がいるらしい。「そう、手遅れだったのね」とアレッタは呟く。


「まあいいわ。それなら、なおのことわたしが行かなければなりませんわね」


 本音を言うと、気分転換がしたかった。このままじっとしていたら、昨夜のことを思い出しそうだったからだ。冒険者のテトと話せば、気は紛れるだろう。


 このまま部屋でおとなしくしていてくれそうにはない、と悟ったらしい。キースは渋々といった様子で了承した。

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