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冒険者テト

 馬車が急停車した。投げ出された身体を、ジョアンヌが支えてくれる。


 それまで静寂の支配していた場に、突如、剣戟(けんげき)の甲高い音が割って入った。アレッタたちはびくりと身を震わせた。


 窓から外を(のぞ)くと、騎士たちがぼろぼろの衣服を(まと)った男たちと応戦をしていた。剣がぶつかり合い、矢が飛び交う。矢を放っているのは盗賊たちだった。数が多い。いくら日ごろから鍛えているとはいえ、多勢に無勢。飛び道具を持たない騎士たちは、苦戦を強いられているようだった。一人、また一人と、騎士が地面に倒れ伏す。動かなくなった彼らの身体を、盗賊たちはさらに剣で突き刺す。下卑た笑い声が森に響き渡り、アレッタは小さな悲鳴を()らした。


 馬車の扉が乱暴に開けられ、熊のような大男が乗り込んでくる。異臭がアレッタの鼻を襲った。口元を手で覆いながら、彼女は侵入者を睨みつけた。


「ほう、貴族の女っつうのはみんな肥え太っているかと思ったが、こいつはとんだ上玉じゃねえか」


 男はじゅるりと舌なめずりをする。ジョアンヌがアレッタを庇おうと前に進み出たが、男の毛深い腕に薙ぎ払われる。車体にぶつかり、彼女は動かなくなった。


「ジョアンヌ!」


「おっと、おまえはこっちだ」


 男の手が伸び、アレッタの細い腕を掴んだ。振り払おうにも、まるで大木のようにびくともしない。アレッタはそのまま馬車の外へ引きずり降ろされた。足をもつれさせ、地面に倒れる。咳き込みながら顔を上げると、血まみれの騎士の顔が目の前にあり、息を呑んだ。


「お頭ァ、こっちは終わったぜ!」


 濁声(だみごえ)が頭上を通り過ぎる。髪を引っ張られ、無理やり立たされたアレッタは、そこに広がっていた惨状を目の当たりにし、言葉を失った。騎士は全員、殺されていた。首があらぬ方向に曲がっている者、血の海に四肢を投げ出している者、数十本もの矢を身体から生やしている者。一目でもう生きてはいないとわかった。


 あたりに充満する濃密な死の気配に、アレッタは身体の震えを止めることができなかった。


「貴族っていうのはほんと馬鹿だよなあ。こんな豪華な馬車に乗って、自分から金持ちであることをアピールしてくれるんだから」


 下卑た声で笑いながら、男はアレッタを引きずっていく。なけなしの力を振り絞って抵抗するものの、力に差がありすぎてまるで意味をなさない。自分のために命を投げ出した騎士の変わり果てた姿を目にするたびに、視界は涙で霞んでいく。


 ――こんなところで、わたしの人生は終わってしまうの? 婚約破棄を突き付けられて、みんなの笑い者にされて、挙句の果てに盗賊に襲われて。


「久々にいい女が手に入ったぜ」アレッタの身体を舐めるように見つめながら、盗賊の一人が言った。「奴隷商に売り飛ばす前に、俺たちで楽しんでもいいっすか」


「せいぜい壊れない程度に楽しめよ? まあ、壊れたら壊れたで、別の使い道があるだろうけどな」


 ぎゃははは、と同じ人間とは思えない欲望にまみれたいくつもの声が、アレッタの耳を震わす。


 そのとき、ほんの一瞬だけ、このまま抵抗をやめたほうが楽になるのではないか、と思ってしまった。貴族のしがらみからも、不名誉な醜聞からも、すべてから逃げられるチャンスではないか、と。


 髪を引っ張られたはずみで、アレッタは、はっと我に返る。


 無意識のうちにとんでもないことを考えてしまった自分が、恐ろしく感じた。


 命を投げ出すにはまだはやい。もう少しあがいてからでも遅くはない。そう考える。


 アレッタは息を思い切り吸い込んだ。そして。


「助けて! 誰でもいいから、わたしを助けて!」


 恥も体面もかなぐり捨て、大声を(とどろ)かせるアレッタ。慌てて口を塞ぎにかかった盗賊の手に、がぶりと噛みつく。


「いってえ! このガキ、調子に乗りやがって!」


 がつん、と頬に衝撃が走る。殴られたのだ、と気がついたときには、口の中に鉄の味が広がっていた。頭に血が上ったのか、さらに暴行を加えようと、男が拳を振り上げる。


 そのとき、盗賊の一人が、突然血飛沫を上げてばたりと倒れた。


「な、なんだてめえは!」


 盗賊たちの視線の先に立っていたのは、一人の少年だった。彼の手には、血で赤く染まった長剣が握られている。まだあどけなさを残した彼の顔には、しかし、明確な敵意が浮かべられていた。盗賊たちを睨みつけ、少年は言う。


「彼女を離せ。言うとおりにしなければ、おまえたちを切る」


 外見には似つかわしくない、静かな怒りを湛えた声だった。剣の切っ先が、男たちに向けられる。気迫に押されたのか、盗賊の喉がごくりと鳴る。


 アレッタは自分の置かれた状況をも忘れて、ただただ颯爽と現れた少年を見つめた。





 銀閃が煌めき、雷が宙を駆ける。


 少年の見事な剣技と魔法の前に、盗賊たちは瞬く間に戦闘不能に陥った。火炎魔法を操る盗賊の首領と思しき男が最後まで抵抗を見せたが、強烈な閃光に身体を貫かれ、焦げた臭いを放ちながら地面に倒れた。


 一瞬の出来事だった。あっという間に盗賊を制圧した少年は、アレッタのほうへ駆け寄ってくる。彼の顔を間近で見た瞬間、どくん、と心臓がひときわ大きく跳ねた。


「あの、大丈夫ですか」


 少年の柔らかな声に、呆気に取られていたアレッタは我に返った。差し出された手を取り、立ち上がる。ありがとう、とお礼を言うと、殴られた箇所がじんと痛み、彼女は思わず顔をしかめた。


「少し、じっとしていてください」


 少年の手が、アレッタの頬に触れる。ぎょっとした直後、触れられた箇所がほんのりと温かくなった。痛みが引いていく。少年の手が離れたころには、すっかり痛みを感じなくなっていた。


「もしかして、回復魔法?」


 心臓がどきどきと高鳴るのを感じながら少年に訊けば、頷きが返ってくる。アレッタは目を丸くした。


 回復魔法は、使い手が少ないことで有名だ。魔力の消費量がほかの魔法と比べて著しく激しいことと、素質の有無によってその効果に大きな差が出てしまうことがその理由として上げられる。裂傷や骨折を一瞬で治癒してしまう力をなんとしても手に入れたいと思う人間は多く、そこそこ力のある回復魔法師を抱え込もうと、貴族が大金を支払って雇うことも珍しくなかった。


「僕はテト。冒険者をしています。えっと」


「わたしは、アレッタ。アレッタ・ルド・オルテンシア」


「貴族の人?」


 アレッタは頷く。それから、テトと名乗った少年を改めてまじまじと見た。


 まだ若い。十六になったアレッタと、歳はほぼ同じぐらいだろう。髪は蜂蜜色、瞳は空のように澄んだ青色だった。かわいらしさと精悍(せいかん)さが絶妙なバランスで成り立った顔立ちをしており、普段から美男美女を見慣れているアレッタでさえ思わず動揺してしまう美しさだった。このまま成長していけば、将来は老若男女を問わず数多の人間を虜にしてしまう魔性の男性になることだろう。


 身体の線は細いが、盗賊を前に顔色一つ変えなかったことから、かなり肝の据わった人物だと思われる。おまけに、たった一人で盗賊団を壊滅させる実力者だ。そんな人物が近くを通りかかった奇跡に、アレッタは自分の幸運を喜ばずにはいられない。


「すみません。僕がもう少し早く駆けつけることができていれば、彼らを死なせずにすんだかもしれないのに」


 テトの視線は、騎士の亡骸に向けられている。あなたのせいじゃないわ、とアレッタは言った。


 騎士とは、主を守ることが仕事だ。そこには当然、危険が潜む。全員が命を賭してまでアレッタを守ろうと考えていたかどうかは不明だが、少なくとも戦いに巻き込まれることがあることぐらいは覚悟していただろう。彼らの死はアレッタの心をひどく傷つけたが、テトに責任があるとは思わない。

 馬車の中からジョアンヌが這い出てきた。


「お嬢様、ご無事ですか」


「ジョアンヌ! ええ、わたしは無事よ」服が土埃で汚れることも厭わず、侍女に駆け寄ったアレッタは、彼女を安心させるよう精一杯の笑みを浮かべた。「あちらの冒険者が、助けてくれたの」


「ご無事でなによりです」心の底から安堵の表情を見せたジョアンヌは、ゆっくりと立ち上がり、テトに深々と頭を下げた。「お嬢様の窮地を救っていただき、ありがとうございます」


 少年冒険者は困ったように頬をかく。先ほどの戦いで盗賊たちを淡々と切り伏せた人物とはとても思えない仕草だった。年相応の様子に、アレッタは思わず顔をほころばせる。


 テトの手を借り、アレッタたちは騎士の亡骸を地面に埋葬した。さすがに遺体を放置するわけにもいかず、かといって運ぶわけにもいかなかったため、こうするしかなかったのだ。アレッタが手を触れようとすることにジョアンヌはあまりよい顔をしなかったが、身を挺してまで守ってくれた彼らを自分の手で弔いたい、と言えば、黙ったままでいてくれた。


「優しいんですね」


 土をかぶせ終わると、テトがアレッタに微笑みかけた。


「わたしにできることは、これぐらいしかないもの」馬車に戻ったアレッタは、わずかに顔を曇らせながら答えた。「テト、わたしの命を救ってくれたお礼をしたいのだけれど、このまま一緒に家まで来てくれないかしら?」


「お礼だなんてそんな」テトは恐縮したように首を振る。「お気持ちだけで充分ですから」


「恩人になにもせず帰したとなれば、貴族としての面子に関わるわ。なにかに縛られることを嫌う冒険者のあなたからすれば、とても面倒なことだとは思うけど」


 それでも躊躇うそぶりを見せる少年に、アレッタはもう一度お願いする。煮え切らない彼に、謝礼金をはずみます、とジョアンヌが隣から援護射撃をしてくれた。


 テトは自分の装備を見直し、「まあ、お金をもらえるようでしたら」と現金な一面を見せ、渋々頷いた。よかった、とアレッタは両手のひらをぱちんと叩いた。彼を促し、一緒に馬車へ乗り込む。


「公爵家の大事なお客様だもの。遠慮はしないで」


 御者台に移ったジョアンヌが手綱をしならせ、アレッタたちを乗せた馬車が動き出した。

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