奇策
前を歩くテトが立ち止まった。謁見の間へと続く柱廊の途中で、彼は振り返る。
「アレッタ。大事な話がある」
「どうしたのよ、急に改まっちゃって」態度をがらりと変えた冒険者に、アレッタは面食らう。
「前にロンベルタで言いそびれたことを、いまここで言わせてほしい」
「ここで?」目を瞬かせた。
テトの後ろには、不審げな表情でこちらをうかがう案内人の姿がある。アレッタは彼に声をかけ、少しの間、離れてもらうようにお願いした。案内人は二つ返事で了承してくれる。人払いがすんだところで、アレッタは内心の動揺を隠しつつ、テトと向かい合った。
「前に言いそびれたことってなにかしら」
「聡明な君のことだから、もうとっくに俺の気持ちに気がついていたと思うけど」
テトの凛とした声が、耳朶を震わせる。柱の間から射した陽光が、彼を照らす。
「ずっと君のことが好きだった」
聞き間違えることなど絶対にない、透明で真っすぐな声が、アレッタに届く。予想していたというのに、受けた衝撃は大きかった。自分の頭の中で想像することと、本人の口から直接言葉にしてもらうのとでは、重みがぜんぜん違う。
「わたしは、貴族よ」
「知っている」テトが答えた。
「貴族っていう存在がどれだけ面倒くさいかは、あなたもよく知っているでしょう」
「身に染みて」
「それなら、どうして。そもそも、あなたは精霊。人を好きになるなんて」
「ありえない?」
「それは……」少なくとも、アレッタは聞いたことがない。
「僕だってきちんと考えた。記憶が戻ってから、もう一度自問自答をした。本当に君のことが恋愛的な意味で好きなのかどうか。だけど、答えは変わらなかった。精霊であろうと人間であろうと、僕はやっぱり君のことが好きなんだという答えは」
テトのまっすぐな言葉が、身体中に染み込んでくる。胸が熱くなる。
「君の気持ちはどうなの? 貴族とか、立場とか、そんなのは関係なしに。僕のことをどう思っているのか、ありのままの君の気持ちを教えてほしい」
彼の必死な想いが、言葉の端々からひしひしと伝わってきた。ソルガナンの二度目の婚約話をしたときも、こんな感じだったことを思い出す。
無意識のうちに、自分の頭に手を添えた。星晶花の髪飾りに指先が触れる。
「好きです。わたしも、あなたのことが」
本音が零れ落ちた。それは考えて言ったものではなく、反射的に出たものだった。理性だけではない。心が彼の存在を求めていた。もう認めるしかないとアレッタは思った。
「ありがとう。本心を告げてくれて」
テトが相好を崩す。心なしか、安堵しているように見える。年相応の笑顔を浮かべる彼の様子をほほえましく思う。いつも飄々としていることが多いせいか、いまのテトの姿は新鮮だった。
でも、とアレッタは表情を曇らせる。すっかりトーンを落とした声で告げる。
「付き合うことはできないわ」
「どうして」
「うまくいくわけないじゃない、わたしたち」
「身分が違うから?」
アレッタは押し黙る。
これまでに自分の想いを口にするのをためらった理由、それは、叶わない願いだと知っていたからだ。口にしてしまえば、よりいっそう彼を求めてしまう。求めれば求めるほど、理想と現実の差を目の当たりにし、苦しむことになることは明白だった。
自分は貴族としての生き方しか知らない。すべてを捨ててテトと逃げ出したとしても、きっと彼の足を引っ張ることしかできないだろう。逆に周囲の反対を押し切り、貴族の令嬢のまま彼と付き合っても、今度は彼が周囲の悪意にさらされる可能性がある。貴族社会はテトが考えている以上に魔境だ。下手に関われば、どんなひどい目に遭わされるかわからない。彼が大精霊だとしても、人間の悪意に触れて平気でいられるはずがない。
思考が巡る。一時の感情に流されることができないアレッタは、両想いになれたことを手放しで喜ぶことができなかった。どんどん悪い方向へ考えを進めてしまう。どうすればいいのか、わからなかった。
「身分差なんて、僕がどうにかする」
「正体を明かすの?」アレッタは慌てて訊いた。
テトは首を横に振る。「まさか。そんなことはしないよ」
「ならどうやって」
戸惑うアレッタに、テトはにやりと悪童めいた笑みを浮かべる。「まあ、見てなって」
妙な自信をのぞかせくるりと背を向けたテトを、アレッタは呆然として見送る。しばらくして、アレッタ様、と案内人に名前を呼ばれ、はっと我に返った。急いであとを追った。
いったいなにをするつもりなのかしら。
まるで想像がつかない。大丈夫なのだろうか、と心配になる一方、テトなら本当になんとかできるのではないか、と期待も生じる。
テトを外に残したまま、アレッタは先に謁見の間に入った。すでに集まりつつある貴族たちの間に身を滑り込ませる。不躾な視線がいくつも向けられていることを肌で感じ取りながら、舐められないように無表情を装備した。
やがて国王が入場し、玉座に腰を下ろす。
続いてやって来たのは第二王子ヴィルヘレムだ。階段を上り、王の一段下までやって来る。連日、王都襲撃の後始末に追われているはずなのに、疲れを微塵も感じさせない出で立ちだった。
しばらくして、係の者がテトの入場を告げる。大きな扉がゆっくりと開き、テトが入ってきた。
悠然とした足取りだった。敷き詰められた赤い絨毯の上を滑らかな動作で進み、壇上に続く階段の下で跪く。堂に入る所作だった。ほう、と感心したような呟き声が、貴族たちの間から洩れた。広間にぴりぴりとした緊張感が走る。
煌びやかなシャンデリアに照らされる中、テトを見下ろし、国王が口を開く。先日起きた怪物襲撃事件に触れ、テトの活躍を褒め称える。
「テトよ。そなたの実力の高さは余も聞き及んでいる。どうだ、この国に仕える気はないか?」
ずらりと通路の両脇に並んだ貴族たちが、二人の対話に注目する。テトを見る彼らの視線に込められた感情は、千差万別だ。素直にその功績を認める者、平民がこの場にいることに不満を隠そうともしない者、利用価値がどれだけあるか値踏みする者。様々な思惑が飛び交う中、アレッタは居並んだ貴族たちに混じり、はらはらとした面持ちで二人のやり取りを見守っていた。
「格別のご高配を賜り恐悦至極にございます」貴族顔負けの優雅な仕草で、テトが答える。「ですが、私は所詮、ただの冒険者にすぎません。そのような大役をお受けするには、あまりに力不足。ご意向に沿えず大変恐縮ではございますが、そのお話をお受けすることは致しかねます」
「ふむ。そうか」
やんわりと断られた国王は、玉座の背に凭れかかり、髭を手で撫でる。ざわりと広間に波紋が生じた。平民風情が生意気な。そのような感情が多くの貴族から洩れ出る。アレッタは内心で呆れた。引き受けたらそれはそれで文句を言うくせに。
王が厳かな口調で問う。「では、なにかほかに望みはあるか」
怪物をアレッタと共に打ち倒したテトの功績に、公の場で礼を告げる。それが今回の謁見が行われた目的だ。当初は冒険者が活躍したという事実そのものを隠蔽しようとしたのに、なぜいまになってこのような機会が設けられたのか。はっきりしたことはわからないが、おそらくヴィルヘレムが裏で一枚噛んでいるのだろう。彼はテトを英雄の一人として祭り上げることで、冒険者という存在の有用性を国民にアピールするつもりなのだ。国が認めた冒険者ともなれば、テトを見る皆の目はがらりと変わる。そうなれば、粗暴と思われている冒険者のイメージアップにもつながる。冒険者組合に貸しを作ることができれば、国による干渉もしやすくなる。ヴィルヘレムの狙いはおそらくそれだろう。アレッタはそのようにあたりをつけた。
「望み、ですか」テトは考え込むそぶりを見せる。
「そうだ。ほしいものがあるのならば、遠慮なく申してみよ」
しばらく黙っていたテトは、ややあって口を開く。「一つ、お願いしたいことがございます」
大精霊である彼にとって、地位や金銭は興味の対象外だろう。ではいったいなにを望むのか。アレッタは興味深げにテトを見つめる。
「申してみよ」王が先を促す。
テトが国王から視線を外した。なぜかアレッタのほうをちらりと一瞥してくる。澄んだ瞳に見つめられ、アレッタの心臓がどきりとひときわ大きく跳ねた。視線はすぐに外されたが、胸の高鳴りはなかなか収まらなかった。周囲に気取られないよう無表情を装いながら、テトの次の言葉を固唾を呑んで待つ。
「そこにおられるアレッタ様と正式にお付き合いすることを、認めていただきたく思います」
静かな声色で告げられた内容に、広間が水を打ったように静まり返った。誰もが声を発することを忘れ、その場に立ち尽くす。国王はおろか、ヴィルヘレムでさえ呆然としていた。
へ、と間抜けな声が、アレッタの口から落ちる。周囲の貴族たちの視線が、自分に集まるのを感じる。なんだいまのは。自分の聞き間違いだろうか。
「……くっくっく」
アレッタが固まっていると、どこからか笑い声が聞こえてきた。見れば、ヴィルヘレムが耐えられないといった様子で、口元に手の甲を当てていた。肩が小刻みに震えている。王子につられたのか、国王も笑みを零した。
「交際を認めよ、か。よもやそれを国に要求するとは。平民とは思えぬ立ち居振る舞いといい、奇天烈な願いといい、なかなか面白い男だな、そなたは」
「私は本気でございます」真剣さを帯びた口調で、テトが言った。
アレッタは恥ずかしさのあまり、耳を塞いでこの場から全力で逃げ出したくなる。しかし、国王陛下の御前でそのような醜態をさらすわけにはいかない。せっかくおとがめなしになったというのに、不敬罪で牢屋に放り込まれるのはごめんだった。針のむしろのような気分を味わいながら、ひたすら耐えながらその場に立ち続ける。内心ではとんでもなく動揺していた。え、なにこれ。新手の公開処刑かしら。
「ご存知の通り、私はただの平民でございます。貴族のご令嬢であるアレッタ様は、本来であれば近づくことすら許されない存在」テトの熱の籠った言葉が続けられる。「しかし私は、そんな彼女に恋に落ちてしまったのです」
どこのラブ・ロマンスの台詞よ!
内心で突っ込みを入れる。これ以上、ポーカーフェイスを続けることは不可能だった。アレッタはすっかり熱くなった顔を両手で覆う。
「身分違いの恋か。通常であれば、決して叶わぬものだ。すべてを投げ捨てない限り」
「おっしゃる通りです」テトは王の発言に同意を示した。「ですが、陛下のお許しがあれば、話は別でしょう。国の後押しがあれば、私たちを阻む障害など、なに一つ存在するはずがありません」
彼の言っていることは正しい。国王が認めた交際ともなれば、それを邪魔できる人間などいやしないだろう。テトと恋仲になることを頑なに認めなかったヴァイセットも、黙るしかない。
だからって、そんな要求をするなんて前代未聞よ。陛下が泡を食うのも無理ないわ。
アレッタはそう思った。
テトのとんでもない発言を受け、貴族たちの間から失笑が洩れる。子どもの恋愛ごっこを宮廷に持ち込むなど、ふざけている。小馬鹿にしたような空気は、しかし、国王の咳払いにより一瞬にして霧散した。
「アレッタ・ルド・オルテンシア」
「は、はい」
名前を呼ばれ、アレッタは慌てて前に出る。跪こうとすると止められた。そのままの状態で質問が投げかけられる。
「彼はこのように言っているが、そなたはどうなのだ? 彼のことをどう思っている?」
直球だった。返答に詰まる。答えは決まっていたが、いざ口にするとなると躊躇いが生じる。とはいえ、誤魔化すという選択肢はない。羞恥心をかなぐり捨てると、アレッタは意を決した。王を見据え、堂々と言う。
「私も彼のことを慕っております。陛下、どうか彼の願いを聞き入れていただけないでしょうか。私からも強くお願いします」
王はアレッタたちを交互に見やる。ヴィルヘレムは愉快そうに口角を上げていた。特に助け舟を出そうという気はないようだった。
「よかろう」
沈黙の末、王が言った。
「よろしいのですか」
まさか認められるとは思っておらず、アレッタは反射的に訊き返してしまった。傍から見たら、きっと鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているだろう。王が頷いたのを見て、驚きと嬉しさが胸に込み上げてくる。
「ありがとうございます」
テトがアレッタに微笑みかけてくる。混じりけのない純粋な笑顔だった。胸がどきどきする。アレッタも彼を見つめ返した。
ヴィルヘレムが手を叩く。祝福のつもりなのだろう。遅れてまばらな拍手が貴族たちの間から起こる。
こうしてアレッタたちの関係は、国家公認のものとなったのだった。




