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謹慎処分

 深呼吸をしてから、父親の待つ部屋の扉をノックする。


「入れ」


「失礼いたします」


 扉を閉めたアレッタは、眉間に皺を寄せる父親、ヴァイセットと向かい合った。


 権謀術数が張り巡らされた王都を生き抜き、宰相の地位にまで登りつめた傑物と名高い人物だ。そんな彼の目は、猟犬のように鋭い。射抜くような視線を向けられ、アレッタはいますぐに逃げ出したかった。


 ソルガナン第一王子から婚約破棄を告げられたことを専用の魔法具で説明したところ、早急に戻ってくるよう命令がくだった。そのためアレッタは、取るものも取りあえず豪奢な四輪馬車に乗り込み、こうして王都の一等区に居を構える公爵家別邸にやってきたのだった。


「聞いたぞ。ソルガナン殿下に婚約破棄を告げられたそうだな」


「このたびは、ご迷惑をおかけして申し訳ございません」


 アレッタはヴァイセットに頭を下げた。重い沈黙が流れたあと、ヴァイセットがおもむろに口を開く。


「おまえには失望したよ、アレッタ。これといった取り柄もない凡庸な娘だとは思っていたが、まさかここまで考えなしだったとは。嫉妬にかられ、殿下との婚約を棒に振るなど正気の沙汰とは思えない」

「待ってください、お父様。私は決してそのような卑劣な行為は――」


「黙れ!」ヴァイセットが掌を机に叩きつけた。「言い訳など聞きたくない。いまさらなにをわめこうと、取り返しはつかないのだからな。まったく、これがフィルミナであれば、もっとうまく立ち回り、殿下のお心を繋ぎ止められたであろうに」


 妹の名前を呟き、ヴァイセットは椅子に深く(もた)れかかった。そんな父親に、アレッタはなにも言い返せなかった。剣幕に恐れ慄いたからではない。最初から自分の言葉に聞く耳を持とうとしない態度に、言葉を失うほど幻滅したからだった。


「つい先ほど、陛下と話し合いをしてきた」


 父親の怒りを滲ませた声に、アレッタの肝が冷える。


「ソルガナン殿下とノゼシュタイン伯爵家令嬢との婚約を、正式に認めると陛下はおっしゃられた」


 父親の告げた言葉に、アレッタはぎょっと目を見開いた。そんな、と思わず呟く。


「卒業パーティーでは、ずいぶんと殿下に対して大口を叩いたそうだな」


 ――数時間前の出来事を、もうそこまで把握されているのね。


 父親の情報収集力の高さに動揺を禁じ得ない。


「公爵家を蔑ろにしたのはあちらだから、多少強く出ても問題ない、そう判断したのか」


 アレッタは頷くしかない。事実だからだ。


「だとしたら、それは悪手だったな。向こうは、伯爵家令嬢におまえが行った数々の嫌がらせを事実と認定し、将来国王となられるソルガナン殿下の相手にはふさわしくないことの理由づけとするそうだ」


「うそ」


「伯爵家令嬢の特殊性を考えれば、それぐらい容易に想像がつくはずだろう。だからおまえは凡庸と言われるのだ」


 アレッタは絶句するしかなかった。まさかあのシャーリーがそこまで王家の寵愛(ちょうあい)を受けているとは思ってもいなかったのだ。


「お父様のお力で、なんとかひっくり返すことはできないのですか」


 ふん、とヴァイセットは鼻を鳴らす。「できるものならとっくにそうしている。どこかの愚かな女のせいで、我がオルテンシア公爵家に対する陛下の信頼は大きく損なわれてしまった。宰相としては優秀でも、父親としてはまだまだ未熟な部分もあるようだな、と皮肉を言われる始末だ。もうどうにもできんよ」


 足元が崩れ落ちるような感覚を、アレッタは味わった。喉がからからに乾き、声が出ない。脚が震えた。


「これから私は、皆のいい笑い者だ。我儘娘を育て上げた無能な父親として。殿下の不興を買った公爵家の人間として。ふざけるな! なぜおまえのせいで、私の評価が落とされなければならない」


 アレッタを睨むヴァイセットの顔は、いつぞや見た、ゴブリンと呼ばれる醜悪な魔物のそれにそっくりだった。アレッタは息を呑む。そこには、婚約を破棄され傷ついているだろう娘を労るような優しさは、欠片も存在していなかった。あるのは侮蔑の色のみ。


「おまえにはしばらくの間、領地に戻り、謹慎を命じる。決して、屋敷の外には出るな。わかったな。話は以上だ。さっさと出て行け」


 憤怒に彩られた声が、どろりと部屋に落ちる。


 胸中に渦巻く激情を抑え込み、アレッタは父の部屋をあとにした。


 扉を閉めた瞬間、涙が零れ落ちた。


 なにも考えられなかった。


 それからのことは、よくおぼえていない。気がつけば日付が変わり、馬車に乗って森の中を進んでいた。


 アレッタは感情を削ぎ落した顔のまま、車窓から見える外の景色を頬杖をつきながらぼうっと眺めた。


 黒い車体に金細工が施された馬車のまわりには、甲冑を(まと)った男が四人、馬に乗り並走している。彼らはアレッタを護衛する騎士たちだ。


「この森を抜ければもうすぐオルテンシア領ですね」


 同乗した侍女が、気を紛らわせようとしたのか、声を上げた。そうね、とアレッタは気のない返事をする。


「元気を出してください、お嬢様。ほとぼりが冷めるまでの辛抱ですよ」


「気休めはいいわ、ジョアンヌ」アレッタは侍女の名前を言い、かぶりを振った。「出来損ないのわたしに残された唯一の道だった結婚も失敗したんだもの。お父様に切り捨てられたも同然よ。お母様がこのことを知ったら、さぞ喜ぶでしょうね」


 あの家にもうわたしの居場所は残されていないわ、とアレッタは諦めたように言った。


 ジョアンヌは慰めの言葉を探し当てられないらしく、痛々しそうに顔を歪めたまま黙り込んだ。重い沈黙が馬車の中に落ちる。


 次々と新たなスキャンダルが生まれるとはいえ、殿下の寵愛を失った傲慢な公爵令嬢の噂がすぐに消えることはないだろう。下火になるのを待っていたら、はたしていつになるかわかったものではない。結婚適齢期を超えてしまえば、貴族社会で幸せを手にすることは難しくなる。


 ――いっそのこと、家を出て行ってしまおうかしら。ほかに失うものといえば、あとは命ぐらいしかないもの。


 もともと貴族という地位に対して、思い入れはない。


 鬱蒼と生い茂る木々を見ながら、アレッタは息を吐き出す。弱気になったらだめ、と自分を奮い立たせようとしたが、うまくいかなかった。


 ふいに馬車が速度を落とす。異変に気がついたアレッタとジョアンヌは、顔を見合わせた。


「なにごとかしら?」


 アレッタが呟いた瞬間、御者台に乗っていた護衛の声が飛んでくる。


「盗賊です! お嬢様、決して扉を開けないでください!」

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