明かされた真実
「信じられないわ、テトの正体が大精霊様だったなんて」
事情聴取やらなにやら、もろもろの手続きを終えて自宅へ戻ったアレッタは、人払いした部屋でテトと向き合った。疲れはしていたものの、いまは休んでいる場合ではない。事情を訊かなければ、気になって眠ることもできない。
外はすっかり夜の帳が降りている。窓の向こうには真っ暗闇が広がっていた。
「様はいらないよ。僕のことは以前と変わらずにテトと呼んでほしい」
「それは、かまわないけれど……それよりも、ちゃんと説明して。いったいどういうことなの? ぜんぶ思い出したみたいなことを、さっきは言っていたけど」
「言葉通りさ」
テトはテーブルの上に置かれたカップを持つと、紅茶に口をつけた。ジョアンヌが淹れてくれたものだ。本来の担当であるキースは、怪物から受けた傷を回復させるため、いまは別室で休んでもらっている。
「僕は精霊としての記憶を失っていた。奪われていた、というのが正確な表現かな」
「奪われた?」
アレッタは息を呑む。穏やかな単語ではない。
「誰に」
「精霊王」テトはあっけらかんと言った。
「どうして」
「僕が精霊王の命令に背いて、勝手に人間と契約を結んだからさ」テトはカップをテーブルに戻した。「だから精霊王の怒りを買った」
「人間と契約……」
「その人間というのが、君だよ、アレッタ」
十年も前のことだとテトは言った。アレッタの脳裏に一つの記憶が蘇る。家の庭で、黒髪の少年と出会ったときの記憶だ。そういえば、ずっと一緒にいてくれる? というような質問をされて、思わず頷いてしまったような気がする。
「もしかして、あの少年は」
「僕だよ」テトが笑う。
「そのとき、わたしはあなたと契約を結んだ?」
「そう。君のほうもすっかり忘れていたみたいだけど」
「それは……」アレッタは視線を逸らす。「あのときは、あなたの存在よりも本の続きが気になっていたから」
「本当?」
「冗談よ」
「うわ、人が悪いなあ、君は」テトが大げさにのけぞってみせた。
「あなたには言われたくないわ」アレッタは紅茶を啜る。「訊いてもいい? どうしてわたしと契約を結んだの?」
「あのときの僕は、すっかりやさぐれていてね。前に一度、人間と契約を結んだことがあったんだけど、そのときいろいろとやらかしちゃって、精霊王から二度と契約なんて結ぶなって禁止されちゃったんだ。それ以降、ずっと契約を結べず、とてもつまらない日々を送っていた。で、ある日、とうとう不満が爆発してしまった。命令なんて知るか。僕は何物にも縛られない。自由なんだ! って。それで精霊王の目を盗んで人間界にやって来て、契約を結ぼうとした。ぶっちゃけ言うと、相手は誰でもよかったんだ。契約を結べさえすれば」
テトが言葉通りぶっちゃけた。アレッタは思わず口にしていた紅茶を噴き出しそうになる。誰でもよかった? 嘘でしょう。そんな適当な理由で契約相手を決めようとしたの? アレッタは目を丸くする。大精霊のイメージが見る見るうちに崩れていくのを感じた。
「けどまあ、やっぱり契約を結ぶとなると、相手を選びたくなるわけで。そんなとき、君の持つ純粋な色の魔力に惹かれたんだ。歪みがない君の魔力を見て、この子なら僕の相手にふさわしい、そう思った。あ、上から目線でごめんね」
「いえ、そこはあまり気にならないけど」
なにしろ相手はあの大精霊だ。上から来られて当然、むしろ下から来られたら対応に困る。
「そういうわけで、僕は君を選んだ。そして、契約を結んだ」
テトに選ばれた。そう思うと、なんだかこそばゆい。アレッタの口元が自然と緩む。
「にやけているよ」
「うるさい」アレッタは語気を強くした。「話の続きをどうぞ」
テトは肩をすくめた。「君と契約を結んだまではよかったんだけど、そのことが精霊王にばれてしまった。怒り狂った王は、罰として僕にしばらく人間として暮らすように命じた。僕は精霊としての記憶を奪われ、身体を人間の子どもの中に押し込められた」
「ちょっと待って。いまとんでもないことを聞いた気がする。人間の子どもの中に押し込められた?」
「そうだよ。正確には、瀕死の子どもの身体にね。なにもしなければその子どもは死ぬ運命だった。そこに僕という存在が入れられたことで、彼は一命をとりとめた。僕と彼の存在は混ざり合い、一人の人間となった。それが、この僕、テトだ」
「つまり、テトという人物は実在していたってこと?」アレッタは信じられない思いで訊いた。
テトが頷く。「前に君に、僕の家族の話をしただろう? あれも本当のことだ」
「いまのあなたは、テトなの? それとも、ファラデウス?」
「両方だ。感覚的に理解してもらうことは難しいと思うけど、僕らはまるで違和感なく融合しているんだ。僕はテトであり、ファラデウスでもある。最初から一つの存在だったように、精霊だった過去から人間の冒険者として過ごしてきた今日まで、すべてが矛盾することなく一本の線で繋がっている」
アレッタは呆然とした。返すべき言葉が見つからない。自分の理解を超える展開だった。ただひたすらテトを見つめる。
「記憶が戻ったのは、なぜ?」アレッタはようやく疑問を口にした。
「君を守りたいという強い気持ちが精霊王の呪縛を解いたんだ、って言えればかっこいいけど、たぶん、実際のところは精霊王が情けをかけてくれたんだと思う。僕と契約を結んだ君が殺されるのを防ぐために、仕方なく記憶を戻してくれたんだ」
「でも、前にわたしが盗賊に襲われたときは……」
「あのときは、精霊としての記憶を取り戻さなくても、テトとしての実力だけでどうにかできる状況だった。今日とはまるで違う。実際どうにかなったし。でもあの怪物は、精霊としての本領を発揮しなければ勝てない相手だった」
黒い怪物のおぞましい姿を思い出し、アレッタは思わず自分の身体を抱いた。まだ恐怖が全身にこびりついている。
「大丈夫?」テトが心配そうな声で訊いてくる。
「ええ。平気よ」アレッタは笑顔を浮かべてみせた。「ひとつ、わかったことがあるわ」
「わかったこと?」
「わたしが精霊契約に失敗した理由」
ああ、とテトが苦笑いを浮かべた。
「あのときはもうあなたと契約を結んでいたんだから、できなくて当然よね」
「その件はごめん。僕のせいで、辛い思いをさせちゃったね」
「別に、気にしてないわ。あれがなくても、どうせ妹たちの対応はいまと変わらなかっただろうし。テトが謝ることじゃない」
「そう言ってもらえると、少しだけ気が楽になるよ」
アレッタはしみじみと言う。「わたしたち、十年ぶりに再会したのね」
「運命みたいだと思った?」
「それは」
図星だった。とはいえ、精霊契約を結んでいたのだ。再会は必然とも言える。
「運命と言えば」アレッタは首を傾げた。「わたしが盗賊に殺されそうになったとき、あの森にいたことは偶然?」
「偶然だったら、それこそ奇跡だったんだけどね」テトは虚空を睨みつける。「僕があの森にいたことは偶然じゃない。導かれた結果だ」
「導かれた? なにに」
「前に話したのをおぼえているかな。僕が雷の精霊と契約を結んでいること」
「そういえば、そんなことを言っていたわね」
いま考えると、おかしな話だ。精霊が精霊と契約を結んでいるだなんて。
「実は、その精霊、精霊王が僕につけた監視役だったんだ」
えっ、とアレッタの口から驚きの声が洩れる。いまもいる、とテトはなにもない空中をこつんと叩いた。アレッタの目にはなにも映らなかったが、どうやらそこに精霊がいるらしい。
「僕は冒険者として活動するとき、よくそいつの助言を聞いて次の行動を決めていた。あの森へ行くことにしたのも、精霊がそう言ったからだ。いま思えば、あれは君と出会うように、精霊王が仕組んだことだったんだろう。僕はまんまと、王の手の平で踊らされていたんだ」テトは不満そうな顔をした。「まあ、そのおかげで、君にふりかかった災いを退けることができたんだけど」
そういうことだったのね。テトの話を聞き、様々なことが腑に落ちた。アレッタは息を吐き出す。
「今日はこれぐらいにしよう。見たところ、君はだいぶ疲れている。そろそろ休んだほうがいいよ」テトが立ち上がる。
「もう行っちゃうの?」アレッタは思わず尋ねた。
「ずっと君のそばにいたいのは山々なんだけど、さっきから一度顔を出せって精霊王がうるさくてね。いい加減、行かないと」
「……また会えるわよね?」
「もちろん。明日になったら、また来る。精霊王にもきちんと話を通して。だから」
テトが近づいてくる。彼の柔らかい指が、アレッタの髪を梳いた。
「テト……」
「今日は安心して休んで。そして明日、また僕に元気な姿を見せてほしい」
テトの顔が近づいたかと思うと、額に口づけがされた。アレッタは全身が沸騰したかのような錯覚を抱いた。顔が火照る。心臓が飛び跳ねる。これは夢か。夢でも嬉しい。アレッタはテトを見つめた。視線が絡み合う。
「おやすみ、アレッタ」
「おやすみなさい、テト」
アレッタが夢心地から覚めたとき、テトの姿はもうなかった。あとには彼の唇の感触だけが残された。




