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良い貴族と悪い貴族

 しばらくして、ヤグウェイとキースがこちらに歩いてくる。ヤグウェイの鼻息は荒く、いまだ興奮が冷めきっていない様子だった。キースを見れば、額に大粒の汗を浮かべていた。腕力のある半獣人を抑え込むのは、重労働だっただろう。


「ごめん、怖い思いをさせちゃったね」


 すっかり険のとれた顔つきに戻ったテトが、アレッタの頬に触れる。優しい手つきに、思わず口元が緩む。


「ぜんぜん。むしろ、格好良かった。あなたのことを少し見直したわ。ただの意地悪な変態じゃなかったのね」


 にこりと笑ったテトは、アレッタの頬をぎゅっと引っ張った。


「ひょっと、ひたいひゃない!」


 解放されたアレッタは彼をびしっと指さすと、苦笑している従者に命令する。


「キース、こいつをぶっ飛ばしなさい! 一回、痛い目に遭わないと、こいつは更生しないわ」


 指名された従者は満更でもない顔でテトを見据える。


「それは好都合ですね。お嬢様に纏わりつく虫を、ちょうどはたき落したかったところなんです」


「へえ、奇遇だね。僕もちょうど、自分の実力を改めて彼女に見せつけたかったところなんだ」


 ばちばちと火花を散らす二人を、アレッタとヤグウェイは距離を取って見守る。先ほどまでの緊張感は、どこかに吹き飛んでいた。


「男って、どうしてあんなに血気盛んなのかしら」アレッタは目を細める。


「女の前ではみんなかっこつけたがりなんだよ」先ほどまで、一番血気に任せていた男が言った。


 アレッタたちの目の前で、テトたちが模擬戦を開始する。二人とも動きが俊敏だ。素人目にも、練度の高さがわかる。武器はなしだ。テトの振るった拳を、キースが素早い身のこなしで躱した。


「さっきの彼女は、あなたたちの知り合いだったの?」アレッタは隣に視線をやった。


「同じ冒険者だよ」ヤグウェイは嫌悪感をあらわにして言った。「テトに惚れて、あいつのことをずっとつけまわしてたんだ」


「彼女はどうしてあなたを誘拐しようとしたのかしら」


「オレのことが目障りだったんだろ。テトがパーティーを組むのはオレだけだったからな。オレがいなくなれば、その後釜に自分がすわれると思ったんじゃねえの。あとは単純に、獣が嫌いだったんだ」


「つまり、とばっちり?」


「そういうこった」ヤグウェイは、ふんと鼻を鳴らした。


「人気者の友人は辛いわね」


「もう慣れた。それに、あいつ自身は悪いやつじゃねえからな」


「そうかしら」


 ヤグウェイの評価に、アレッタは素直に賛同しかねた。


 最初は好青年だと思ったが、その後の付き合いで印象はずいぶんと変わった。彼に受けた数々の仕打ちを思い出し、首を傾げる。


「それはあれだよ。好きなやつほどいじめたくなるっていう」


 そう言った直後、雷撃がヤグウェイの目の前に落ちた。うおっ、と飛び退いた彼は、テトに抗議をする。


「てめえ、オレを焼き殺す気か!」


「ごめん、手が滑った!」


 テトの口元はにこにこと笑っているが、目が笑っていない。次に余計なことを言ったら本気で当てる、と言わんばかりの目つきだった。


 黒く焦げた地面を見ながら、おっかねえ野郎だ、とヤグウェイは頭をがしがしと掻く。それからアレッタのほうを向いて、あれ、と眉を上げる。


「あんた、顔が赤」


「もう一度、雷が落ちるわよ」


 すごんで見せれば、ヤグウェイは身体を引いた。それから、こっちもおっかねえなあ、とぼやく。


 テトとキースが戻ってきた。上機嫌のテトに対し、キースは肩を落としている。


 申し訳ございません、と頭を下げる従者に、お疲れ様、とアレッタはねぎらいの言葉を投げかけた。


「僕の雄姿、目に焼きつけてくれた?」


「ごめんなさい。ヤグウェイと話していたら見逃したわ」


「おい、オレのせいにするなよ!」


 爽やかな笑顔を浮かべたテトが、ヤグウェイの肩に手を置く。指が食い込んでいるように見えるのは気のせいだろう。


「そういえば」アレッタは、ヤグウェイに関節技を決めているテトのほうを向いた。「さっき、あのベルベットとかいう女が言っていた中で、一つ気になったことがあるんだけど」


「なに」ヤグウェイを解放したテトは、汗を拭った。


「『用済みになったらまた切り捨てるつもりよ』。その、また、っていうところが、どうしても引っ掛かって」


 まるで、貴族に切り捨てられたことがあるような口ぶりだった。


「ああ、それね」


 テトの眉間に皺が寄る。あまり思い出したくない出来事なのだろう。無理して話してくれなくてもいいわよ、とアレッタが言う前に、テトは話し始める。


「冒険者になってからしばらくしたころ、貴族の依頼を受けたことがあったんだ。お金が底をつきかけて、困っていたときだった。とある貴族の家の当主が突然倒れて、回復魔法の使い手を必要としていた。報酬金に目がくらんだ僕は、ついその依頼を受けてしまったんだ」


「依頼を失敗してしまったの?」


 彼の沈んだ声から、アレッタは最悪の展開を想像した。テトはかぶりを振ってそれを否定した。


「依頼自体は成功したんだ。回復魔法を当主にかけ、彼は無事に目を覚ました。問題が起きたのはそのあとだ」


「なにが起こったの?」


「その当主には一人息子がいてね。父親が倒れたとき、その息子は、当主の座がもうすぐ自分のものになると喜んでいた。ところが、父親が回復してしまったため、当主の交代には至らなかった。当主になれなかったその息子は、僕を恨んだ。おまえが余計なことをしなければいまごろは俺がこの家のトップに立っていたのに、って」


「そんな、ひどい」逆恨みもいいところじゃない、とアレッタは憤慨した。


「よほど僕を恨んでいたらしくて、何度か刺客まで送り込まれた。幸い、ヤグウェイの協力もあってすべて退けられたけど、その事件のせいで僕は貴族を信用できなくなった。以来、貴族にはなるべく関わらないようにしてきたんだ」


「それならどうして」アレッタはテトの瞳を覗く。「森で襲われていたわたしを、助けてくれたの?」


「貴族のことを嫌っているとはいえ、目の前で可愛い女の子がひどい目に遭わされそうになっているのを、黙って見過ごすことはさすがにできなかった」


「屋敷までついてきたのは?」


「それは、君が悪い人ではないと思ったからだ。一緒にいた侍女が無事だと知ったときは心の底から喜んでいたし、命懸けで戦った騎士たちの埋葬も自分の手で行おうとした。屋敷についてからも僕のことを丁重に扱ってくれたし、宝石盗難騒ぎのときは公正な立場から真実を見極めようとした。君のことは信用できる。そう感じたから、屋敷へ案内するという君の申し出をありがたく受けたんだ」


「たんまりお金がもらえますからね」キースが口を挟んだ。


「そういえば、あなたが同行を決めたきっかけは、ジョアンヌの『謝礼金をはずみます』っていう言葉だったわね」アレッタも思い出した。「で、あなたは、『まあ、お金をもらえるようでしたら』って答えた」


「せっかくいい感じに話をまとめようとしていたのに、台無しにするのはやめてくれないかな?」テトが不満そうに口を尖らせた。


「ですが、事実ですので」キースはばっさり切って捨てた。


「性格悪い従者だなあ」


「それ、あなただけには言われたくないわね」


 アレッタが言い、ヤグウェイがげらげらと笑う。


「言いくるめられてやんの!」


 雷が落ち、真昼のロンベルタに悲鳴が響き渡った。


 その後、アレッタはテトたちと別れる。


 結局、前に広場で言いかけた言葉の続きを、テトが口にすることはなかった。

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