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テトの怒り

「あー、見つけた! ここにいたのね!」


 突然、女性の声が沈黙を破った。振り返ったアレッタの視界に、ふわりとした青毛が映る。誰、と目を細める。木の杖を持ち紺色のローブを着ていることから、魔法師だろうとアレッタはあたりをつけた。彼女が近づいてくるにつれ、顔立ちがはっきりと見えてくる。少女から大人の女性へ変わりつつある顔だった。歳はアレッタと大きくは違わないだろう。少しつり上がり気味の目は、猫を連想させた。


「ベルベット」


 名前らしき単語を呟いたテトの声は低く、まるで唸り声のようだった。普段の様子とはかけ離れた口調に、ぞわりとした感覚をおぼえる。


「組合にいないから探し回っちゃったじゃない。こんなところでなにしてるの?」


 ベルベットと呼ばれた少女は、テトの雰囲気が明らかに硬化したにも関わらず、彼に話しかけた。媚びるような表情が、かつてソルガナンを横から掻っ攫ったシャーリーのそれと重なり、つい眉を顰めた。


「おまえには関係のないことだ」


 テトがアレッタの前に移動した。まるで少女からアレッタを守ろうとしているかのようだった。ベルベットも同じことを思ったのだろう、視線をアレッタに向けた。


「誰、その女」


「おまえには関係のないことだ」


 相手をするのも面倒だと言わんばかりに、テトは先ほどと同じセリフを繰り返した。


 ふと横を見ると、ヤグウェイがキースに取り押さえられていた。えっ、と驚く。暴れるヤグウェイの視線は、ベルベットに注がれていた。まるで仇敵を見つけたかのような反応だった。キースが止めていなければ、跳びかかっていたに違いない。そう思わせるほど、彼の顔は怒りに満ちていた。


 アレッタは、二人の反応からベルベットへの警戒心を高める。


 じろりとこちらを睥睨していたベルベットが、なにかに気がついた顔をする。「もしかしてその女、貴族?」


 今日のアレッタは、上質なワンピースを着ていた。前回のように隠れる必要がなかったので、ある程度おしゃれをしてきたのだ。上質な生地を使用しており、町娘がおいそれと手を出せるような代物ではなかった。そのことに、彼女は気がついたのだろう。


「だとしたら?」テトが言った。


「テト、いますぐ彼女から離れて!」かっと目を見開くと、ベルベットは人が変わったようにわめき始めた。「そいつはただ、テトを利用しようとしているだけ。回復魔法を使わせるだけ使わせて、用済みになったらまた切り捨てるつもりよ!」


 ぎょっとしたアレッタが困惑している間に、彼女はテトへ片腕を伸ばした。次の瞬間、テトは彼女の手を払いのけた。


 起きたことが信じられなかったのか、ベルベットは呆然と立ち尽くしていた。どうして、と掠れた声で呟く。


「どうして、だって? 友人を傷つけようとした人間に触れられたくないと思うのは、なにもおかしなことじゃないだろう」


 氷のように冷たく、そして研ぎ澄まされた声が、テトの口から放たれた。


 友人を傷つけようとした、と彼の言葉を咀嚼したアレッタは、はっとヤグウェイのほうを見た。「もしかして、ヤグウェイを誘拐しようとしたのって」


「あたしじゃないわよ!」ベルベットが叫んだ。「犯人はもう捕まったんでしょ! 適当なこと言わないでよ!」


「取り調べをした者の話によると、彼らはある人物から頼まれたそうだ。報酬を渡すから虎の半獣人を誘拐してくれ、と」テトが吐き捨てた。


「それがあたしだって言うわけ?」ベルベットの目は血走っていた。「その男たちが、そう証言したの?」


「残念ながら、その人物はフードを目深にかぶっていたから、男たちは誰一人として自分たちに声をかけてきた人物の顔を見ていないそうだ」


 その説明に、ベルベットは勝ち誇った顔を浮かべる。そんな彼女に、テトは冷ややかな目を向けた。


「でも、男たちの身体にはある臭いが残っていた。おまえのその香水だ」


 ベルベットは弾けたように自分の身体を見下ろす。


「ヤグウェイは鼻がよく利く。男たちによって眠らされる直前、彼らの身体についた臭いを嗅ぎとった。その臭いが、おまえのつけている香水の臭いと一致したんだ」


「い、言いがかりはやめてよ! 臭いが同じだからってなにっ? この香水をつけている人は、ほかにもいるでしょ」


 テトはかぶりを振った。「その香水はおまえ専用の特注品だ。売った店に確認をして、裏も取った。おまえ以外に、あの香水を購入できた者はいない」


 いつの間に、とベルベットは呆気にとられた様子だ。


「そしてもう一つ。こっちのほうが決定的だけど、男たちが依頼主から受け取った金品には、香水の臭いだけではなく、おまえ自身の臭いもついていた。濃くはっきりと。これは、おまえが男たちに接触した人物だというなによりの証拠だ」


「ふざけないで。そんなの、なんの証拠にもならないわよ!」ベルベットは、キースの下でもがくヤグウェイをねめつけた。「黙って聞いてたら、あるのはその獣の証言だけじゃない。テト、目を覚まして。あんな獣風情の言うことを真に受けないで。あいつもそこの女と同じよ。あなたに取り入って、利用しようと」


「僕の友人をバカにするなっ」


 テトの怒声に、アレッタは身をすくめた。本気で怒った彼の姿を見るのは、初めてだった。ばちばちとテトの身体から電気が弾け飛び、噴火寸前の火山のようにいつ魔力が爆発してもおかしくない状況だった。ベルベットの顔にも怯えの表情が走る。


「捜査機関の人間には、いま言ったことをすべて伝えてある。おまえがあの男たちと繋がっていたことを示す物的証拠が出れば、もう言い逃れはできない」


 テトの剣幕に、ベルベットが後退をする。


「おまえにはきちんと罰を受けてもらう。そして、二度と僕らの前に現れないでくれ」


 有無を言わさぬ口調だった。テトが睨み続けていると、その視線に耐えきれなくなったのか、ベルベットはわっと泣き出した。身を翻し、走って階段を降りていく。彼女の姿は、あっという間に視界から消えてなくなった。

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