交錯する思惑
武に秀でた第一王子とは違い、学者肌と言われる第二王子は理知的な雰囲気を纏う。右目のモノクルがよく似合っていた。
彼の背後に立っている美丈夫は、護衛だろう。
ヴァイセットの咳払いで我に返ったアレッタは、「アレッタ・ルド・オルテンシアと申します」と挨拶をする。優雅な笑みを顔に張りつけているが、内心は動揺しまくりだった。父親を一瞥すれば、ヴァイセットも心なしか戸惑っているようだ。
――お父様も慌てているということは、この訪問は事前に知らされたものではなかったようね。となると、なにか緊急の案件が起こったと考えるべきなんでしょうけど。
どうしてわたしまで呼び出されたのかしら、とアレッタは混乱する。第二王子がわざわざ出向くほどの件となると、思い当たるのはソルガナンとの婚約破棄しかなかったが、それにしては時期が少しずれている。
「突然押しかけてごめんね。どうしてもあなたと直接話がしたかったものだから」
「私と、ですか」
父親に視線で救いの手を求めるも、すげなく払いのけられた。
「ヴィルヘレム殿下のお目に留まるようなことを、私がなにかいたしましたでしょうか」
「昨日、あなたは誘拐された冒険者を助けたでしょう。虎の半獣人の」
ヤグウェイのことだ。どうしてそのことを、とアレッタは驚かずにはいられない。事件があったのは昨日のことだ。
「確かに、彼の救出に一役買いましたが」
それがヴィルヘレムの突然の訪問とどう繋がるかが、まったく読めなかった。
「あなたなら知っているかもしれないけど、僕はいま冒険者の地位向上に努めているんだ」
「存じております」
――前にテトが言っていたわね。第二王子の政策のおかげで、冒険者の待遇もよくなってきているって。
「それと併せて、亜人と総称される者たちに対する、国民たちの差別意識撤廃にも取り組んでいる」
冒険者と亜人。ヤグウェイはどちらにも当てはまる。
「そんな最中に起きたのが、あの事件だ。聞いた話によると、ロンベルタの兵たちは最初、半獣人の彼を見捨てようとしていたんだってね。そこへあなたが現れて、犯人追跡の指揮を執った」
「己の職務をきちんと遂行せよと進言しただけです」
指揮を執ったなどという大げさなものではない。あのときは、テトの背中にしがみつきながら動物たちと会話をするだけで、いっぱいいっぱいだった。
「謙遜しなくていいよ。あなたの行動のおかげで、彼を救うことができたんだ。冒険者組合長も感謝していたよ。僕からも礼を言う」
「お褒めに預かり光栄です、殿下」
恭しく首を垂れるアレッタだったが、いまだにヴィルヘレムの思惑を読み取れずにいた。一介の冒険者を助けたぐらいで、この国の第二王子が動くものだろうか。
そんなアレッタの疑問を見透かしたのか、「わからないのかい?」とヴィルヘレムが問いかけてくる。
「貴族のトップである公爵家の人間が、自らの危険も顧みずに半獣人を助け出したんだ。このことは、ほかの貴族たちの意識を変える、いいきっかけになると思う。それに」ヴィルヘレムはヴァイセットに視線を向けた。「オルテンシア公爵は僕の政策を支持してくれている、という宣伝にもなる」
アレッタは、ほの暗く笑うヴィルヘレムと、複雑そうな表情を浮かべるヴァイセットを見比べた。
「おそれながら、殿下。私は」
オルテンシア公爵、とヴィルヘレムは公爵家当主の言葉を途中で遮った。「僕がここを訪れた時点で、第一王子派の連中はあなたが僕の下についたと勘違いをするはずです。兄上との婚約破棄の一件もあるし、あなたがいくらこちらの派閥ではないと言い張ったところで、誰も聞く耳を持たないと思いますよ」
アレッタは二人のやり取りから、この訪問の理由を正確に把握した。
異母兄弟である第一王子ソルガナンと第二王子ヴィルヘレムの仲が悪いことは、貴族の間では有名だった。そこへ有力貴族同士の権力争いも絡み合い、王城では第一王子派と第二王子派で割れ、日に日に対立を深めているという話だ。
ヤグウェイ救出の一件が、派閥争いの道具として使われたことに対しては正直もやもやとしたものを感じたが、テトたちの利益に繋がるかもしれないと思うと、表立って非難することは憚られた。きれいごとだけでは政治が成り立たないことは、アレッタもおぼろげながら理解している。
「ところでアレッタ嬢、半獣人の従者がいるというのは本当?」
ヴィルヘレムの興味が再びこちらに向き、準備をしていなかったアレッタは目を瞬かせた。
「は、はい」
答えてから、それだけでは説明不足かと思い、狼の半獣人です、と続けた。
「あなたの他種族に対する姿勢は、昔から変わらなかったんだね」
「ええ。そうですね」
第二王子の言う通り、種族の違いはあまり気にしたことがない。学園では、大半の生徒が亜人を毛嫌い、あるいは見下していることを知り、ひどく驚いたものだ。半獣人の従者がいる、とはとても言い出せない雰囲気だった。世間一般からすれば、そのような自分の考え方はまだ異端なのだろう。
「周囲から反対されながらも、その従者を今日まで側に置いてきた」
「それはお父様が」
アレッタが思わず口にすると、ヴィルヘレムはヴァイセットに目を向けた。
認めてくれたからです、と一旦切った言葉を繋げた。
へえ、と第二王子はいくらか意表を衝かれた様子だ。「兄上の下についていたぐらいだから、てっきりオルテンシア公爵も亜人嫌いなのかと思っていました」
「利益をもたらす者は、貴賤を問わず利用する。それが私のやり方ですから」ヴァイセットは厳かな口調で言った。
「その従者は、あなたに利益をもたらしたというわけですね」
アレッタは、キースを屋敷に連れてきたころのことを思い出す。
半獣人を屋敷に入れることに、エミリーゼはひどく反対していた。そんな母親の影響を受けたフィルミナも、キースのことを、不潔、気持ち悪い、と罵った。
唯一アレッタの言葉に耳を傾けたのが、当主であるヴァイセットだった。彼はキースに、なにができるかを訊いた。わからない、とキースは最初答えた。そのあと、食べられるものを探すのは得意だった、と続けた。狼の遺伝子を持つ彼は、聴覚と嗅覚が優れていたのだ。
試用期間を設ける、とヴァイセットは告げた。期間内に有用だと判断されれば、そのままアレッタの望み通り、彼女の従者とする。もし利益にならなければ、即刻スラムに戻ってもらう。そういう話だった。エミリーゼたちからは当然、反対意見が上がったが、鶴の一声により黙らされた。
半獣人である彼は、物覚えがあまりよくなかった。ジョアンヌが何度も礼儀作法を教え込んだがなかなか実を結ばず、アレッタはやきもきしたのをおぼえている。
そんなキースに、ある日、転機が訪れる。
屋敷に泥棒が侵入したのだ。その当時、屋敷にかけられていた防犯用の魔法は、いまと比べて脆弱だった。その隙をつかれたのだった。公爵家の家に侵入するだけあり、その泥棒の手口は実に鮮やかだった。金目のものが数多く盗まれた。ヴァイセットはすぐに捜査当局に捜査を命じたが、犯人の残した痕跡はあまりに少なく、難航するだろうことは目に見えていた。そんなとき、アレッタの目に留まったのがキースだった。鋭い嗅覚を持つ彼なら、犯人を追うこともできるのではないか。そう考え、父親に進言した。ヴァイセットの判断は早かった。彼に命じられたキースは、犯人の臭いをたどり、そして見事に潜伏先を探し当てたのだった。
その一件が決め手となり、キースはオルテンシア公爵で働くことが正式に認められた。彼は、ヴァイセットから有用な者と判断されたのだった。
ヴィルヘレムにせがまれたので、アレッタは、キースがこの家で働き始めるまでの顛末を簡単に説明した。聞き終えたヴィルヘレムは、なるほど、と口角を上げた。
「公爵にそのような過去があったとは、知りませんでした」
「特段、周りに言いふらすようなことではありませんから。賊に侵入されたなど、我が家にとってはいい恥さらしです」ヴァイセットは動じることなく返した。
二人の会話を聞きながら、アレッタは顔をうつむかせる。
――あのころ、お父様はわたしのことを有用な者として見てくれていた。だけど、いまはもう。
うっかり感傷に浸ってしまい、慌ててかぶりを振った。
ヴィルヘレムはその後、ヴァイセットといくつか言葉を交わし、屋敷をあとにした。物々しい護衛に囲まれた豪奢な馬車を見送り、屋根裏部屋へ戻ろうとしたアレッタを、ヴァイセットが止めた。
「どこへ行く」
「屋根裏部屋ですが」
「自分の部屋に戻れ」
ヴァイセットの言葉に、アレッタは一瞬耳を疑った。ぽかんと呆けていると、彼が眉間に皺を寄せたのが見えた。
「聞こえなかったのか。自分の部屋に戻れと言ったんだ」
「あの、よろしいのですか」
「謹慎は終わりだ。行動の制限を解く。ロンベルタでもどこでも、行きたいところへ好きなように行けばいい」
突然のことにアレッタは面食らう。どういった心境の変化だろう、とヴァイセットの顔をまじまじと見つめてしまった。
「ヴィルヘレム殿下は、おまえに目をかけてくださっている。その期待を裏切るな」
それだけ言って、彼は自分の部屋へと戻っていってしまった。
――ソルガナン殿下の代わりにヴィルヘレム殿下のおぼえがよくなったから、わたしを許すってこと?
事情を察したアレッタは、ここまで権力に忠実だといっそ清々しいわね、と感想を抱いた。
――領民の命を預かる貴族としては、ある意味正しい姿勢なのかもしれないけれど。
ヴァイセットの消えていった廊下を、アレッタはしばらく眺めた。