テトの後悔
くし形に切られたリンゴを、ヤグウェイは手で掴むと口に放り込んだ。皿に積まれたリンゴの山を、あっという間に平らげてしまった。
「腹減った」
言葉と反応するかのように、彼のお腹がぐうと鳴る。変わらない友人の姿に、テトは苦笑した。ベッド横に置かれていた椅子から身を乗り出し、ヤグウェイの顔を覗く。
「あとで腹いっぱい肉を食べさせてあげるから」
なじみの医者に診てもらったところ、睡眠作用のある薬を盛られたこと以外、ヤグウェイの身体に異常は見当たらないということった。あとは起きるのを待つだけだと言う。安堵したテトは、ヤグウェイを病院から宿に運び、彼をベッドに寝かせた。
「オレが不甲斐ないばっかりに、おまえに迷惑をかけたみたいだな」
すまなかった、とヤグウェイが言う。
「身体のほうは問題なさそう?」
「ああ。寝違えたのか、若干首が痛いぐらいで、あとは平気だ」
上体を起こしたヤグウェイは、ぐるぐると片方ずつ腕を回す。その首の痛みはもしかしたら馬から落ちたときのものではないかとテトは思ったが、口にしない。
「おまえが無事でよかった」
「オレの身体は頑丈だからな。それより、おまえのほうこそ大丈夫か」
「え?」
「なんだかすっげー暗い顔してるぞ。まるでこの世の終わりみたいな」
大袈裟だな、と笑おうとしたが、頬が引きつってうまくいかなかった。ヤグウェイの琥珀色の瞳が、じっと見つめてくる。
「アレッタと、なにかあったのか」
テトは両腕を膝に載せ、前かがみになると、ことの顛末をヤグウェイに話して聞かせた。なるべく淡々とすませるつもりだったが、自分の未熟さが招いた結果を思い出すと、どうしても声に感情がこもってしまった。
話し終えると、テトはふうと長い息を吐き出した。椅子の背に凭れかかる。
「まるで今生の別れみたいだな」
ヤグウェイがぼそりと言った。アレッタが最後に口にした言葉を指しているのだろう。
「もう二度と会えないみたいな」
「まるで、じゃなくて、たぶん今生の別れだったんだよ。彼女は家族の目を盗んでこの町までやって来た。そのことを知った彼女の両親は、きっと彼女のことを許さないと思う」
「二度と同じことができないよう、牢屋に閉じ込めるつもりか」
「牢屋までとはいかないだろうけど、前よりも窮屈な環境に置かれることは、間違いないだろうね」
そうなれば、アレッタは二度とロンベルタまで来ることはできないだろう。
――さようならテト。
別れ際、目に一粒の涙を浮かべて口にした彼女の言葉が、耳について離れなかった。何度も繰り返し頭の中に響いては、テトの心臓をぎゅっと締めつける。彼女の顔を思い出すたび、胸が苦しくなった。
「告白する前だったのが、せめてもの救いか」
噴水広場での出来事が、脳裏によみがえる。星晶花の髪飾りを渡し、それから彼女に自分の想いを告げる予定だった。成功するかどうかは、正直自信がなかった。なにしろ、自分はただの冒険者、対する相手は貴族の中でも位の一番高い公爵家の令嬢だ。冷静になって身分差を考えれば、とうてい成功するはずのない賭けだった。聡明な彼女のことだ、感情に流されて、判断を見誤るようなことはしなかっただろう。テトへの好意は認めるものの、きっと恋人になることへの返事はノーだったに違いない。
そこまで考え、テトは自嘲的な笑みを零した。
――できなかった告白のことを、なにいつまでもうじうじと思い返しているんだか。
「アレッタのことはどうするんだ?」
ヤグウェイの声に、テトの意識は現実に引き戻される。
「どうするって?」
「このままあの女を諦めるのかってことだよ。好きなんだろ、アレッタのことが」
テトは目を瞬かせる。視線を宙にさまよわせ、自分の気持ちを再確認してから、言う。
「冒険者に大切なものってなんだと思う?」
「あ、なんだいきなり」ヤグウェイは面食らった様子だが、それでも律儀に答えてくれる。「腕力?」
「それも大切だろうけど。僕が思うに」
言葉を切る。空色の瞳に強い感情を湛え、テトはにやりと笑う。
「あきらめの悪さだ」
ヤグウェイはきょとんとしたあと、それからテトを真似するように、弧を口元に描いた。
「で、策は?」
「いま考え中」
「なんだよ、ノープランかよ」ヤグウェイがずっこける。
ひとしきり笑ってから、それより、とテトは表情を切り替えた。
「おまえが誘拐されたことについて、一つ確認しておきたいことがあるんだけど」
「アレッタのことはほうっておいていいのか」
「よくはないけど、おまえのことも心配だ。もし犯人たちが、獣化のことを知っておまえのことを誘拐したのなら、情報の出所を確かめる必要がある」
ヤグウェイが標的に選ばれたのは、はたして偶然か。テトは、ずっとその点が気になっていた。ロンベルタでは多くの亜人が行き交っている。もちろん、半獣人もだ。その中で、なぜヤグウェイが連れ去られたのか。彼は見るからに凶暴そうな見た目をしている。半獣人を狙うなら、もっと幼い子どもを選んだほうが、手間もかからずリスクも少ないはずだ。それなのに、わざわざヤグウェイを選択した。やはり、獣化のできる希少な個体だったから、という理由が一番しっくりとくる。
「それなら、ひとつ心当たりがあるぜ」
ヤグウェイの顔から、おちゃらけた表情がすっと抜け落ちた。テトは先を促す。
「おまえの推理はたぶん外れだ。あいつらは、獣化できるオレを狙ったわけじゃねえ。オレだから狙ったんだ」
「どういうこと?」
首を捻るテトに、ヤグウェイは鼻を摘まんで見せる。
「すっかり嗅ぎ慣れたからな。あの臭いを間違えることはしねえよ」
「ああ、そういうこと」
ヤグウェイの言わんとしていることを、テトはすぐに理解をする。そして次の瞬間、苦虫を噛み潰したような顔になった。