贈り物
カフェを出て、再び店を巡る。
テトがよく利用している武器屋を訪れたときは、店主にカップルだと勘違いをされてからかわれた。あたふたと誤解を解こうとするアレッタの横で、可愛いでしょ、とテトは平然と言ってのけた。思わず脇腹に肘鉄を喰らわせたが、彼はどこ吹く風だった。
町の東を流れる川のほとりで、アレッタたちは休憩する。木の柵のすぐ横に設置されたベンチに、並んで座った。
「今日はなんだか、精神的にとても疲れたわ」
「これだけ多くの人が行き交う中を歩いたから、仕方ないよ」
「絶対、それが理由じゃないと思う」
目の前を子どもたちが駆けていく。楽しそうに笑う彼らの姿を、しばらく目で追った。
そのとき、風がびゅうと強く吹き、少年が被っていた帽子を吹き飛ばした。彼はすぐに手を伸ばしたものの、届かず、帽子はぽちゃんと川に落ちてしまう。見る見るうちに、少年の目尻に涙が溜まっていく。とうとう泣き出してしまった。
アレッタが立ち上がるよりもはやく、テトが少年に駆け寄った。
「あの帽子、そんなに大事なものだったの?」
「あれ、こいつのかーちゃんがくれたものなんだ」泣き叫ぶ少年の代わりに答えたのは、別の少年だ。「そのかーちゃんが、少し前に死んじゃって。それからずっと、こいつはあのぼうしを宝物みたいにしてたんだ」
亡くなった母親の形見ということだろう。川の流れはそれほどはやくないため、帽子はまだ目視で確認できる。
「わかった。お兄ちゃんがとってきてあげるから、ここで待ってて」
テトはそう言うと、上着を脱ぎ、川へ飛び込んだ。迷いのない動きだった。子どもたちと一緒に、アレッタも柵へ駆け寄って見守る。テトは難なく帽子を掴んだ。岸から上がると、水を滴らせたまま少年に近づいた。
「はい、これ。ちょっと濡れちゃってるけど。また風にとられないように、気をつけろよ」
屈んで少年と同じ目の高さになったテトは、彼の頭をくしゃっと撫でた。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
元気な言葉を残し、少年たちはわあっと駆け出す。あっという間に、彼らの姿は見えなくなった。元気だな、と呑気に思っていたら、こちらを振り返ったテトと目が合った。
アレッタは、今更ながら彼が服を着ていないことを思い出す。水に濡れ、陽の光を受けて艶やかに輝く上半身が目に飛び込んできて、ぴしりと固まった。たくましい胸板、適度に割れた腹筋、可愛らしく覗くへそ。全身が沸騰する。
「どうしたの? そんなに顔を赤くして」
わかっているくせに、テトはいけしゃあしゃあと言ってくる。声に愉悦の色が滲んでおり、楽しんでいることは明白だ。
近寄らないでと手を伸ばせば、指先がしなやかな筋肉に触れてしまう。
「わ、えっち」
からかうような声が聞こえ、ますますアレッタの顔は熱くなった。
「もう、わたしで遊ばないでよ!」
「だってアレッタがすごくかわいいんだもの」
顔が近づいてきたかと思うと、だからいじめたくなる、と耳元で囁かれた。ばっとアレッタは飛び退いた。
「はやく服を着なさいよ、変態!」
「変態だなんてひどいな」
アレッタが投げつけるように放った服を、テトは器用にキャッチする。うう、と両手で顔を覆うアレッタの耳に、袖に腕を通す音がやけにはっきりと届いた。
「あんまり異性への耐性がないんだね」
「当たり前でしょう。まだ本格的な社交会デビューもしていないのよ。男のは、裸を見るなんて、そんな、不埒な真似」
したことあるわけないじゃない、と声が小さくなる。
「ごめんごめん、ちょっとからかいすぎた。おいしいお菓子でもおごるから、元気出してよ」
「見え透いたご機嫌取りなんていらないわよ!」乱れた心を落ち着けようと、ふう、と息を一つ吐き出した。「服はもう着た?」
「着た」
「嘘じゃないわよね」
「触ってみる?」
「誰が触るか!」
叫んだ勢いで振り向けば、川へ飛び込む前と変わらない姿で、テトが立っていた。にまにまと笑っていたので、なに、と少し尖った声をぶつける。
「いや、これが君の素の姿なんだなと思ってさ。屋敷では、ずいぶんと窮屈そうにしていたから」澄んだ空色の瞳が、アレッタを見つめる。「飾らない君を見られて嬉しいよ」
気を抜けば蕩けてしまいそうなほど甘い言葉だった。アレッタは返答に詰まる。なにを言っても敵わない気がした。
主導権と手をすっかりテトに握られたまま、その後も町の散策を続けた。
どうしても一か所寄りたい店があるということで、アレッタはテトのあとに続いた。案内されたのは、小さなアクセサリー店だった。花をモチーフにしたペンダントやブローチなど、女性向けの品が並んでいる。小綺麗な店内にいるのは、女性客ばかりだ。冒険者のテトが利用するとは思えない店だった。
――もしかして、前に付き合っていた彼女と一緒に来たことがあるのかしら。
女性店員と親しそうに話すテトの横顔を盗み見ながら、アレッタはそんなことを考える。現在、彼女がいないことは、事前の手紙のやり取りから知っていた。しかし、その前がどうだったかまでは聞いていない。あの顔だ、いてもおかしくないだろう。いまも女性客のほとんどが、ちらちらとテトに視線を向けている。
――なんか、おもしろくないわ。
不満をおぼえていると、話を終えたテトが戻ってきた。手に、紫色の小さな箱が握られていた。なにかしら、と不思議に思ったが、テトはそれには触れず、さっさと店を出てしまった。ちらりと見えた顔はやけに真剣だった。
中身を訊けぬまま、広場へやって来る。中央には大きな噴水があり、そのまわりを子どもたちが走り回っていた。
日が傾き始め、空は青からオレンジへの見事なグラデーションで塗られていた。涼しさを孕んだ爽やかな風が、広場を吹き抜けていく。
「アレッタ、君に渡したいものがあるんだ」
テトが、先ほど受け取っていた小さな箱の蓋を開いた。
中に入っていたのは、髪飾りだった。水晶のように煌めく虹色の花が一輪、咲いている。その美しさに、アレッタは息を呑んだ。見る角度によって色を変える花弁は、幻想的だった。
「星晶花」花の名前を口にする。
「さすが、やっぱり知っていたか」テトがはにかむ。「前に森へ行ったとき、偶然見つけたんだ。君に似合うと思って、髪飾りに加工してもらった。本当は、昨日までに受け取って、もっとちゃんとしたところで渡そうと思っていたんだけど」
間に合わなかった、とばつの悪そうな顔をした。
「これを、わたしに?」
「うん。つけてもいいかな?」
頷くと、テトがアレッタの後ろに回る。彼の細い指が、髪を梳いていく。じっとしていると、「はい、終わり」と声がかかった。「えっと、鏡は」と懐を探るテトを置いてけぼりにして、アレッタは噴水へと駆け寄った。水面に自分の頭を映す。
「わあ」
思わず、感動の声を洩らした。きらりとオレンジ色に光る星晶花の髪飾りに、そっと手で触れる。
せっかく鏡を持ってきたのに、と苦笑するテトの声が、後ろから聞こえてきた。「気に入ってもらえたかな」
「ええ、もちろん。とても嬉しいわ」
目を細め、水面に映った像を見つめる。
これまでにそろえたどの装飾品よりも、華やかで美しく、そして心を揺り動かされた。
――一生の宝物にするわ。
心の中で、そう誓う。
「アレッタ」
テトの真面目な声が、アレッタを振り向かせた。端麗な顔に、赤みが差している。それは夕日によるものか。それとも。
テトが口を開く直前、目の前を、一羽のカラスが横切った。よほど慌てていたらしく、黒い羽が数枚、宙を舞った。
「え、え?」
アレッタの鼻先でばたばたと翼をはためかせながら飛ぶカラスを、テトはわけがわからないといった様子で呆然と見つめている。
アレッタも同じような心境だったが、カラスが告げる内容が頭に染み込んでくると、顔を強張らせた。話を聞き終えるころには、すっかり青褪めていた。「教えてくれてありがとう。気をつけて巣に帰ってね」とカラスを見送る。
「アレッタ、いまのカラスって」
「テト、大変よ」彼の言葉を遮り、アレッタは叫んだ。「ヤグウェイが誘拐されたって」