冒険者の日常
冒険者組合の建物に入ると、テトはまっすぐ換金用のカウンターに向かった。途中、すれ違った冒険者の何人かが睨むように見てきたが、彼はまったく気にしない。列の最後尾に並び、順番を待つ。
「次の方―」
受付嬢の案内に従い、テトは先ほど仕留めてきたグリフォンから剥ぎ取ったものを、木製のカウンターに並べた。受付嬢が目を丸くする。
「モルダグリフォンですか。すごいですね。グリフォン種の中では比較的小型と言われていますが、その分、機動力が高くて、なかなか倒すのは難しいと言われている魔物です。これ、テト様が一人で仕留められたんですか」
テトが頷くと、周囲がわずかにざわめく。「あのガキが?」「どうせ嘘に決まってる」「別の冒険者のおこぼれに預かったものを、自分の手柄だと偽ってるだけだろ」それらはすべて、まだ十代のテトに対する僻みや嫉妬の声だった。
「運がよかったんです」テトはそれだけ言った。
「鑑定が終わり次第、お呼びしますので、しばらくロビーでお待ちください」
冒険者同士のいざこざには原則として介入しないことが定められているため、受付嬢がほかの冒険者を窘めることはしない。番号札を受け取り、テトは受付を離れた。そのまま近くの空いていた席に腰を下ろす。
頬杖をついて時間を潰していると、一人の男が声をかけてきた。
「よお。相変わらず、むさくるしいこの場所には似合わねえ面してるな」
対面に座ったのは、虎の半獣人だった。燃えるような赤い髪が、手入れのされていない庭に生えた草のように跳ねている。琥珀色の瞳が、じっとテトを見つめた。
「荒れ地に咲いた一輪の花みたいだぜ」
「この顔は生まれつきなんだ。好きでこんな外見になったわけじゃない。あと、いまの言葉はほかの女性冒険者たちに失礼だと思う。あと、気持ち悪い」
「歯に衣着せろよ、もうちょっと」
テトは肩をすくめた。彼は自分の顔があまり好きではなかった。町ゆく女と目が合えば頬を染められ、その様子を見た男からは射殺さんばかりの視線を向けられ、これまでに散々な目に遭ってきた。
「できることなら、おまえみたいな野性味あふれる顔に生まれたかったよ、ヤグウェイ」
「それはオレへの嫌味か。女に逃げられてばかりの」ヤグウェイと呼ばれた男は、顔をしかめた。
「彼女を作りたかったら、まずは身だしなみに気をつけるべきじゃない?」
頭もひどければ服のセンスもひどい。こんなけばけばしい色の服、どこで探せば見つかるんだろう、とテトは本気で不思議に思った。
「それはそうと、僕になにか用? また臨時パーティーのお誘い?」
ヤグウェイはテトの友人だ。だいぶ老けて見えるが、これでもまだ十八歳だった。お互い、ソロで活動していたが、たまに二人で臨時のパーティーを組むことがあった。
「いや、今日は噂の真偽を確かめようと思ってだな」
「噂?」
「おう。おまえがどこかの貴族を助けて報酬をたっぷりもらったって聞いたんだが、それ、ほんとか」
ヤグウェイの視線の先には、まだ真新しいテトの装備があった。
「もしかしてお金をたかりに来たの? うわあ、それは引くわー」
「おいおい、オレの評価を勝手に下げるなよ。オレがおまえに泣きつくわけねえだろ」
「この前貸した夕飯代、まだ返してもらってないんだけど」
「マジ?」
「うそ」
ぴくりとヤグウェイのこめかみが動いた。「ぶっ飛ばしてもいいか」
「ぶっ飛ばされる覚悟があるならどうぞ」
にこりと笑いかければ、ヤグウェイはおもしろくなさそうな顔で椅子に凭れかかった。
「かわいい顔しておっかねえな」
「よっぽどぶっ飛ばされたいみたいだね」
「冗談、冗談だって。だからその拳をしまえ」ヤグウェイは本気で慌てたように言った。「やめろよな、おまえのパンチはシャレになんねえ強さなんだから」
テトが一番得意とするのは身体強化魔法だ。肉体の活性化とともに自己再生能力も高める。見た目は線の細いテトだったが、魔法で強化された身体から繰り出される拳は、巨漢を一撃で仕留められるほどの破壊力を持っていた。とはいえ、魔物に素手で触れるのは危険であるため、たいていは剣と、得意な雷魔法を使う。
「貴族嫌いのおまえが貴族を助けるなんて、いったいどういう風の吹きまわしだ? 相手が絶世の美女だったのか」
「うーん、絶世の美女とまではいかなかったけど、整った顔立ちではあったね。あとは」テトは森で出会った公爵家令嬢の姿を思い浮かべる。「悪い人ではなさそうだったからかな」
「ふうん。悪い人じゃないねえ」
「半獣人にも理解があるみたいだったし」
ヤグウェイの耳がぴくっと反応した。
テトは、オルテンシア公爵家で起こった宝石紛失騒動の一部始終を話した。話が終わるころには、ヤグウェイの顔からすっかり険がなくなっていた。
「そいつはいいやつだな」
良くも悪くも、彼は単純な男だった。友人の変わり身の早さにテトは内心で苦笑する。
「オレらの特性を理解しているやつは、そうそういねえからな」
彼はすっかり、名前も顔も知らない令嬢に心を許してしまったらしい。獣人や半獣人は人間と比べて知能が劣る、と言われているが、ヤグウェイを見ていると、失礼だとは思いつつも真実味があるなと納得してしまうのだった。
「親はどうだったんだ? ほかにも貴族がいたんだろ」
「彼女の親、というよりも、彼女の家族は、まあ貴族らしかったよ」
先ほどまでの穏やかな表情から一転、テトはつまらなそうに言った。
彼女の妹と母親は、貴族らしい人間至上主義者だった。半獣人の使用人を目の敵にしていたし、彼を保護している姉のことも毛嫌いをしているようだった。同じ屋敷で暮らしてきたのに、どうしてあそこまで考え方が変わってしまうのだろう、とテトには不思議でならなかった。
組合の窓に目を移すと、ハトの集団が飛び立つのが見えた。青空に溶け込んでいく鳥たちを目で追いながら、今日もまた手紙を書かなきゃな、と頬をわずかに緩めながらテトは思った。そのとき、「テト!」と音符の弾けたような声が、耳に届いた。
青毛の少女が、二人のいるテーブルへ駆け寄ってくる。
「ねえテト、このあと暇? もし予定がなかったら、一緒に依頼を受けてほしいんだけど」
彼女の肩まで高さのある、ねじくれた木の杖を両手でぎゅっと握りしめながら、少女が言った。
「ごめんね、ベルベット。今日はこのまま、宿に帰って休もうと思っていたんだ」
柔和な笑顔を張りつけ、テトはそう返す。
「えー、じゃあ、明日とかはどう?」
「申し訳ないけど、しばらくはこいつと臨時パーティーを組むんだ」テトは、不機嫌そうに鼻を摘まんでいるヤグウェイを一瞥した。「だから、当分の間は君の手伝いはできない」
寝耳に水の話を聞き目を瞠る友人に、余計なことを言うなよ、と視線で訴える。付き合いが長いだけあり、彼はテトの気持ちをすぐに察知してくれた。そういうことだ、と不承不承といった形で、テトの発言を後押しする。
「えー」
ベルベットは不服そうに口を尖らせ、テトとヤグウェイを交互に見た。ヤグウェイを見るときだけ、その瞳に侮蔑の色が載ったのを、テトは見逃さない。
「なんでこんな獣とは組んで、あたしとは組んでくれないの?」
そういうことを言うからだよ、と口に出してしまいたくなるのを、テトはすんでのところでこらえた。苛立ちが声に出ないよう注意しながら、ごめんね、と繰り返す。単純なもので、ベルベットは頬を赤らめ、「次は、絶対にあたしと組んでよ」と言い、冒険者組合を出て行った。
彼女の姿がなくなったところで、テトは張りつけていた笑顔を外す。
「助かったよ、ヤグウェイ」
「別にいいけど、毎回オレをだしに使うのってどうなのよ。このままいくと、いつかオレ、あの女に消されるんじゃねえか」
「おまえの実力なら、逃げ出すぐらいわけないだろ?」
「そりゃそうだろうけどよ」ヤグウェイは頭をがしがしと掻いた。「一回ぐらい、申し出を受けてみたらどうだ? そうしたら、満足してくれるんじゃねえのか」
「むしろ余計に執着されると思う」
テトの容姿に惹かれ、彼とパーティーを組みたがる女性冒険者は多い。ベルベットもそのうちの一人だ。彼女たちからの勧誘を、テトはすべて断っていた。その理由は、彼の過去にある。
ロンベルタに来る前、テトは二度パーティーに所属したことがあった。
一度目は、冒険者になってすぐのことだ。まだ右も左もわからず、声をかけてきてくれたパーティーに二つ返事で加入した。そのパーティーは女性三人で構成されていた。最初はなにごともなかったのだが、次第に雲行きが怪しくなる。そして、気がついたときには、もう取り返しのつかないところまで来てしまっていた。結局、そのパーティーは一か月も経たずに解散した。
原因は、テトを巡る争いだ。三人が全員、テトと結ばれたいと思うようになってしまい、互いに足の引っ張り合いを始めたのだ。疑心暗鬼の状態で、まともに冒険者の仕事が続けられるはずがない。魔物に深手を負わされ、二度と武器を持てなくなってしまったメンバーもいた。
二度目は、拠点を別の町に移してすぐとのことだ。今度は男だけで構成されたパーティーだった。ここなら身を落ち着けられるかもしれないと考えた矢先、テトは仲間の一人に襲われた。幸い、貞操は守れたものの、本来背中を預けられるはずの仲間まで警戒しなければいけない状況に辟易し、ソロに戻った。
そんな出来事があって以来、テトは、誰とも固定パーティーを組まなくなった。とはいえ、一人だとこなせる依頼が限られてしまう。どうしても人手が必要なときだけ、テトは友人のヤグウェイを頼っていた。
「モテすぎるっていうのも、大変だな」
ヤグウェイは完全に他人事だと割り切ったようで、呑気にあくびを噛み殺した。
「おまえには一生わからない悩みだろうね」
仕返しとばかりに、テトは嫌味を言った。
受付嬢からの呼び出しはまだ来ない。番号札を弄って時間を潰していると、開いた窓から一羽のハトが入ってきた。くちばしになにかがくわえられている。ハトは迷うそぶりも見せず、テトたちのいるテーブルの上に降り立った。
「こいつ食っていいか」
「寝言は寝て言って」
ヤグウェイを窘め、テトは手紙を受け取る。差出人の心当たりは一人しかいない。
――まだ返事を出してないのに、どうしたんだろう。
丸みを帯びた可愛らしい文字が整列した文面に目を通し、テトは驚いた。
「どうした。あいつからの依頼か」
「それだったら双頭鷲を送ってくるよ」テトはハトの頭を撫でる。「それよりヤグウェイ」
「ん?」
退屈そうに答える友人を見て、テトはにやりと笑った。
「女の子を一人誘拐するのを、手伝ってもらえないかな?」