プロローグ
「あなたの運勢、最悪ね。用心しなさい。数日中に、あなたの人生をひっくり返してしまうような出来事が起こるわ」
王都の街角で、占い師の少女はそう告げた。彼女を見上げ、学生服姿のアレッタは首を傾げる。
「具体的に、どんなことが起こるのかしら?」
「そこまではわからないわ。ただ、そうね。男の影が見える。あなた、誰かと付き合っている?」
「え、ええ。婚約者がいるわ」
「そう。それなら、もしかしたらその男が関係しているかも」箒に腰かけ、宙に浮いている占い師の少女は、無表情だった。「どんな試練があなたを待ち受けているかまでは、申し訳ないけどわからないわ。ただ、なにが起こっても希望は捨てないことね。あきらめなければ、きっとまた素敵な人生を取り戻せるはずよ。あなたにはとても強い守護霊がついているみたいだし。わたしから言えることはそれだけ。以上、おしまい」
箒にまたがった占い師はそのまま高度を上げていき、やがて建物の陰に隠れて見えなくなった。アレッタが止める間もなかった。
彼女の占いが終わったことを遠目で確認した学園の友人たちが、好奇心を隠さずに近寄ってくる。
「アレッタ様は、どんなことを占ってもらったんですの?」
「殿下とのことですか」
彼女たちは次々と質問を浴びせてきたが、いまのアレッタには一つ一つ律儀に答えている余裕などなかった。適当に言葉を濁しながら、占いの結果ついて考えを巡らす。
――人生をひっくり返す出来事? わたしの婚約者が関係している?
まさかね、と笑い飛ばそうとするアレッタだったが、王都随一の腕を持つと噂される占い師の顔が脳裏をよぎり、表情が固まる。
背が低いことにコンプレックスを抱き、それをこじらせた結果、常に客を見下ろしていないと気がすまないという奇天烈な性格をした占い師だったが、腕だけは確かだと、皆、口をそろえて言っていた。現在、アレッタを取り巻いている貴族の令嬢たちも、最初は半信半疑で彼女に占ってもらっていたそうだが、その的中率の高さにいまではすっかり常連客となっている。
――もし、占い師の言うことが本当に起こるんだとしたら。
単なる暇つぶしのはずが、妙な展開になってしまった。アレッタはげんなりする。
「顔色が優れないようですけど、大丈夫ですか。もしお辛いようでしたら、どこか日陰に移動したほうがよろしいのでは?」
「いいえ。なにも問題はないわ。明後日でいよいよ学園も卒業だと思うと、少し感慨深くなってしまっただけだから」
納得の表情を見せる友人たち。
卒業パーティーが楽しみね、どのドレスを着て行こうかしら、とわいわい盛り上がる。
彼女たちの気を逸らすことに成功し、アレッタはほっと一息ついた。このまま考え込んでも気分が暗くなる一方だと思い、気を紛らわせようと王都の町並みへ意識を向ける。
暖色系の屋根が、澄んだ青空によく映えていた。石畳の上を歩いていると、香ばしい肉の焼けた匂いが漂ってくる。短くなった建物の影が、露店の上に落ちていた。
通りを吹き抜けた一陣の風に、髪がなびく。アレッタは思わず手を添えた。
果物屋でたむろしている少年たちの姿が目に入る。彼らのうちの一人は半獣人だった。こげ茶色の髪の間から、犬の耳がのぞいている。犬獣人と人間のハーフだろう。
半獣人の少年は、ほかの子どもたちが食べている赤色の果実をじっと物欲しそうに見つめていた。すると別の少年が、形が同じで、しかし緑色の果実を半獣人の彼に渡した。なんの疑いも持たずに、受け取った果実を頬張った少年は、途端に顔をしかめた。
ドラップと呼ばれるその果実は、成熟したあとと前とで色が異なる。成熟して赤くなったほうは甘みが強いが、まだ成熟しきっていない緑色のほうは酸味が強く、慣れない者が口にすると吐き出してしまうほどだった。
案の定、半獣人の少年は果肉を戻し、咳き込んでいる。ほかの少年たちはその様子を見て、げらげらと笑っていた。わいわいと追いかけっこを始めた彼らを、アレッタは微笑みながら眺める。子どもの無邪気ないたずらだ。
いつも通りの、穏やかな景色だった。
――あなたの人生をひっくり返してしまうような出来事が起こるわ。
まるで喉に刺さった小骨のようなその言葉を、アレッタはできるだけ気にしないように努めた。