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足音が聞こえる。
少年は森の下草に身を潜めながら、息を殺して音の主が遠のくのをじっと待っていた。
震える膝を両手で抑えて、歯が音を立てないよう顎に力を入れる。
(大丈夫、今回が初めてじゃない。静かに待てば見つかることはないはずだ)
頭ではそう考えていても、体が慣れるまではまだ時間がかかりそうだと少年は思った。
音の主はおそらくこの森で食物連鎖の上位に位置する動物のいずれか。姿はおぼろげにしか見えないが熊か何かで間違いあるまい。
少年の名はイデル。日没の闇に紛れて、小遣い稼ぎの薬草取りに精を出していた。本来ならば森に入ることも、日没後に外を出歩くことも許されていないが、彼にとってはこれが最近の日課になっていた。いつもなら夕日を合図に帰路につくのだが、今日はなかなかに興が乗ってしまったようだ。
そろそろ帰ろうと支度をしていたところで今の状況に至る。熊と思しき巨体は、イデルの気配に気づくことなく、のそのそとその場を離れていった。
「危なかったな。新手がくる前に退散しよう。夕飯までに間に合えばいいんだけど。」間に合わなかった場合の言い訳を考えつつ、彼は家路についた。
「…ふむ」どこからともなく発された声の主は、夜の静寂に溶け込んだまま、イデルの背を見つめていた。
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「イデル! 最近帰りが遅いようだけど、今日はいったいどこまで遊びに行ってたの。まさか森の方へ近づいてないでしょうね?」
やはりというべきか、イデルは夕食に間に合わずに叱られていた。彼を叱っているのは姉のターニャだ。
「ターニャ姉さん、僕がそんな事する人間に見えるの?今日は牛の餌やりと散歩、薪割りだってこなしてたんだから。」
「そうね、たしかに餌やりも薪割りもしていたわ。散歩の方角は気になったけどね。聞いた話だと、うちの牛は午後の間、村の端の木に首輪の紐を引っ掛けてあったそうよ。」ターニャは仁王立ちして腕組みしながら詰問してくる。
「姉さん、ダンテだってたまには端っこの草を食べたくなるんだよ。僕にはあいつの気持ちがなんとなく分かるんだ。」イデルはすまし顔で答える。ちなみにダンテとは、イデルが散歩に連れ出した牛の名である。
「あらそう、その間イデルはどこにいたのかしらね。飼い主不在のまま放って置かれたら、ダンテも悲しむと思うんだけど、その辺りは気遣ってあげないのかしらね。」
「人間も牛も、たまには1人で過ごすって大事だと思うなぁ。それに今日は天気が良くて少し昼寝もしてたから、ダンテの陰になって僕のことが見えなかったのかもしれないよ。」
「…まあ、いいわ。あんまり危ない真似はしちゃダメよ。例え噂でも、1人で森に入ったなんて父さんが聞いたら心配するわ。当然私もね。
…っと、何はともあれ夕食にしましょうか。
今日も父さんは会議で遅くなるみたいだから、先に済ませちゃいましょ。」
こうして2人は少し遅い夕餉をとった。






