望煌結界-膀胱決壊- 前編
芒の中にいた。
奇麗だった。
秋風が草原に吹いてまるで地面が揺れているみたい。
嗚呼、
なんとなくわかる。
これは私なんだ。
この世界はわたしそのものなんだ。
でもなんでだろ、わたしがわたしじゃないみたい。
あたまがぼーっとする。
なんでここにいるんだっけ?
「こっこいつ……おいどうなってんだよこれは!!
さっきまでトイレの中にいたんだぞ!何をした!」
大男が芒の中で暴れている。
何故だろう。
何故この人は叫んでいるんだろう。
こんなにも、奇麗なのに。
「おい、近寄るな……なんだよその脚……やめろ!来るな!!!」
男の人は怯えていた。
脚?
あぁ……
だってしょうがないじゃん。
もう無いんだし。
コレが代わりになってくれてるんだしさ。
「来るなって言ってるだろうが!!」
男の人は拳銃を出した。
やめてよ、そんな物騒なもの。
ここは奇麗な場所なのに。
そんなもの持ち込まないでよ。
わたしの場所なんだよ。
「来るなああああああ」
パンッパンッ
案外乾いた音なんだ。
もっとこう、あの爆発みたいにすっごいかと思ってたよ。
「…………なんだよ……どうなってるんだその黒いのは!!」
パンッパンッ
何故か怖いとは思わなかった。
だってここはわたしの世界だし、
今はコイツが守ってくれる。
でもなんだかおかしい。
だって、これじゃあわたしが悪役みたい。
黒い触手を伸ばしてるなんて
テレビの中の怪人みたい。
「怪人はないぜ。宿主さまよぉ」
久しぶりに声聞いた。
その声、
なんだか落ち着くな。
さっきから
この人たちが怖かったから余計にさ。
「そうかいそうかい、まぁ俺としちゃあなんでもいいんだがよ、心地いいに越したこたぁねぇな」
そうだね。
「なんだよ……その声………誰と会話してるんだ!
……………おい、お前川谷のぞみじゃないのか!!」
「川谷のぞみだ。だがのぞみであってのぞみじゃあない」
パンッパンッ
うるさいな。
わたしはわたしだよ。
「おい、……だから止まれって言ってるだろ!近づくな!!」
だって、芒の茎折っちゃうんだもん。
ダメだよそんなことしたら。
それに……
それに、もう漏れそうなんだよね
限界だよ。
「やめろやめろ……それ以上近づいてみろ!
………殺すぞ!」
「殺す?」
太陽がスポットライトみたいに私たちを照らした。
そうそう、こうでなくっちゃ。
わたしの右足が一人でに上がった。
バシュッ。
「—————」
ないすきっく。
なんだ、こっちの方がいい音するじゃん。
男のゴツゴツした頭は芒の中に消えた。
首から血潮を拭いて倒れた男はもう動かない。
辺りは夕暮れになって真っ赤な男ももう目立たない。
これでよし
もう出してもいいよね
数分前。
都内某所
雑居ビル
薄暗い一室
「あ、あのですね……ほんとに知らないんです…………
確かにわたしはあの日の夜、見回りをしてましたけど……でも、ほんとに何も知らないんです」
この釈明は一体何度目だろうか。
どうしよう……この人一向にわたしを信用してくれないぞ……
額にじわりと汗が浮かぶ。
なんでこうなっちゃうかな………
彼女がなんだかよくわからないままにここに連れてこられて少なくとも3時間が経つ。
川谷のぞみは危機に瀕していた。
いや、危機といっても一週間前のそれと比べれば大したことない。
この尋問も今のところは話し合いだけで済んでいたし平和主義の彼女としては問題なかったと言える。
ただ。
ただ、尿意。
彼女は尿意に襲われていた。
猛烈な尿意である。
尋問が始まって1時間過ぎたあたりからだろうか、
尿意の魔物がひょっこり顔を出した。
こういうのは一度気に留めるとどうもおさまらないものである。
案の定、尿意の魔物は時を経るに連れて着実に彼女の膀胱で成長していった。
1時間前まではまだ平気な顔ができたが流石に我慢の限界である。
もう尿道まではちきれそうだ。
なぜこうなった?
生理前で頻尿だったのもある。
ここに来る前に緊張でお茶を飲み過ぎたのもある。
ともかく
いかでか便所へいかばや……
なんとしてもトイレに行かなくてはならない。
「で?」
そしてこの返しも何度目だろうか。
ビルの狭い一室。
無骨なアルミ机とパイプ椅子。
のぞみの前に机を挟んで熊のごとき体躯の大男が座っていた。
ゴツゴツした顔面にいかにもなサングラスがのっている。
強面というには少々凄みが効きすぎている。
まさに任侠映画に出てきそうな風体であるが、その認識は間違っていない。
筋モノである。
2日に渡って緊急に行われた重役会議の結果、
川谷のぞみの容疑はほぼ盤石。
となれば本社としても相応の人材を
派遣しなければならなかった。
もしも、
万が一にも、
この少女がすでにアレに憑かれていたら普通の人間ではひとたまりもない。
いくら相手が黒い丸眼鏡とボブカットが似つかわしいほっそりとした少女といえどだ。
それくらいにアレは危険なのだ。
下手をしたら人死も免れない。
だから、この部屋の外にも数十人の大柄な男達が待機しているのはもちろん麻酔銃、特殊警棒、テーザー銃、催涙弾、それに実弾の銃までも用意していた。
加えて、のぞみを手足ともに手錠で拘束していた。
尿意などそんな緊張感のなさすぎる事を気にしている場合ではない異常な警戒態勢下の取り調べなのだ。
まあ、
彼女も最初は恐怖していた。
急にバイト先の本社の(かも疑わしい)人間が自宅に来たと思ったら、両親を口八丁で説得され、車でどこかに連れて行かれ、如何にもな場所に監禁されたばかりか手足を縛られ大男に詰問されているのだ。
だが、こんな異常な状況に
彼女は思い当たるところがあった。
あの一件。
あれは現の出来事には思えなかった。それに現在ものぞみの脚はあの日のままなのだから、なにかしらの理由で拘束されて道理なのかもしれない。
否、道理とは思わないもののどこかこの状況を受け入れざるおえなかったのであった。
しかも彼女はそういう面倒ごとには極力関わりたくなかったし、
結果アレのいうことに従っている感じになっているので色々不本意だし不安だった。
が、
しかし、その不安の渦も束の間、
尿意の波はそれを全て呑み込んで肥大化し
今や彼女の頭の9割は膀胱のことでいっぱいだった。
「川谷さん。
あんたがあの夜警備を任されていたこと。爆発事故に巻き込まれたであろうこと。
そして、その次の日から何故か音信不通になりバイトにも顔を出さなくなったこと。
それはこちらも把握しているんですよ」
「で?」以外も言葉を発するのか……と少し感動したのぞみだったが、すぐに表情を重くする。
わかっているならこの3時間あれこれ言ったわたしの主張は何故通らないのだろうか……
そもそもこのヤーさんはわたしにどんな発言を求めているのだろうか……
いや、なんとか活路を開かなくては。
いろんな意味で。
「じゃ、じゃあ大丈夫ですよね……
事故はたしかにドカーンって感じで目の前で起こりました。
ので、ちゃっちゃか逃げました。
休んだのも次の日たまたま風邪ひいちゃって寝込んでただけだし……」
「おいおいおい。
ねぇ川谷さん、あんまり嘘を言っちゃあいけないな。
状況わかってるでしょう?」
いや、こっちのセリフだ!
わたしの膀胱の状況わかってるんですか!?
怨嗟の言葉をグッと飲み込む。
「あはは……いや、嘘じゃないです。ほんとにそれだけです」
かわりに
股をもじもじさせてそう答えた。
そろそろ尿道の方も臨界点を超えそうであった。
すると、
男は仕方ないといった風に後ろで控えていた男に目配せした。
後ろの男はやれやれと首を振り近づいてくる。
ん、もうあきらめた感じかな……
おしっ……お花を摘みに行かせてくれるのかな……
大男よりも背丈は低く細身であるが、服の上からでも筋肉質であることがわかる。
そして、目つきが悪い。
これは1人ぐらい人殺しちゃってるよ………
こういう人の方がほんとは怖かったりするんだよね、任侠モノだとさ……などと考えていると
細身の男がのぞみの腹を蹴り上げた。
「————!!」
突然の出来事に悲鳴は声にならない。
鈍痛。
鉄塊で打ち付けられたような重い蹴りだ。
肺の空気が一気におしだされる。
呼吸ができない。
なんでわたし蹴られてるの……
痛みと混乱とで完全に気が動転したのぞみはそのまま椅子から転げ落ちた。
手足の自由がないのだ当然受け身など取れない。
痛い……
落ちた時に追い討ちのようにしたたか頭を打ち付けた。
痛い……なんで……
のぞみは無機質な床に無樣に転がった。
蹴って満足したのか、大男に促されたのか、控えの男の靴がまた部屋の隅に戻っていった。
だんだんぼんやりとした頭が冷静さを取り戻していく。
床の冷たさが肌に沁みた。
痛い……あざ残んないかな……
…………
お腹蹴らないでよ……
漏れるじゃん………
腹を蹴られてなお持ち堪えた膀胱を賞賛すべき場面かもしれないが……当然そんな余裕はない。
痛みはじわじわと下腹部に広がる。
おまけに手足の拘束と尿意で身動きすらまともにとれない。
「あ………え………なん、で蹴るんで……すか」
やっと絞り出した問いに、低い声が被さった。
「ねぇ川谷さん。
何時間経っても喋ってくれないんじゃあ、こっちだってこうするしかないじゃあないですか。誰だって焦らされるのは嫌でしょうよ………わかるでしょう?」
「嘘なんかついてな……がっ」
頭を押さえつけられる。
床に伏したのぞみの前に大男がしゃがんだ。
手には紙切れが一枚。
のぞみに差し出すように持っている。
「これ、なにかわかる?
現場に残ってた血痕ですよ川谷さん。
あなたの血液型、珍しいんですよねぇ、O型のRH-でしたっけね。
同じなんですよ、この血痕と。
で、あの場にいた誰も一致しなかったんですよねぇ……
川谷さんあんた以外はね」
血痕。
自分の血液型が特殊だなんてことはのぞみ自身今知ったのだが……
なるほどそうか
血痕か……
血、いっぱい出たもんな………
だって、私の右足はあの日—————
「あんた巻き込まれたんでしょう?爆発事故。
また「すぐ家に帰った」だなんていわないですよねぇ」
「………はい、事故にはあい、ました」
意地の悪い男だ。
いや、人間を屈服させて口を開かせることに慣れてるといった方がいいか。
尿意を抜きにしてこの尋問のやり口はのぞみにかなり効いていたと言えよう。
「それにしてちゃあ怪我してないようにみえるんですがねぇ」
「……………」
「ねぇ、あんた。
あの場でなにがあったか洗いざらい話してもらいましょうかね」
「………………」
男はいやらしく笑った。
「みたんだろ?アレをさ」
「………………実は」
口を開いた弱々しく転がる少女を見て満足したように立ち上がった大男だったが……
川谷のぞみの口から出た言葉は全く予想に反する頓珍漢なものだった。
「実は……………トイレに行きたいんですけど」