社畜さんとブラウニーたん
ブラウニー ──
……というのを知っているだろうか?
もちろん、あのパン生地にチョコレートを塗りたくった様な洋菓子のことではない。
俺がその言葉を聞いたのは、行きたくもない研修旅行でイングランド、所謂イギリスに連れてかれた時のことだった。なぜ研修先が外国かと言うと、ただの社長の趣味だ。現に社長と幹部達は、俺たちを置いて勝手に遊びに行ってしまい。英語も碌に出来ない俺たち新人は、酒を買ってきてボロ宿の部屋で飲むぐらいしか出来なかった。
「おい、お前ブラウニーって知ってるか?」
そう問いかけてきたのは、俺と同じく置いてかれた同期の友人だ。
「ブラウニー? あの洋菓子のか?」
「ちげーよ、確か妖怪? いや、妖精だったかな?」
イマイチ要領の得ない回答の友人は、自分のスーツケースを開けると変な石の塊を取り出して見せてきた。黒い台座に長細い石が円形にいくつか埋め込められているオブジェで、大きさは手のひらより少し大きいぐらいだろうか? パッと見は『ストーンヘンジ』のように見えなくもない。
「何だよ、それ?」
「ボーナス」
「はっ?」
ボーナス? ボーナスと言ったのか? なんのボーナスだ?
意味がわからず固まっていると、ガーン! っという大きな音で響き渡り、我に返って地面を見ると先ほどのオブジェが転がっていた。
「ふっざけんなよ! あの社長、怪しげな露天で買ったソレを『これボーナスな』って渡してきやがったんだよ!」
「おいおい、落ち着けよ。ほら、飲め飲め!」
興奮した友人に空になったグラスを持たせると、ボトルを持って酒を注いでやった。友人はそれを一気に飲み干すと、グラスを叩きつけるようにテーブルに置いた。俺は落ちていたオブジェを拾うと
「で、これ何なんだよ?」
「……ブラウニーの棲み処らしいぜ」
「だからブラウニーってなんだよ」
「知らねーよ! なんか幸運を運ぶとか、なんとか言ってたな」
怪しげな宗教グッズかよ! そういえばあの社長、変な壷とか怪しげな財布とか好きだったな……。
「とにかく、俺! この研修が終わったら辞めっから!」
「マジかよ!?」
こいつが辞めたら、新人俺一人になるんだが? 仕事量も倍増……今から頭が痛くなってきた。
「お前も辞めたほうがいいんじゃね? こんなクソ会社!」
「俺、ここを辞めたら実家の農家を継がなきゃいけないんだよ……」
「農家いいじゃん、農家……ん~、なんか気持ち悪いな……」
友人は酔いが回ってきたのかフラフラし始め、そのままベッドに潜り込んでしまった。俺は手に持っていたオブジェを掲げながら
「これ、どうすんだよ?」
「あー……お前にやるよ、持ってるとあの社長を思い出しそうだし……」
俺はもう一度オブジェを見て、正直いらないと思ったが、生来の貧乏性なため捨てるに捨てられず、自分のスーツケースに放り込んだ。
◇◇◆◇◇
日本に帰ってすぐに、友人は退職願をすっ飛ばし退職届を社長に叩きつけると、本当に辞めてしまった。
おかげで俺の負担は倍増、無理をして残業残業で働いていたら体調を崩してしまった。
出社どころか歩くのもしんどかったので、仕方なく休ませて貰おうと会社に電話したところ……
「ふざけるな! 来い!」
の一言で電話を切られてしまった。
やむを得ず俺はボロボロの体を引きずるように出社したが、俺の真っ青な顔を見た上司が……
「そんな状態で出社するとか、常識知らず! 帰れ!」
という怒声を上げ、俺は会社から追い出されてしまう。
俺はどうすればよかったのか? そんな事を考えながら、なんとか自宅へたどり着くと、そのまま玄関で倒れ意識を失った。
翌朝──
いつの間にか布団の中にいた俺は、まだもの凄い倦怠感に襲われていた。
正直目を開けるのもしんどい……しかし、なにやらトントントンっという軽快な音が聞こえてくる。
……なんの音だ?
俺はなんとか目を開けると、首だけ曲げてキッチンの方をみた。
ぼやける視線の先には小学生ぐらいの背丈だろうか? 誰かがそこにいた。……幻覚か?
「これは……もうダメかもしれない……」
幻覚を見るようでは、そう長くないかも……と思い、そうつぶやくと俺は再び意識を失った。
その後どれぐらい経ったのかわからないが、甘い匂いに誘われて再び目覚めると、布団の脇にミルク粥が置かれていた。
思えば、この時からだ。
俺の周りで不思議なことが起きはじめたのは……。
◇◇◆◇◇
数日後、元気になった俺は再び残業の日々で家と会社を往復する生活を続けていた。
「あっ……明日着る服がない!」
そう気が付いたのは、玄関前で鍵穴に鍵を差し込んだ時だった。
「しまったな……って、あれ?」
ドアを開けて、広がっていた光景に驚いた。部屋中に溜め込んでいた洗濯物が干されており、むわっと部屋干し独特な臭いがした。
おかしいな……俺いつの間に洗濯したんだ?
この時は『助かった!』と思ってスルーしたけど、その後もいつの間にか家事が終わっている現象が続いた。
さすがにおかしく思い、元同期の友人に相談すると……
「ついに頭がおかしくなったか……今からでも遅くない、あの会社は辞めろって」
やっぱり一度病院に行ったほうがいいんだろうか? と悶々とした気分で悩んでいたら、ある日『原因』と遭遇することになる。
◇◇◆◇◇
昼時に忘れ物を取りに家に帰ると、原因はそこに居た。
忘れ物を取って部屋から出ようとしたところ、座布団の上に何かが置いてあるのに気が付いた。大きさ的には子猫ぐらいだろうか? 茶色い髪に、ところどころ修繕した跡が目立つ黄色いドレスを着た人形がそこにはあった。
「なんだ、コレ?」
俺が、その人形を拾い上げようと掴んだ瞬間……
ぷにゅ!
生暖かく柔らかい感触に驚いて、数歩後ずさるとコードに引っかかりドシーンと転んでしまった。
な……なんだ、あの感触!? 生き物?
人形は、その音に驚いたのか飛び跳ねるように起き上がると、キョロキョロ顔を振る。そして、俺と目が合った。目を見開いて驚いた顔が怖い! っと思った瞬間、その人形はスーっと姿を消した。
「い……いったい、なんだったんだ?」
◇◇◆◇◇
その日を皮切りに、俺の前にその人形が度々現れるようになった。
最初は、お化けがすみ憑いた! と思い引越ししようかと思いつめたが、よくよく考えると実害がないどころか、家事までやってくているようだった。
俺は、その人形に『ブラウニーたん』と名付け、しばらく観察することにした。
マジマジと見るとすぐに逃げるので、興味ない風を装いチラチラと覗き見していると色々な事がわかった。
まず彼女は、どうやら俺がいない間に、あの友人がくれた棲み処から出入りして、洗濯や掃除などの家事をしてくれているらしい。見るたびに身長が違うので、最初は何体もいるのか? と思ったが、どうやら身長が伸び縮みするようだ。俺の晩酌のつまみをコソコソとチョロまかしている姿も確認できた。
……とは言え、家事をやってくれているのだ。
ご飯ぐらい出してもやぶさかではないと思って、彼女の分を用意してみたが、それにはまったく手をつけず、必ず俺のつまみを盗っていくのだ。理由はわからないが、彼女なりのこだわりがあるのだろう。ちなみに彼女の好物は『チーかま』で、苦手なのは『スルメイカ』だ。
一度、スルメイカを噛み切れず、咥えたまま思いっきり引っ張って、噛み切れた拍子に頭を打ち付けたところを目撃してしまい。あまりのおかしさに大爆笑したら、彼女の機嫌を大変損ねたことがある。
翌日帰宅してみると、俺の大事なお宝コレクション(本やDVD)がジャンル別に分類されて、机の上に置いてあった……。どんな嫌がらせだ! お前は、中学生の母親か! などと思いつつも、俺は二度と彼女の機嫌は損なわないようにしようと誓うと共に、もっと気付かれにくい場所に、コレクションを隠すことにしたのだった。
そんな事もあったが、家と会社の往復だけの生活で荒んでしまっていた俺の心に、彼女の存在は確実に癒しになっていた。
◇◇◆◇◇
俺が彼女を観察し始めてから、一ヶ月ほど経ったある日、俺は再び過労で倒れた。
さすがに医者からも『このままじゃ死ぬぞ!』と静養を勧められたので、この機会に今の仕事をやめて実家を継ぐのもいいかもしれないと思うようになっていた。
「どこに行っても、彼女がいれば楽しいかもなぁ……」
病院からの帰り道に、そんな事を思いながら、彼女の姿を想像したらあることに気がついた。
「そう言えば……あの娘、ずいぶんボロボロの服を着ていたな」
丁度歩いている商店街に、人形を扱う店があったはずだ。
新しい服を贈ったら、彼女は喜んでくれるだろうか? ひょっとしたらご飯のようにソッポを向くかもしれない。
「まぁ、それでもいいか……」
そうつぶやくと、人形の専門店に向かうのだった。
そして、俺は数時間の吟味の結果、メイドっぽい茶色のエプロンドレスを購入して店を出た。
こんなに買い物に悩んだのは初めてかもしれない。
しかし、平日の昼間にスーツ姿で、何時間も人形の服をみる男……怪しすぎる! 会計時に店員の笑顔が若干引きつっていたのも当然か……。
「それより急いで帰ろう!」
俺は、買ったドレスが入っている紙袋を大事に抱えると、早歩きで家に急いだ。
◇◇◆◇◇
ドアを開けると、とても甘く優しい匂いがした。以前嗅いだことがある……そう、前に倒れた時と同じ匂いだ。
「ただいま~」
部屋に入ると、机の上にまるで帰ってくるのがわかっていたかのように、出来立てのミルク粥が置いてあった。
俺は紙袋を脇に置くと、さっそく匙を持ちミルク粥を食べ始める。
「うまい!」
口に入れたミルク粥の味は、本当に心に染み渡る温かさと優しさだった。
やっぱり前のミルク粥も、あの娘が作ってくれたものだったんだ。……なぜか不意に涙が溢れてきた。涙を拭いながら、ミルク粥を食べていると、突然ガサガサという紙が擦れる音が聞こえた。
「ん?」
音がなった方を見てみると、彼女が俺が買って来たエプロンドレスをニコニコした笑顔で広げて見ていた。
気に入ってくれたようでよかった……。
彼女がこちらを振り向いた瞬間、俺は首を振って視線を外す。見ているのがバレると逃げてしまう。
こちらが見ていないことを確認したのか、シュルシュルと布擦れが聞こえてきた。どうやら着替えているようだ。その間に俺はミルク粥を食べ終わり、匙をテーブルに置いた。
「ありがとう……」
そんな言葉が、自然と俺の口から漏れていた。
すこし気恥ずかしくなり、頭を掻きながら彼女がいた方をチラッと見ると、そこには紙袋だけが置いてあった。
「あれ? どこにいったんだ?」
キョロキョロと部屋を見渡すと、棚の上に置いてあったブラウニーの棲み処の所で、新しい服を着た彼女を発見した。
彼女と視線が合う。
俺は慌てて視線を外そうとしたが、彼女は一度お辞儀をして微笑んだかと思うと、姿を消してしまった……。
◇◇◆◇◇
実家の俺の部屋──
彼女の姿が消えてから、半年が経過していた。
俺は会社を辞め、実家に戻って農家の仕事を手伝っている。その間、彼女が姿を現したことはなかった……。
後にネットで調べてわかったことだが、ブラウニーが家に住み憑く目的は服を手に入れる事で、服を手に入れると家から去ってしまうとのことだった。知っていれば服など渡さなかっただろうが、後悔しても後の祭りである。
だが、俺が本当にキツかった時に寄り添ってくれたことには感謝している。
農家の仕事も大変ではあるが、それでも社畜時代に比べれば人間的な生活ができていると思う。
「もう一度会いたいな……」
そう呟きながら、彼女が好きだったチーかまを肴に晩酌のビールを飲んでいた。棚には、未練がましく棲み処が置いてある。
俺は、左手を最後の一個のチーかまに伸ばすが、むなしく空を切った。置いてあったそこには何もなかったのだ。……落ちたか? と思い、ちゃぶ台の下を覗いたら、そこには……
チーかまをおいしそうに食べている『ブラウニーたん』の姿がそこにあった。
彼女は、俺があげた茶色のエプロンドレスを着ていたが、少しボロくなっており、いくつか補修した跡があった。まるで彼女と初めて会ったときに同じような印象だった。
突然、涙で視界がぼやける。
右手の袖で涙を拭う……が、ビールを持ったままだったのでドボドボとこぼれてしまった。それに驚いた俺は、反射的にちゃぶ台をひっくり返してしまう。
ちゃぶ台の下にいた彼女と、俺の視線が交わる。
彼女は初めて会った時のように驚いた顔をして、棲み処の方に走り去ってしまった。棲み処の前で立ち止まった彼女は、こちらに振り返り笑顔でお辞儀をしてから、姿を消した……。
翌日──
仕事から帰って部屋に戻ると、部屋が綺麗に掃除されており、再びお宝コレクションがジャンル別に分類されて、机の上に置いてあった……。
END