壱
太平洋戦争の戦中、戦後の話です。
三話で終ります。
夏になって、一時帰省した。
終戦の翌年のことである。
妻を連れて帰ると両親は喜んだ。
「こんな田舎さ帰ってきたって食うもんなんかねえだよ」
「康子!」
姉の口調も久しぶりだったので、私はほんの少し笑った。それが余計に姉の神経に触ったのかもしれない。キッときつく睨まれた。
「東京さ、どうだべか」
義兄(姉の夫)が心配そうに聞く。
「辺り一面焼け野原になってしまったようですが、幸い私のところは無事でした」
「こげな別嬪さん連れてきて、どこにそげな甲斐性があったんだか」
父が本当に嬉しそうに笑った。
今回は四年ぶりの帰省だった。
その間に私は高等学校(旧制)を卒業し、その年終戦となった。戦地へ赴いていた先輩方が帰ってきた後、私たちは夫婦となった。
妻は元々華族の出であったが戦前すでに家は傾いていたらしい。いわゆる没落華族というやつである。彼女は兄と二人で暮らしていた。その兄というのが私の先輩である。先輩が戦地へ赴く前に私は彼女のことを頼まれた。堅く色々と注意されたものだったが、私と彼女は自然と惹かれあい、結局終戦の頃には先輩の帰りを待つだけになっていた。無事に帰ってきた先輩にはもちろんさんざん絞られたが、今はこうして夫婦でいる。
この四年、私が一度も帰省しなかったのには理由があった。
私の家は旧家で、それ故に色々と複雑な事情を抱えていた。私と姉の母(今この家にいる母だが)は父にとって三人目の妻である。本妻(最初の妻)には子どもができる前に死なれ、二人目の妻には連れ子がいた。その妻とも子どもができず、ようやく私たちの母(当時はお妾さんだった)との間に姉と私が生まれたのだった。連れ子だった義兄は大層病弱だった為、私は生まれると同時ぐらいに父に引き取られた。義母は必要最低限私の面倒を看てくれたが、愛情はもらえなかったように思う。十年前に彼女が亡くなった際、妙にそのことが感慨深く思い出された。それから一年後に、父は私たちの母と再婚した。
実の母と一緒に暮らすようになっても、私の心の拠り所はいつもはんなりと笑んでいる義兄だった。義母の、私への態度をすまないと言い、義兄はいつも優しかった。
そうしてこの四年という月日は、そんな義兄がこの世から去ってからのものだった。
ふと私は、他にも誰かいないような気がした。
「父さん……叔父さんは……?」
確か義兄が亡くなった年に出征したはずだ。ああ、それは――
「……あいつは……もうどこにもおらん……」
じんわりと身体中が汗ばんでいた。それでいて身体の表面だけが過敏に反応しているようで、ひどく不快だった。
どこか遠くで蝉が鳴いている。耳鳴りがする。どこか近しい場所で――
* *
昭和十七年 夏――
風鈴が涼し気な音をたてて鳴っている。
昼下がりだった。
「よう帰ったな」
父が満面に笑みを浮かべて私を迎えた。居間にいたのは母と姉だけだった。
「叔父さんは?」
いつもの要領で尋ねると、父は苦い顔をした。母と姉は隣で、私が買ってきた土産の包みを開けていた。
「縁側だ」
父がこんな顔をする時は決まって叔父が蕎麦を打っている。父から言わせると『蕎麦なんか打ってる暇があったらお国の為に働け』らしい。
こんな田舎でも食べ物が満足にあるわけもない。叔父は貰った米を蕎麦粉に替えてしまう程蕎麦に対して思い入れを持っている人だった。
席を立つと、姉に呼び止められた。
「後でええから義兄さんのことさ茶ぁ持ってって」
「うん」
義兄のことは好きだ。出てこないところを見ると、今日も床で臥せっているらしい。
「康子が持ってったらええでないの」
母が窘めるように言う。姉は露骨に嫌そうな表情をした。
「だってぇ、義兄さん何考えとるかわがんねくて気味悪いだもの」
「康子!」
母の怒鳴る声を背で聞きながら、私は先に縁側へ向かった。この家はとても広くて縁側といってもどこを探せばいいかわからないだろう。けれど叔父のいる場所はいつも決まっているから私はそこへ行く。
「叔父さん」
声をかけると、叔父は蕎麦を踏む足を止めた。それを手で促す。
「よう帰ってきたな。東京さ、どうだ?」
再び足で踏み伸ばしながら叔父が聞いた。私は苦笑した。
「お国の為に、お国の為に、でしてね。全然勉強どころではありませんよ。食べ物も満足に手に入りませんし」
「そうけぇ、じゃあ、大変だな」
そう言いながら叔父は用意してあった蕎麦用の広い板を取り出し、打った蕎麦をその上に乗せた。これから綿棒でそれを延ばすのだ。
「お前は蕎麦打つの見んのが好きだな」
「ええ」
蕎麦粉の敷かれた板の上で、蕎麦が縦に横に満遍なく延ばされる。前よりも手際がよくなっているように見えた。
「これ持って帰れって言いたいとこだが……」
「大丈夫ですよ。義兄さんの分でしょう」
叔父の言葉をやんわり遮ると、叔父は微かに頷いた。
叔父は義兄の母を好いていた。私の母とは違って気品に満ちた美しい人を叔父の目が追っていることに、私はいつの日か気付いていた。
義母は東京育ちで、二度目の結婚だった。周囲の猛反対を父は無視し、義母を妻にしたという。私は義母から優しくされたことはなかったが、義母はとてもつらい思いをしていたのかもしれない。私が生まれたせいで余計に顧みられなくなった義兄のように。
何度か時間をかけて延ばし、綺麗に畳んで出刃包丁でトントンと細く切っていく。
「お前の帰る前にまた打ってやるから、土産さ持って帰れ」
ぶっきらぼうに叔父が言い、切った蕎麦を大事そうに紙に乗せた。
「別に気にしないでください。また来た時にでも打ってもらいますから」
おどけるように言うと、叔父は苦笑した。
「もう、それも無理かもしれね……」
呟くような言葉は。
「俺は、戦争さ行かねばなんね」
ただ哀しげな笑みが浮かんでいるだけで。
* *
どこかで予想はしていた。
叔父のことを、言いにくそうに紡がれた言葉は乾いた音を立てて胸に響いた。
「骨は……」
父の首が振られる。
「そうですか」
当たり前だろう。戦場へ行って骨が戻ってくるとしたらそれは奇跡だ。せいぜい戦死を確認したという報告が入るだけ。それもまだ報告が入るだけましと言える。そして、もし遺品が入っていれば僥倖とも思える儀礼的な箱。
何とも言えない感情が噴き出してくる。
立ち上がろうとしたが、なかなか足に力が入らなかった。
「……墓参りに、行ってきます」
妻はついてこないようだった。それがかえってありがたく思われた。
「義兄さんの墓、外れにあるけ」
意味を持たない言葉が、脳裏を交錯する。
何故だか、ひどくつらかった。