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屍生島奇譚 完結

 今回で物語は完結し、残るは小説の中の私が書く後書きのみになります。

 舟を見て礼輔と笹沼は絶句した。言葉が咽喉に詰まって、呼吸も発音も出来なくなったようにその場に体が硬直した。船から降りてくる生徒達、その顔には真っ赤な紋様がくっきりと映っている。顔面全体を覆うほどにその赤い斑点が皮膚を侵蝕している。

「どういう事だ。」

 礼輔は嘆きと驚きと悲しみを含んだ声で微かに言った。唇が震えたという表現が正しいかもしれない。

「すまない、君の大事な仲間や生徒だとは分かっている。だが、ここは君という証言者の命を優先して撃つ。」

「はい...」

 頷きとともに漏れ出たその声には最早正気さえ感じなかった。生徒や佐伯との制約さえ守れず此処で残酷な結果を目の当たりにした礼輔には、守れなかった自分と、今頃何処かでほくそ笑んでいるであろう犯人、黒幕に対して激しい憎悪と憤怒を感じた。それは熱エネルギーとなって体から溢れ出そうだった。笹沼の持つ拳銃が必死で守ってきた生徒の頭部を撃ち抜く乾いた音が数発轟く。その度に無くした生徒と、守ると誓った自分の顔を思い出した。身体が感情に侵されて燃えるように熱くなった。いてもたってもいられなくなった礼輔は静かにこう言った。


「私も殺すのを手伝います。」

 今日の仕事の中で最も酷で凄惨だった。これが悪魔的な選択であるのは間違いないが、礼輔にはそうせざるを得なかった。必死で鉄パイプを振って、愛してきたはずの生徒の顔面を叩く。生徒の骨を砕き、圧し折る自分の姿が赤く染まった生徒の瞳に映る。礼輔はそれから逃げるように鉄パイプを振り続ける。

「船を出すぞ。」

 抜錨の合図を掛けた笹沼が、礼輔に乗船を指示した。二人は操舵席に急いだ。


 其処には見慣れた人影が無言のまま佇んでいる。操舵席で置物の様に俯きながら其処に立ち尽くしている。

「佐伯...く...ん?」

「待っていたよ。葉山君。待ち焦がれて俺も感染しちゃったじゃないかぁ...」

 あああ...ああああ...礼輔の頭は絶望で満たされた。感染者が発する言葉の中でこれほど礼輔を傷つける物は無かった。此処から礼輔の脳は心情を言語に変換する能力さえ薄れていく。言語になるようなまともんば気持ちも現れなくなる。

「そんな...嘘だろ。なあ嘘だって言えよ。佐伯君、おい、おい、」

「止めろ、葉山君、気の毒だが・・・もうそれ以上近寄るな。」

 佐伯は礼輔が渡した猟銃を取り出して、笹沼に向けた。きちんと銃を扱う知能があるという事だ。

「まずはこっちからかな。」

 感染者とは思えないほど流暢に話す感染した彼の姿が礼輔には恐怖の偶像として映った。

「舐めないでくれ、感染者・・」

 笹沼は拳銃を構えて佐伯にじりじりと近寄る。佐伯も一歩も引かずに応戦する構えを見せた。


 三者に異様な沈黙が流れる。それを最初に破ったのは感染者、ではなく感染する前の佐伯の意志...微かに残る自我の一片だった。それは奇跡にも近い現象に見えた。少なくとも、この時の礼輔にはそう映っていた。

「うう...ああっああっ」

 苦しそうにもがく本当の佐伯がウイルスに覆われた体を瓦解させようとしている。体中で必死のレジスタンスが起こっているのか、奇妙な呻きとも喘ぎともとれない声にもならない音を漏らしている。

「葉山、はや...ま君、生きて、生きてくれ。」

 それだけ言うと充血した眼光の奥の佐伯は消えていく自我を振り絞って操舵席の外の甲板へ駆け出る。正確には這い出たのだ。よろめく手足を引き摺って、体をくねらせて、強烈で邪悪な病魔と苦闘しながらも甲板に這い出たのだ。それは彼が成した最後の偉大な抵抗だった。礼輔の眼には感染者としての彼と本物の彼が交互にフラッシュバックして見えていた。

「じゃあ...な。」

 佐伯はそれだけ言い残すと、自分の頭に銃口を当て、力強く引き金を引いた。涙と血と吐瀉物が浮かぶその顔から大量の血液が噴水になって放たれた。その瞬間、反動で体は大きく、仰け反り、そのまま海に放り出された。礼輔の網膜は鮮明にこれを映した。そして決して離れることのない記憶として完全に焼きついた。


 死体が沈んでいった場所では真紅の海水が沈みかけた夕焼けに照らされて光を放ちながら、揺れていた。海の波と同じ鼓動を刻みながら佐伯の身体も深い海底に沈没していった。

「葉山君...」

 笹沼は労いや労りの言葉も見つけられない様子で呟くと、絶望と悲嘆のあまりに空虚を見つめて動かない礼輔の傍に近寄った。その瞬間、礼輔の身体は精神を喪失したかのように脱力し、完全に倒れこみ、意識を失った。礼輔にとってその深い深い眠りは漆黒の暗闇を徘徊しながらこの街の死者と向き合う、地獄の悪夢に等しい時間だった。

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………


 悪夢の深淵が未だに礼輔を取り囲み、離さない。それは悠久の様に流れる時間の中で訪れた突然の眼醒めだったかもしれない。礼輔に明確な記憶としてのこの時間は存在しない。曖昧なまま朦朧とした意識と白濁した視界の中で瞼の筋肉が覚醒を告げる。右手の小指が足の親指が微かに機動する。辺り一面に広がる太陽の様で太陽でない白色の光と外から激しく照る燦燦と照る本物の太陽の光、鼻をつく消毒用のエタノールの臭い。そこが病室だと解るまでに時間を要した。ゆっくりと起き上がると自分の両腕には名も解らぬ大量の器具が置かれている。頭はまだ重く、重低音が鼓膜の奥で鳴っているような感覚に襲われた。全身が怠く、起き上がるにも力を要した。

「ああっ、先生、葉山さんが...」


 医師の診察が一通り終り、終始無言のまま礼輔は病室のベッドで毛布を被っていた。外の世界に恐怖を感じていた。とてつもない悪夢に包囲されたあの島のような恐怖...


 そうだ!悪夢だったのだ。全て永い永い悪夢の中の物語なのだ。礼輔にとってはそう思った方がましだった。それを考えようとすると、自分の鮮明な記憶と佐伯の顔、島で逃避行した際に負った傷が事件はこの奇譚の全ては事実であったと教えた。零れた涙か鼻水か解らない一滴がシーツを濡らした。顔全体が厚く火照る。

 外を見たのはそれから数分後に病室の扉を開ける音が聞こえたからだ。しかし、そこに医師の姿は無かった。

「こんにちは。いや、10時だからおはようございます。か。微妙だな。」

 自分よりも高身で痩躯の若い男が其処に立っていた。標準語ながら奇妙な口調と典型的なモンゴロイド顔のその男は明らかにその顔に相応しくない青縁の眼鏡をかけている。起き上がろうとする礼輔を止めて、その男が名乗った。

「改めまして、おはようございます。そして初めまして、葉山礼輔さん。私、ジャーナリストの竹島、竹島兆と申します。」

「兆?」

 奇妙な名前のその男はやがて、この島で起きた一連の事件を完全な解決に導いていくことになる。しかし、それはまだ誰も知らない。この時はただ、病院内で今目覚めたばかりの患者の前とは思えない程に明るい口調と作って張り付けたような笑顔を張り付けた『変人』でしかない。礼輔は訝しげな眼でそのジャーナリストを名乗る男を見つめていた。

 

 屍生島奇譚本編終了




 今日まで書いて実際少し展開を詰め過ぎたかとも思います。

 今回もお付き合い頂き有り難う御座いました。

 

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