屍生島奇譚 戦慄 東港
パニックホラーは後半が肝です。それは全ての作品に共通するのではないでしょうか。ということで今回からクライマックス突入です。
基地を出た一行は急ぎ足で軽トラックの方向へ向かった。礼輔の方は行よりも軽くなった。先程まで負ぶっていた生徒が自分で歩くと言ったからだった。小学生なりに教師である礼輔の苦労を汲み取ったのだろう。生徒達はもう甘える事もしなかった。感染者に見つからずに軽トラックの方へ向かう事が第一目標だが、軽トラックの周りに感染者が屯している場合に備えて、消火器や先程トイレに侵入した感染者が持っていた大型の刃物を子供に持たせたほか、礼輔自身も猟銃と鉄パイプを持っている。いつ戦闘が始まってもおかしくない状況なので、礼輔は気を抜かないようにと生徒に再三注意した。
上手く軽トラックまで辿り着くと、礼輔は生徒に急いで乗るよう指示し、自分もエンジンを掛け、サイドブレーキを降ろし、アクセルを蹴った。ガソリンが目的地まで続くことを祈りつつ、礼輔は漁港の入り口まで引き返し、行きとは逆の方向に向けて車を走らせた。
無言無音の街並みに古臭い軽自動車のエンジンが響く。島の本町には当然人気が無く、たまに感染者の唸り声か、死体の周りに飛び交う蝿の羽音が聞こえるのみである。先程まで人が居た気配と、今は全くいない事実が交錯した白と黒の様に景色に奇妙な背景を映していた。
暫く道なりに進むと、大きな看板が見えてきた。礼輔は何時も此処を目印に東側の停泊所に向かっている。時刻はもう少しで、無線における予定の時間になる。ペースは比較的良い方だ。この間一人の生徒を亡くし、その事で心を痛めている自分や生徒を思うと、率直に言えないが、礼輔が軽トラックを飛ばした甲斐もあって予定よりも早く着きそうである。礼輔は曲がり角を二回曲がると、停泊所の近くの正規の駐車場には行かずに、奥の方まで車を進めて、軽トラックが進めなくなるくらいの段差が出てくるところまで強引に車を飛ばした。途中に佐伯の親の黒いアリオンが止めてあるのが目に留まった。
「ここで降りるぞ、体調が悪い奴はいないか。急げ!」
礼輔は全員に降車を指示し、自分も港の桟橋の先の方に向かった。丁度、海上保安庁の船の警笛が街中に轟いた。船の到来を告げる合図として、管制官が言っていた信号だろう。礼輔達は足を速めて桟橋を渡っていった。
「葉山君、良かった、君も此方に来たか。」
佐伯が手を振っていた。先程よりもさらに顔が青白い。まさか、感染してはいないだろう。感染していれば、学校で見た通り、大人でも平常心を保つのはまず無理だ。そして斑点が生じる。きっと度重なる移動と戦闘で疲弊しきっているだけなのだろう。その顔に生き生きとした表情が無いのも頷ける。しかし、その騒ぎも事件も全て終わると思うと、解放感に脳が満たされたのか、佐伯は不器用な笑顔を見せたが、礼輔の悲壮な顔と生徒が一人減っている事に気付いて急に顔を曇らせた。
「葉山君...」
「佐伯君、御免、一人、俺の不注意で守りきれなかった。これは俺の責任だ。この島で皆を生きて返すって誓約した筈だったけど、それも無」
無理だと言い終わる前に佐伯が礼輔の言葉を遮った。
「例えそうであっても、例え一人亡くしても、此処まで四人の生徒を生還させるルートに導いた。それは君にしかできない掛け替えの無い仕事だ。確かに喪失や決別は悲しい。でも、ここまで辿り着けたのもまた自分のお蔭なんだ。葉山君、始めに理科室に逃げ込んだ後の判断力とその仕事で解った。君は立派な教師だ。その免許に恥じない働きをしたと広島で誇るといい。」
言い終わると、佐伯は暮れかけた夕焼け空の近くに見える海上保安庁の船を見つめて黙っていた。手には燃えかかってカスの様になった煙草とその煙が見えた。生徒の内の何人かは悲しそうに俯いたまま無言で涙の染みを桟橋の木材に着けた。雫のようなそれが礼輔の心にも降りかかるようだった。この島の悪夢はこの島の殆どを奪い去った邪悪な災厄は誰によって齎されたのだろう。漸く終わりお迎え、全てが白日の下に晒されようとしている今になって礼輔はこの事件の真実に迫りたくなった。きっと生存者は此処に居る6人だけになるだろう。そうなればこれを語り継ぎ、解決へと導けるのは全ての行動を起こした、佐伯と自分、そしてそれを見てきた生徒たちだけになるだろう。礼輔は硬く目を閉じた。謎の感染症に冒され、意識も体も奪われてしまった自分の仲間、生徒、そしてやっと打ち解けて話せるようになったこの島の住人への冥福を祈ったまま、船が到着するまでの間、口を開くことは無かった。
自分が体験していないことを書くのは大変骨が折れる作業です。
今回もお付き合い頂き有り難う御座いました。